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どこかにあるモノ

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可愛らしいモノをいただきました。 こういうもの、どこにあるのかな? と話していたのですが、 普段からそういう「目」で周囲を見ることが重要なのだと感じます。 どこそこにあるから、そこに行けば良い、 というものではないのでしょう。

ロボットの目で

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人間の目はとても曖昧なもので、 水の流れなど、こんな感じにブレて見えます。 ロボットの目で見たら、どう見えるのでしょう。 連続しているという認識がなければ、 瞬間毎に切り出されて記録されるのか、 そもそも映像という連続したものをどのように記憶するのか、 処理すべき情報が格段に多いように感じます。

良い加減

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こういうところがデジタルカメラは面白いと感じます。 それと同時に、 人間の目の良い加減さも。 この良い加減は、本当に「良い」加減なのでしょう。 便利です。 ロボットが共存する社会になったら、 こういうところにも、 違う考え必要そうです。

ある目を通る白

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料理長のような防止の白が、 絵画のように目立ちます。 フィルムで撮った写真なのに、と思いつつ、 通す「目」によってはこう見えるのか、 と考えさせられます。

また一つ重ねる頃ができたことに感謝

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今年も無事に誕生日を迎えることができました。 ありがとうございます。 岡山に来て、1年と数ヶ月、 ようやく慣れて来たかな、と感じていますが、 もちろんまだまだ知らないことだらけです。 写真の野菜はひるぜん大根というそうです。 見た目は普通の大根と変わりませんが、 旨味が凝縮されており、 おろして食べただけでも大変な美味しさです。 そんな風に、もっともっと、 目で、 耳で、 鼻で、 口で、 肌で味わっていきたいと考えています。

二つの目を

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以前、スマートフォンでも撮ったユキヤナギです。 祖父のKonica FMで隙間から撮ってみましたが、 程よいボケが手前と奥にできています。 今のスマートフォンは、 擬似的なボケを綺麗に付けてくれるものがあります。 現状で少し不自然に見える部分も、 やがてもっと自然に見えるようになるのでしょう。 ただ、今の自分の気持ちとしては、 その便利な部分も楽しみつつ、 昔からある、自然な雰囲気も楽しめる目を持ちたい、と感じています。

明暗

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iPhoneのカメラとフィルムカメラ、 もちろん違いは多々あります。 中でも、暗いところと明るいところが共存している写真については、 デジタルの補正のすごさをひしひしと感じます。 手ぶれ補正等についてもすごいとは思うのですが、 それは、まぁ、意識次第でどうにかなるか、と。 しかし、明暗がくっきり分かれている場面については、 どちらかは切り捨てなければなりません。 そういう意味では、人間の目そのものがすごいのだな、 と、これまた当たり前のことに気づかされたりします。

見る目の変化

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たまたま同じ壁面に、 たまたま同じような大きさの、 全く違うシルエットが描かれていました。 これは学内ですが、 この時カメラを持っていなければ、 この関係性では撮れなかったでしょうし、 そもそも見つけることができなかったかもしれません。 カメラを持って歩いていると、 自然と何か撮るものはないか、と探している自分がおり、 逆に、カメラを持っていない時に、 あ、今、持って入れば、、、と思わせられるような瞬間に出会ったりします。 世界を見る目が変わってくるようです。

目の中心のレンズの中心

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ファインダーから見ている中心が、 レンズの中心ではない、ということ。 ちょうど良い写真があったので、 使ってみました。 撮った時は確かに扉のセンターが中心になるように撮ったつもりなのですが、 思いの外ずれていました。 そもそも、ブツ撮りでない限りは、 対象をセンターに置いて撮ることがないので、 大きな問題にはならないと思っていたのですが、そうもいかないようです。 しかし、こういうところも、 レンジファインダーカメラの面白さなのかな、と、感じています。 何よりも、上のライトの影が良い感じに出ており、満足です。

二つの世界

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この時間、目で見える世界はほぼ真っ暗でした。 絞りを絞って、シャッターを開くこと約30秒間。 こんな風に写ってくれるなんて、と嬉しくなります。 自分の目でも見えていないものが、 カメラの目を通すとこうして写ってくる。 この感覚をなんと表現するべきなのか、 まだ自分の中に言葉がありません。

玉ボケ

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これは、Konica FMで撮った写真です。 背景にある光が、玉型にボケている状態を、 玉ボケと呼ぶようです。 画像編集ソフトでぼかしてもこのようにできません。 (今なら色々なフィルタでできるのかもしれませんが) 質があまり良くないレンズでボケることによって生じるようです。 でも、それがまた、良いなぁ、と感じて見ています。 人間の目ではこのようには見えません。 見ようと思って意識がいったらピントが合ってしまいますし、 視力が弱くてボケている場合は、全体がぼやっとするだけです。 これもまた、カメラの目で見える世界のようです。

カメラの目

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現像された写真を見てみると、 撮影したその瞬間、 ジブンの目に映っていた世界と、 カメラの目に写っていた世界、 どちらが正しいのか、と考えさせられます。 自己満でしかありませんが、 綺麗だな、と思う写真が撮れた時、 撮った時、私の目にはこんな風に世界は見えていたのか、 と自問自答しています。 写真を撮る、ということは、 撮った瞬間を頭の中に焼き付けている行為なのかもしれません。

残るもの

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いつ、どこで撮ったのか、 ピンホールカメラ で車の通りを撮ったと思うのですが、 なぜかすっかり忘れてしまっています。 夜など暗い空間で、シャッターを開けたままにして撮影することで、 こんな感じの写真が撮れることはよく知られています。 それを元にしたアート作品なども数多くあるわけですが、 写真ではなくとも、こう言った残像を利用したおもちゃなどもあります。 ある意味、一般的なアニメーションを楽しむことができるのも、 残像を利用しているためです。 光とは何か、 目とは何か。 習うよりも、自分で学ぶことで、自然に理解できる部分がありそうです。

自動調整

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夜間、自動車が通っているところを、 なんとか撮ろうとした一枚です。 ピンホールでは難しい、ということもありますが、 寧ろ、この写真を見て感じることは、 人間の目の性能の良さです。 夜間に暗いとはもちろん感じるわけですが、 生活が困難なレベルにはまだなりません。 そういった調節を自動で行なっているということに、 人体のすごさを感じます。

罠

ネットでたまたま「罠」という漢字を見たのですが、 「目が横になったものの下に民?なんでだろう?」と思い確認してみました。 そんな何気ない気持ちだったのですが、 「え?!」という結果が。 「罠」 会意兼形声。「网(あみ)+音符民(見えない、目の見えない人)」。 「网」 象形。両わきの支柱の間に、×型にあみをはったさまを描いたもの。のち音符亡を加えて罔の字となった。罔や網の原字。 网は象形といことからも、確かにアミに似ているので、 まぁ、そういうものかと感じましたが、 問題(?)は民の方でした。 「民」 象形。ひとみのない目を針で刺すさまを描いたもので、目を針で突いて目を見えなくした奴隷をあらわす。のち、目の見えない人のように物のわからない多くの人々、支配下におかれる人々の意となる。また、人と結合して、「民人」「人民」と称する。 人民という言葉がそんな意味でつくられていたなんて、 と驚かされると主に、 民主党って、どういうことよ。 自民党って、どういうことよ。 という疑問が湧いてきました。 因みに「目」の形との組み合わせとしてこちらも載せておきます。 「眠」 会意兼形声。民は、目を↑型の針で突いくさま。もと逃亡を防ぐため、目を見えなくした奴隷のこと。眠は「目+音符民」で、民の原義を残した字。目がみえない状態となってねむること。瞑(目が見えない)はその語尾が転じた語。 「瞑」 会意兼形声。「目+音符冥(メイ)(おおわれてくらい)」で、目をふさぐの意。