『自己を見つめるデザイン』
学習する生き物何事においても言えることですが、
どんな些細なことでも、
「今よりも少し良い状態」を知ってしまうと、
それを知る前には戻りにくいものです。
速い通信速度を知らなければ、
ほとんどの人がその速度で満足を感じます。
速度に不満を覚えても、
速い速度を知りさえしなければ、
または、それを実現する術はないのだと知れば、
諦めることができます。
しかし、実験的なモノにしろ、
当時の技術の粋を集めたモノにしろ、
一度でもそれ以上の速度を体感してしまえば、
もう遅い頃には戻れません。
多少誇張した表現に聞こえるかも知れませんが、
多かれ少なかれ、経験があることと思います。
携帯電話を最新機種に乗り換えたとたん、
前の機種の処理速度がとても遅く感じ、
使い慣れているとは言っても、
以前の機種に戻ろうとは思わないことでしょう。
工事が必要だからなんとなく面倒だな、
と思っていた光通信への移行も、
職場などで速い速度を経験すると、
家での通信に非常にストレスを覚えます。
全ての生物は学習します。
それによって進化をしてきたと考えられているからです。
たった一度の経験でも、
それが印象的であればあるほど、
頭が、身体が記憶するものです。
そして、身体が記憶したことは忘れにくく、
頭だけではなく、
心ともつながっているように感じます。
アダムとイブが、蛇に唆されて食べてしまった、
知恵の樹の果実。
知恵を得ることで、無垢を失い、
獲得した知恵によって、
生命の樹の果実も食べられることを危険視した神は、
原罪に対する罰として、
人間を楽園から追放します。
今の日本では、
昨年3月の地震に伴う震災の一部を、
そのように捉えている節があります。
しかし、本当にそうなのでしょうか。
知恵の実を得ることで、
豊かな生活を得、
便利な世の中を実現し、
何よりも、これまでの高度成長を可能にしてきました。
その知恵の実を、悪の権化のごとく遠ざけることは、
けして最良の状態への道ではないと考えます。