『自己を見つめるデザイン』
Twitterという主観性ここ数日、こちらはドカ雪の日々です。
以前、記したように、
雪が降ったら只管雪掻き。
生きていくために必要な行為です。
しかし、一方で、私のTwitterのTL上には、
その雪に触れて喜ぶ声が。
雪がうっすらと積もったシーンを
写真で写して載せていたり、
もっと降れ〜、とつぶやいていたり。
色々なTwitterが流れて行きました。
ここで、記したいのは、
雪とはそういうものじゃない!
というようなことでは、全くなく、
Twitterとは、
一般の人が使用する上では、
極めて主観性を重んじるメディアである、
という認識についてです。
それは匿名性だから、
ということでもないように思います。
匿名性とはいえ、
一般の人が使用する上ではフォロワーの多くは、
自分の実態(変な表現ですが)を知っているため、
これまでのBBCのような
無責任さが少なくなります。
そういった点で、Twitterの内容は、
所謂「心の声」のような、
純粋な発言だと言えるのかもしれません。
もしかしたらTwitterとは、
喜怒哀楽を的確に表出させる
メディアと呼べるのかもしれません。