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好きなものに支えられて

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これまで意識したことはなかったのですが、 多分、私はワカメなどの海藻が好きなようです。 乾燥したものを戻してお味噌汁にしたり、 生食用になっているものを醤油をつけたり、 一人の時から買って食べていました。 体に良い、と聞いたことがあるし、 安価だし、 というたったそれだけの理由ですが、 そうしたもののお陰で、 これまで健康でいられたのだと感じています。

浮世絵のレイアウト

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今日は岡山県立美術館にて、 「ミュシャと日本、日本とオルリク」という展示を見てきました。 ミュシャは本当に日本でも人気が高く、 授業のアンケートでも多くの学生が書いてきていました。 以前も展示は見たことがあり、 その作品の素晴らしさはいうまでもありませんが、 今回はそれに加えてちょっと違った部分に意識がいきました。 日本との関係性をうたっている展示なだけあり、 当時の日本の芸術の一つ、浮世絵なども飾られていたのですが、 それらの作品の画面構成に非常に目が惹かれました。 葛飾北斎や歌川広重など、こちらも著名な方々の作品が並んでいましたが、 それらのレイアウトの秀逸さに、今更ながらに驚かされました。 頭では理解していたことが、実感として体が反応した、 そんな感覚でした。

実家の畑で採れるもの

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実家から写真が届きました。 昨日採れた夏野菜、とのことです。 季節ごとの食物を摂取するという行為は、 まさに人間が古くからやってきたことです。 その時、そこになるものを食べるより他になかった、 ということが始まりだとしても、 それが最も効率良く生活を回していくことができるわけです。 つまり、人間の体も、そのように出来上がっていきます。 しかし、保存したり、いつでも収穫できるようになったりした現代、 この生活が長く続けば、人の体もまた変化していくことでしょうか。 それは、なんとも寂しいように感じます。

† 強い印象が記憶に残る †

体が覚える、 ということと、 非常に印象的で記憶に残っている、 ということは、 ともに「人間」ならではなのでしょうか。 AI技術が様々なことを学習し、 それを活用して問題を解決する過程において、 上記のようなことは発現しないように感じます。 では、人間にとって、上記のようなことは「必要」なことなのでしょうか。 人間は非常に曖昧な存在です。 (曖昧、という言葉も明らかにしたい) 体が覚えるくらいにやり込めば、 正確にできるようになります。 別な言い方をすれば、それは、 目的に応じた動きを体ができるようになる、 つまり、そのための筋肉が養われている、ということです。 印象的なことが記憶に残る、というのはつまり、 これまでとあまりに違うために、 「記憶しておいた方が良いのではないか」と脳が作用するのでしょうか。 それはある意味、生きていくために必要な能力、と言えるのでしょうか。

† 体に覚えこませる †

新しい言語を習得したり、 身体を使って新しいことができるようになる、 という場合、 体が覚える、 体に覚え込ませる、 という表現を用います。 人間は、頭でわかっている、ということと、 それをうまく使うことができる、ということとは、 別物です。 今、AIに関する本を読んでいます。 「如何に学習させるか」という部分を読み進めていますが、 ロボットの場合、学習することができた内容は、 そのまま活用することができます。 非常に効率が良い、と言えます。 その点、人間は、、、 しかしながら、そこには何か重要なことが隠されているとも感じます。