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比べること

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今住んでいる岡山の家では、 駐車場が丁度家の影になっており、 朝の気温によっては、写真のようにフロントガラスに霜が降りています。 どちらの実家と比べても、 十分に南方に位置する今の家は、きっと暖かい方なのだと思うのですが、 そうは言っても、寒いものは寒いのです。 ずっとエアコンのない生活でしたので、 なんともないと言えばなんともないのですが、 人間とは、比べることでしか対象を認識することができない、と、 常々考えさせられます。

ロボットの目で

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人間の目はとても曖昧なもので、 水の流れなど、こんな感じにブレて見えます。 ロボットの目で見たら、どう見えるのでしょう。 連続しているという認識がなければ、 瞬間毎に切り出されて記録されるのか、 そもそも映像という連続したものをどのように記憶するのか、 処理すべき情報が格段に多いように感じます。

味を覚える

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岡山のワインです。 正直、味の違いがそんなにわかる訳でもなく、 一般的にいうところの「美味しい」というのがどういうものなのか、 も、わからない状態です。 ただ、最近、コーヒーを飲むようになってわかったのは、 飲み続けると覚える、ということです。 良し悪しはわからないにしても、 その味を覚えることはできるようです。 小さい頃から食べている家の味をある程度覚えているわけですから、 ちょっと考えてみればわかることなのですが、 最近になって改めて認識しました。

食パンに味を求める

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食パンの味、 なんて、正直考えたことがありませんでした。 実家でたまに出る食パンのトーストは美味しいな、 とそのくらいの認識です。 ブランディングの最たるものを実感させられました。

薊

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大学内にある花壇の写真です。 薊が綺麗に咲いていました。 先日、線路脇を通った時に薊が咲いているのを見て、 春に咲く花なんだと初めて認識したところでした。 自分の近くにも、 こんな風に咲いている、 去年も咲いていたんだろうなと考えさせられました。

美味しいという主観

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果物はたまに食べる程度ですが、 季節のものはやはり美味しく感じます。 特に、ここ岡山はそうなのかもしれません。 味は極めて主観的なものですが、 誰が食べても美味しい、と感じるものは 確かに存在します。 ただ、見ている色が同じかどうかを確認することが難しいのと同様に、 相手が感じている味と、自分が感じている味が一緒かどうかも、 確認することは非常に難しいことです。 そういう曖昧なものを共通のものとすることで、 社会は成立しています。

影で遊ぶ

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駐輪場で撮った一枚です。 影が面白いなぁ、と感じて撮ったのは確かですが、 現像が上がって来て見た時の印象は、 「あれ?こんなに面白かったっけ???」というものでした。 撮影から現像までの時間がそう思わせたのか、 いずれにしても、実際の目で見た時以上に、 不思議で面白い印象に変わっていました。 人間の目は、常に少しずつ動いているそうです。 それによって色々な範囲を認識したり、 対象を正確に捉えているのだと思いますが、 写真は単位時間で空間を二次元に切り取ってくれるため、 そういった動きによる変化がなくなります。 それが生み出している妙なのかもしれません。

地の利

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岡山という場所の特徴のようですが、 とにかく他県が近いです。 鳥取・広島・香川・兵庫、 ここに来てから休日にちょっと行ったことがある県です。 新幹線は全て停車する、という話を聞いた時に、 なるほどなぁと感じたわけですが、 中四国における要衝というわけです。 ここに来るまでは全く思いもしませんでしたので、 認識を改めることになりました。 その地の利を活かし、広島県にある現代美術館へ。 Impossible architectureの名前の通り、 歴史の中でだけ見て来た多くの建物の資料が展示されていました。 その中にはもちろん、オリンピック関係のものもあります。

継がれていくモノ

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ピンホールカメラを通して、 フィルムによる撮影とデジタルによる撮影の違い、 というよりも、そもそも全然違うものだ、という認識を、 持つことができました。 そんな中、今回、たまたま祖父が使っていた、 フィルムカメラを受け取ることができました。 大変綺麗に保存していただいていたおかげで、 カメラ屋さんでチェックしてもらう際に、とても驚かれました。 これにまつわるエピソードも少しずつ書いていきます。 まずは、これを使うことができる喜びを感じています。

文房具

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昨今、文房具は人気がある、と言われていますが、 本日、たまたま市内で文房具の展示会があり、 場所が近いこともあり、行ってみました。 そこで、自分の認識が甘かったことを痛感させられました。 お客様の多いこと多いこと。。。 多くの方々に、マスキングテープの掴み取り目当てだったようですが、 一番上の階の万年筆と紙のコーナーにも多くの人が詰めていました。 主観ではありますが、女性が多いようには感じました。 ただ、家族連れやカップルも多く、 皆一様に手に手に物品を見ながら楽しんでいるように見えました。

クレー

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粘土を使ってモデルをつくる。 クレーモデルと呼ばれていますが、 自動車業界における新商品開発では、 現在でも非常に重要な工程であり、どの企業でも用いられています。 CGを用いたVRやARが発達し、 様々な空間に配置したり、 表面のカラーを変更したり、ということはすでに行われているようですが、 現物を見て確認する、という作業は、 モノづくりの現場からなくなることはないのだと思います。

† 夜の明るさ †

2011年の春、 福井に引っ越した際に、 世の中では「計画停電」という言葉が使われていました。 計画的に電気を使う、というよりも、 できるだけ無駄に電気を使わない、という意味合いでした。 その時に私が福井で見た夜の景色は、 まさに、真っ暗、です。 無駄な照明など一切ない、 むしろ、必要な照明すらついていない、 そんな印象を受けるほど、 夜とは暗いものなんだ、ということを改めて感じさせられるほどの、 闇に包まれていました。 今、岡山に引っ越してきて、 さっき、少し外に出てみました。 一歩路地に入ると、、、何も見えない。 あぁ、こういう土地なのか、 と、その時に、肌で感じることができました。 この感覚は自分にとって大切なものだった、と、 改めて認識させられました。 ここで、自分に何ができるのか、 自分には何ができないのか、 恐怖と喜びの両方が溢れています。 全ては、自分がやるかどうか、 ここにはそれしかありません。

‡ 現代におけるAIを考えてみる⑨ ‡

一枚の画像をコンピューターに認識させようとした場合、 昔からの発想で単純に考えれば、 左上から1ピクセルずつ、 只管認識させていく、という方法が一番シンプルです。 ただ、単純に時間が必要になります。 この処理方法は、実体験として持っています。 2000年前後の頃、CADで立体をつくり、 テクスチャーを付けた状態でレンダリングをかけると、 見事に左上から画像が出来上がっていきました。 ピクセル数十個分単位で処理が進んでいき、 その数十個分が数個分になり、 最終的にピクセル一つ分で処理が進んでいくのを視覚的に確認しながら、 完成を待っていました。 ある時、夜中に高解像度のレンダリング処理をする必要があり、 ネットワーク上に存在するMacに 可能な限りレンダリングサーバーのプログラムをインストールし、 夜中かけて処理を行いました。 20台近いMacを使ったのですが、 当時の高性能デスクトップと数台のノートブックで行なったところ、 処理速度の違いが、視覚的に現れていたことを未だに覚えています。

‡ 現代におけるAIを考えてみる⑦ ‡

ビッグデータとは何か、 何がビッグデータか、ということを考える場合、 その一つの解は、 「機器に柔軟性を持たせるもの」という言い方ができるようです。 三段論法では説明がつかない人間の考え、 Aを見たときに、それがAである、と認識する能力などがそれですが、 それを機器に導入する際に活用できると考えられたのが、 ビッグデータのようです。 見極めさせたい対象の画像を大量に見せる、 それによって学習してもらう、 言葉で表現するのは簡単ですが、 これをきちんと定義するのは大変です。 「見極めさせたい対象」であることをどのように定義するのか。 ラベリングするのか、ということが難しいことは、 容易に想像がつきます。 この、「どの画像に何が写っているか」というラベルをつけたものを、 教師データと呼ぶそうです。 Digitalの「1」「0」の世界において、 それを示す、ということの難しさと「手間」は すごいコストになります。 その部分を機器に頼ることができれば、 どれだけに楽になるだろうか、と考えずにはおれません。

‡ 現代におけるAIを考えてみる⑤ ‡

痛みや常識など、 知識を記述することの困難性がAI進化の壁だったことは想像に難くないことですが、 そこに「インターネット」が登場することで再び開発が進んだようです。 例えば、Googleなどの検索エンジンで何かを調べる際、 検索したい用語を入力すると、 その後の検索候補に「とは」という言葉が出るようになったのはいつからか。 あれを見たときに、「そういうことか」と 色々なことを一気に納得した瞬間がありました。 これからこうなっていくのだな、という認識から、 利便性が高まることによる危険性を考えなければならない、と考えるに至りました。 世の中の動きを見たいときは、 その候補を追いかければ良いが、 自分自身が何かをつくっていかなければならない場合は、 その候補に含まれていないものを追いかけなければならない。 そう考えさせられました。 しかしながら、AIに関する研究にとっては、 そのことが大きな一歩であったことも、 また、想像に難くないことです。