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† 目を瞑る †

「瞑」という漢字があります。 昨日、たまたま打った中にあった文字なのですが、 「あ、つぶるってこう書くのか」と感じたため、メモしていました。 ただ目を閉じる行為のことですが、 それに「冥界」の冥の字を冠した言葉が付くなんて、とちょっと驚きました。 折角なので「瞑」を見てみると、、、 と思って調べてみると、漢字源の方には 「つぶ(む)る」という読みがないことに気がつきました。 「つぶる」と「つむる」の話もありますが、まずは漢字の方から考えます。 元々の漢字の読みにはなく、意味として、 「 目を閉じてなにも見えないさま。 」とあることから、 つぶ(む)る、という読みが与えられたのかな、と感じます。 因みに解字はこうなっていました。 ・解字:会意兼形声。「目+音符冥(メイ)(おおわれてくらい)」で、目をふさぐの意。 「 冥 」 ・解字:会意。「冖(おおう)+日(ひ)+六(入の字の変形)」で、日がはいり、何かにおおわれて光のないことを示す。また、冖(ヘ゛キ)(おおう)はその入声(つまり音)にあたるから、冖を音符と考えてもよい。 意味としては、冥界や冥府と並ぶ感は理解できますが、 それにしても、つぶる、という言葉の漢字に当てるほどなのか、 と、ちょっとした違和感も覚えました。

† こだわる② †

「なずむ」という言葉がある。 「泥む」と書くが、知らない言葉であった。 広辞苑によると次のように意味が出てくる。 ①行きなやむ。はかばかしく進まない。とどこおる。 ②離れずにからみつく。 ③なやみ苦しむ。気分が晴れない。 ④拘泥する。こだわる。 ⑤かかずらわって、そのことに苦心する。 ⑥執着する。思いつめる。惚れる。 ①から③までは、例文は万葉集が出てくることから、 当時から使われていた言葉であることがわかる。 今回問題にしている「こだわる」という意味としては、 徒然草が例文に出てくることから、 鎌倉時代には意味として存在していたことになる。 要は、何らかの考えや思いにつかまり、 物事が進まなくなっている状態を指しているようである。 漢字源で見てみると、 「なずむ」といれるだけで、 5つの漢字が表示された。 「泥」「尼」「怩」「昵」「眤」 「尼」を調べることが近道と感じたため、検索してみると、 解字:会意。「尸(ひとのからだ)+比(ならぶ)の略体」で、人が相並び親しむ様を示す。 もと、人(ニン)(親しみあうひと)と同系。 のち、「あま」の意に専用されたが、尼の原義は昵懇の昵の時に保存された。 いよいよもって、当初の目的通り、 部首について調べていくことが肝要であると感じているが、 まずはこの「こだわる」から展開された言葉について、整理していく。

‡ 健体康心 ‡

本日、健康の元の言葉として「健体康心」という言葉を久しぶりに聞きました。 色々なブログや記事でも出てくるお話ですが、その根本的な意味については、 表面だけの理解で良いのだろうか、と感じています。 まずは、『漢字源』(学習研究社/藤堂明保)からそれぞれの意味を引用しておきます。 『健』 会意兼形声。建は「聿(筆の原字で、筆を手でたてて持つさま)+廴(歩く)」の会意文字で、 すっくとたつ、からだをたてて歩くの意を含む。健は「人+音符建」。 建が単に、たつの意となったため、 健の字で、からだを高くたてて行動するの原義をあらわすようになった。 『体』 会意。形声。本字の體は「豊(きちんと並べるの意)+骨」。 体は「人+音符本」で、もと笨(太い)と同じくホンと読むが、 中国でも古くから體の俗字として用いられた。 尸(人の横に寝た姿)と同系で、各部分が連なってまとまりをなした人体を意味する。 のち広く、からだや姿の意。 『康』 会意兼形声。康は「米印+音符庚(糸巻きのかたいしん棒)」で、 かたい筋のはいった穀物の外皮のこと。糠(米ぬか、もみがら)の原字。 転じて、じょうぶでかたい。筋が通っているなどの意となる。 『心』 象形。心臓を描いたもの。 それをシンというのは、沁(しみわたる)・滲(しみわたる)・浸(しみわたる)などの同系で、 血液を細い血管のすみずみまで、しみわたらせる心臓の働きに着目したもの。