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『memorandum』     

 惟喬親王

惟喬親王(コレタカシンノウ)のお話しを聞きました。 惟喬親王 844年〜897年 文徳天皇の第一王子。 母は紀名虎の女静子。 大宰帥、常陸・上野太守。 第四王子惟仁親王(後の清和天皇)の外戚藤原良房の力が強く、 皇位継承はならなかった。 剃髪して小野の里(山城国愛宕郡)に隠棲し、 小野宮という。 木地師の間では伝承ではその祖とされる。 伝承なども相まって、 まだ整理が仕切れておりませんが、 第一王子であったにも関わらず、 当時の摂政関白である、藤原良房に依って、 皇位を得られず、 今で言うところの滋賀県東近江市に落ち延びて行った、 とのこと。 問題はそこからです。 どうやら、極めて賢しい人だったらしく、 巻物をくるくるしているところから、 轆轤を発明したとのこと。 滋賀県の山深い地において、 轆轤を発明したことから、お椀などの生産技術が格段に向上。 その結果、木地師の地位を高めることに貢献した、 というのが大本の流れのようです。 福井において、 初めて漆の文化に触れることができました。 実家、山形にもあるにも関わらず。。。 実家では普通に「権之助塗(ごんのすけぬり)」のお皿を使っていました。 そもそも、漆器において、 中の木地をつくる人と、 外を塗る人が 異なる、ということも、 福井で学びました。 今日、聞いた、惟喬親王。 そんな木地や漆器との関わりを調べてまとめておきたいと思います。

『memorandum』     

 宮大工

宮大工という職業があります。 文字通り(?)、神社仏閣の建築や その補修作業を行うことを生業にしています。 私自身、最初はそのくらいしか知りませんでした。 ただ、よく考えてみると、 宮大工という職業は、 日本全国、至る所にいなければいけないことになります。 多分、神社仏閣がない県は存在しないと思いますし、 もしかしたら、市町村単位でも、 神社仏閣は最低一つはあるのではないかと思います。 そうなると、宮大工、という特別な表現をする必要はあるのか? と考えたわけです。 調べてみて、すぐに出てきました。 「渡り大工」という表現。 日本中あらゆる場所に、とは言わないかも知れませんが、 様々な土地の神社仏閣を修繕して回るそうです。 今度の建物はどのような構造なのか、 はもちろんのことながら、 どの木材を使うのか、 どこまで修繕するのか、 どういう手順で行うのか。 一言に神社仏閣と言っても、 それこそ様々な様式・形式を備え、 何よりも、歴史性を持っています。 その時間的な文脈も踏まえた上で修繕作業を行う職業と考えると、 非常に深く難易度が高いと言えます。 宮大工に関する登録等の情報は見つけることができませんでしたが、 ある方がメモ的に書かれていたモノに依れば、 日本全国でも100人を切ってしまっているようです。 本当かどうかはさておき、 現実的な職業としては確かに難易度も高く、 技術継承の方法も限られているという点において、 今後、継続していくのが難しい職業、 その職能を残していくことが重要になっている職業である、 と言えます。