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操車場をもう一枚

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昨日の操車場の写真で思い出しました。 昨年、たまたま陸橋を通ったときに写した一枚です。 モノクロフィルムで撮ったためか、 ずいぶん寂しい雰囲気になってしまっていますが、 実際には汚れた車輌を洗ってもらっていたりと、 しっかりメンテナンスされているところでした。 やっぱり、このくらいの画角が好きだな、 と感じた一枚です。

夏の影

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以前、 カラーの写真を載せました が、 それとはまた違った趣があります。 そもそも画角が違う、ということもありますが、 夏の強い日差しで生まれる黒い影は、 色々なモノを包み隠しつつ、 うっすらとその先が見えるようで、 本当に魅力的です。 影をうまく撮りたい、と思いはずっと続いています。

今年一年ありがとうございました。

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今年は一年、どんな年だったのか、 「コロナが」の一言で片付けてしまってはいけないと感じます。 来年をどのように迎えるのか、 「コロナが」の一言で収めてはいけません。 自分にできること、 自分がすべきこと、を、 少しでも、一つでも、 やっていきます。

夏の一コマ

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ショッピングモールのご飯屋さんから、 外の眺めたときの一枚です。 よく見てみると、 まだ、マスクをしていない人がチラホラと。 8月か9月頃だったように思います。 今とは違う風景です。

写真というセッション

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久々にフィルムを現像に出しました。 半年以上開いてしまうと、 やはり色々と忘れているもので、 良い面もあれば、悪い面も。 まだまだ撮り慣れてない人間としては、 こまめに出さないと勉強になりにくいな、と感じます。 そんな自分の作品を眺めて見て感じるのは、 やはり、動いているものを撮るのが楽しい、 ということです。 瞬間の判断が重要な点は、 音楽のセッションに似ています。

撮り方

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  有名な写真家と呼ばれる人がたくさんいます。 それぞれ独自の世界観を持って、 自分なりの世界の切り出し方を考えているのだと思います。 意識的にしろ、無意識的にしろ。 有名なものから、 無名のものまで、それらの多くを見ることは、 自分の撮り方が独自であることを示す上で非常に重要です。

瞬間を切り出す

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川の流れとは逆方向に飛んでいく鳥、 そんなことを考えながら撮った一枚です。 だから何なのかな、とも感じつつ、 レイアウトとしてどうだろうか、と考えつつ、 いろいろなことが勉強になる経験です。 フィルム写真はその場で確認ができない、 ということはありますが、 こういう被写体に関して言うならば、 確認できようができましが、 勝負はその瞬間でしかありません。

自分自身への覚書

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ここのところ、 ブログサイトの調子が悪く(?)更新が滞っていました。 そうなってみて気がついたことは、 このサイトが自分自身への覚書として機能している、 ということです。 日々の何気ないことを とにかく書き続けてみようと考え、 再開してみたわけですが、 「書かない」ではなく、 「書けない」ということは、 自分にとってかなりストレスになるようです。 日記を書き続けている方にも 近いものがあるのかもしれません。

自然の一部として

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人の視線の先には「何かがある」と感じます。 特に複数人が一つの方向を見つめていれば、 まず間違いなく何かあるのでしょう。 スナップショットを撮るときは、 その視線が自分に向かないように撮ることが大切だと考えます。 今はこっそり撮る、というかたちになっていますが、 いつか自分の気配を消して、自然の一部として撮りたい、 と思っています。

こんな世界に

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日夜色々なニュースが聞こえて来ます。 でも、きっとそれだけではないはずです。 たまたま撮れた一枚ですが、 とても心が癒されました。

晴天と曇天

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このところ、 雨のような、 雨の降りそうな、 そんな天気が続いています。 梅雨であることを考えれば自然なことなのですが、 どうも、岡山に住んでからは、 雨という現象はそんなに続かないもの、 という考えが強くなりました。 晴天の下では、 コントラストのついた写真が撮れます。 曇天の下では、 鈍いモノクロの雰囲気が良く撮れます。 どちらも魅力的に見えるように、 撮れるようになりたい。

微細な空気感

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テレワーク、という言葉が一般化しました。 都内の方では未だにその状況が続いているようです。 教育現場でも、やがてはそうなのかも、 という感はもちろんありますが、 まだ難しいのかもしれない、という気がしています。 ゼミや授業、それぞれ、ある意味スライドを流しながら、 ネット越しでも問題ない、といえばそんな気もしますが、 やはり細かいリアクションを見ながら動いている自分がいます。 その空気感をつかめるシステムが出来上がれば可能かもしれません。

PBのパッケージ

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あるコンビニエンスストアのPBのパッケージが、 何かと話題になっていました。 良い、悪い、と簡単に断ずることが難しい問題です。 どの視点(Eye point)に立って、どの視点(View point)を見つめて考えられたのか、 それが明らかにならないと評価することが困難です。 一般消費者の目から見た情報で決められることのようにも感じますが、 もう少しだけ複雑だと考えます。 それほどまでに「一般化」してきているモノと言えます。 今後、こういったことが論じられる機会は増えるかもしれません。

街中で光と影を撮る

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以前寄ったカフェの中から撮った写真です。 モノクロのフィルムで撮るようになってから、 色々なことを考えるようになりました。 特に、街中でスナップショットを撮る時は、 レンジファインダーカメラで、 モノクロフィルムで、というのが気持ちよく感じます。 何故なのか、自分でも、まだ、わかりません。 光と影、 白と黒、 を理解し、撮れるようになります。 写真は何故「とる」という音なのか、 それも考えるべきなのしれません。

巣

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大学の色々なところに燕の巣があります。 最初は、通路の真ん中に突然ブロックが置かれているので、 「?」誰かの忘れ物、かと思ったりもしましたが、 上を見上げて見て、すぐにわかりました。 取り去るのではなく、むしろ受け入れる方向で行くのだと、 微笑ましく思いました。 鳥は色々なところに巣をつくります。 写真に写っている鳥は、 橋の柱の付け根のところから、 どうやら橋の内側に巣をつくっているようでした。 丈夫で雨風も防ぐことができる、最適な場所のようです。

いつ?どうして?

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たまに、なんでこんなのを? 一体いつ撮ったんだ?という写真が出てきます。 影絵のようで面白そう、 多分、そんな思いでシャッターを切ったのだと思います。 それなりの効果は得られているようです。

二つの距離

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3密という言葉は、流行語になりそうな勢いで使われています。 これからしばらくの間、もしかしたらずっとこの先かもしれませんが、 人との距離はその関係性を示す重要な役割を果たすようになります。 もちろん今までもそういった傾向はありました。 二人の人が、肩が触れ合うような距離で歩いていれば、 近いのは物理的な距離だけではないことを示していました。 しかし、これからは、そんな距離でいる、ということは違う意味を持ちます。 普段から常にそういう距離でいる人たちであることを、 他者に対して示すことになるからです。 人同士の精神的な距離を縮めることと、 物理的な距離は密接に関係していると考えています。 つまり、友人のつくり方、そういったものも変わっていきます。

過去から現在、未来へ

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緊急事態宣言が全国で解除されました。 新型コロナウイルスは、発症まで2週間ということです。 今日の自分の在り方は、2週間前に決定されるということであり、 今とっている行動の結果が2週間後に出てくるということです。 怖い、とも言えるかもしれませんが、 考えてみると、これはある意味、当たり前のこととも言えます。 今の自分は、常に過去からの自分の連続であり、 それは未来に対しても言えます。 20代の頃、 男性の行動は10年後に顔として現れる、 という話を聞いたことがありました。 考えなければいけません。

田舎の夜

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年末年始のお休みの時に、 岡山に帰ってきた時の街の様子です。 夜遅くに飛行機で着いた、ということもありますが、 それにしても車通りも人通りもなかった印象があります。 丁度今、日本中がこんな感じです。 コロナ禍と表現するそうですが、 とはいえ、田舎の夜の街、という感じです。 大阪から福井に引っ越した当初、 夜の静けさと、暗さに驚いたことを思い出しました。 出身の山形を考えれば驚くようなことではないはずですが、 いつの間にか都会の感覚になっていたようです。 今、住んでいる岡山は、 丁度都会と田舎の両方を楽しめる場所、 そう考えると、このタイミングでここに来られたことは幸いでした。

偶然を待つ

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以前、たまたま見かけた橋の力強さに何枚か写真を撮りました。 丁度鳥が飛んできたので、うまくおさまればラッキー、 くらいの気持ちでシャッターを切ったのですが、 それがうまくいったようです。 もしも仕事と考えた場合、 もちろんラッキーではダメなのですが、 その時、 たまたま鳥が飛んでいて、 たまたまシャッタースピードや絞りの設定がうまくいっていて、 たまたま良いアングルの場所にいて。 写真家の人の言葉で、 良い写真を撮るためには待つことが重要というものがありましたが、 確かにそうなのかもしれません。 「来い、来い、あの辺に飛んで来い」と思いながら、 構えて待っていました。