『自己を見つめるデザイン』
Twitterのウソと本当今日のニュースに、
Twitterにはウソの拡大を招く危険性がある、
という内容のものがあり、
Twitterの善し悪しを問うような記事がありました。
どうなのでしょうか。
個人が自由に発言できると、
ウソが蔓延するのでしょうか。
昨年の東日本大震災の折、
悪意あるTwitterが広まったことを書きましたが、
結局のところ、
ウソをつくか本音で話すか、
それはその人に依拠する事柄であり、
ツールとしての技術には何も関係もありません。
全く関係ない、と言っては語弊がありますが、
Twitterに関して言うならば、
ツールによってウソが助長されるとは思えません。
にも関わらず、
Twitterそのモノが悪である、とするのは、
些か早計ではないかと思われます。
人間は、信じたいモノを信じるそうです。
つまり、信じたくないことはウソになるし、
信じたいことは本当になります。
これだけを考えると、
内容で全て決まりそうに見えますが、
Twitterに関して言うならば、
情報発信者と、
情報内容の、
双方が、
自分にとってどんな意味を持っているか、
ということに関係します。
情報発信者が自分が信頼している人である場合、
情報内容がどのようなモノであっても、
それはその人にとって「本当」になるでしょう。
ところが、
情報内容が自分が信じたいモノだったとしても、
情報発信者に対する信頼感が乏しい場合、
その内容を容易に信じることはできません。
多くの場合、Twitterで自分がフォローしている相手は、
自分が信頼を寄せている人である場合が多いため、
その発言も信じられるはずです。
しかし、
そこで混乱を招く元になっているのが「RT」の存在です。
どこをどう巡ってきたかわからないRTは、
判断を鈍らせます。
更に、
それが例えば助けを求めるようなものであった場合、
ウソかも知れないと感じても、
本当で会った場合を考えると、
拡散しないわけにはいかなくなります。
これは、Twitterが悪だと言えるのでしょうか。