『自己を見つめるデザイン』
知恵の実私が大学に入った頃、1996年当時の日本では、
まだインターネットは普及してなかったと思います。
その前年1995年に発売されたWindows95の登場によって、
比較的に利用者が増えた、と言われていますが、
そもそも、閲覧先であるウェブサイトそのものが、
まだそれほど存在していませんでした。
そんな中にも関わらず、以前も記したように、
私の通っていた大学では、
一人ひとりにメールアドレスを持たせ、
積極的に利用するように進めていました。
その時興味を持てた組と、そうでもなかった組は、
もしかしたら今でもその延長にいるのかも知れない、
と感じることもありますが、
私自身はそういったことに非常に興味があり、
訳もわからず、勉強の仕方も見様見真似で、
兎に角、触っていました。
勿論、Googleはまだ存在していません。
Yahoo!は既にありましたが、
それで検索できる項目数などたかが知れていました。
また、ほとんどのウェブサイトは英語でしたので、
英語の勉強になる、というよりも、
何処をクリックするの?
何が書かれているの?
と、頭の上で?が回っているだけでした。
そんな頃の通信速度が、昨日話したように、
今の約800倍の時間掛かるモノでした。
かなり乱暴な言い方ですが、
オーダーは大体合っていると思います。
今、1秒で見られるモノを見るために、
約13分必要。
勿論、当時はほとんどのページが文章のみですし、
画像なども少ない上に、画質も低かったわけですから、
時間にストレスを感じる、というよりも、
目的のページが開いた、という喜びの方が、
大きかったと記憶しています。
画像を含んだページなどは、
開くまでに時間を要するため、
しばらくMacを放置して、
その間に本を読んだりしていました。
そもそも、ブラウザ用のソフトウェアを起動するのにも
MacのRAMが足りず、
どうやって起動したら良いのかを人伝で聞き、
そのために必要なソフトウェアを、
フロッピーディスクに入れてもらう、
そんな頃でした。
その頃は、その頃の速度に満足しながら、
サービスを活用していました。
勿論、満足とは言っても、
不満がない、ということとは違います。
もっと早く表示されたら嬉しい、
という気持ちはありつつも、
そこまでのストレスを覚えることもありません。
しかし、あるコトがあると、
事態は一転します。
それは勿論、知恵の実と同じものです。
一度進んだ技術は、余程のことがない限り、
戻りません。
それは良いことが多いですが、
今の日本では必ずしもそうではない、と、
考えられるようになってきました。
しかし、インターネットの速度に関して言えば、
それは良いこと、と言って良いと思います。
勿論、それに伴う弊害も沢山考える事ができますが、
それ以上の利点があります。
全てがそのように進むことが望ましいのに。