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そんな場所ができました

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どちらかの誕生日には、 ある焼肉屋さんに行くようになりました。 というのも、誕生日特典がとてもおいしいから、なのですが。 なんとなくでも、そういうお店ができたことが、 少し嬉しく感じます。 大阪にいた時は、 そこまでの時間には少し足りなかったように感じます。 お店の数も種類も段違いですが、 そう感じられる場所ができるのには、 それは些細なことなのかもしれません。

コースター

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写真は、 お昼に行ったカレー屋さんのコースターです。 ゴムでできており、 丁度良いサイズのレコード型。 調べてみると、何種類かあるようです。

選ぶということ

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多分、ここ2、3年間に飲んだ缶コーヒーの量は、 それまでの数十年間に飲んだコーヒーの量の、 何倍もあったと思います。 最近沢山飲んでいる、という意味ではなく、 それまでほとんど飲まなかったという意味で。 種類が豊富だと自由に選べる、 とは私は感じないようで、 一体どれが美味しいの??? と考えてしまい、結局選ばずに他の飲料を飲んでいました。 そんな中、ひょんなことからTully'sさんをよく飲むように。 こういう変化も楽しいものです。

季節の野菜

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この植物は、アイスプラントというそうです。 表面に透明なキラキラとした水滴のようなものが確認できます。 所変われば品変わるとは言いますが、 山菜一つとっても、いろいろな種類があるなぁ、と考えさせられます。 最近になって気付いたことの一つに、 自分の好きな食べ物、があります。 好き、というと若干語弊がある気もしますが、 季節の山菜・野菜が好きなようです。 好き、というか、その季節のものは、その季節に食べた方が美味しい、 と身体が理解しているようです。 春になり、 様々な山菜が並んでいるのを見ると、自然に嬉しくなってきます。

Amazonの凄さ

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調べてみたところ、 ルービックキューブが売られ始めたのは、 私が生まれた年でした。 もうこれは、いろいろな意味でつながりがあるのだな、 と感じました。 揃えられるようになってみます。 何かに対して、自分で法則を見つけるということは、 (多くの場合、既に誰かが見つけているものですが) やはり楽しいと感じます。 これはどんな種類の欲求なのでしょうか。

ダイスを使って遊ぶ

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サイコロ、ダイスなどと呼ばれるモノです。 主にボードゲームなどで使用するわけですが、 その歴史や成り立ち、種類など、 調べれば調べるだけ、ネタはどんどん出て来そうです。 ちょうど小学校から中学校に上がった頃、 このダイスを使った「遊び」をやっていました。 今で言うところのRPG: Role Playing Gameの前身、 Table talk RPGというゲームにハマったことがありました。 ゲームとはいえ、テレビゲーム系のコンピュータを相手にするのではなく、 文字通り、人と話をしながら進めて行くゲーム。 数人で集まって、 一人がつくって来てくれたシナリオをベースに、 会話で展開して行く遊びです。 無言では成り立たないので、必然的に話します。 それぞれに役割(Role)があるので、 一人だけ話さない、と言うこともありません。 全員が話します。 演劇のようなものなので、楽しむためにはみんながキャラになり切ります。 その結果、話すことへの恥ずかしいという気持ちや、 うまくできるかなぁ、という不安がなくなったように思います。 だって、それはキャラクターがやっているのだから、という安心感です。 それはある意味、今の匿名によるネット社会に近いように思いますが、 完全に顔出し(直接会っているわけだから)しているので、 これ以上ないほど非匿名性な状態です。 そういうコトで鍛えられたコミュニケーション力はあるのかもしれない、 とふと考えました。

酸味はどこから?

なぜ、コーヒーに拘る人がいるのか、 以前からそれは不思議でした。 ただ、そこまで興味がなかった、 もっと正確に言えば、味の違いがあまり感じられなかったために、 興味を持てなかった、のです。 ただ、ここ一年ほど、ほぼ毎日と言って良いほど、 1日一杯は飲むようになり、 少しずつですが味の違いがわかるようになってきました。 もちろん、例えば、2種類用意して、その場で飲み比べればわかるのですが、 それは「わかる」とは違うように感じます。 そんなわけでコーヒーのお味についてですが、 ひょんなことから調べてみると、これがまたなかなかに興味深い。 特に、私自身、酸味については以前から気になっていたこともあり、 (というか、なんでこの飲み物、酸っぱいわけ?という感じに) それについて調べたわけですが、 「煎り方」や「挽き方」「淹れ方」それぞれにおいて、 酸味が強くなる方法(抑える方法)がある、ということにびっくりです。 「豆の種類」が関係することはもちろんです。 酸味だけでそうなのに、苦味やから何やらカニやらを考えたら、 そりゃもう、拘る人が出てくるだろうなぁ、と、 素直に感じることができました。

† じゃんけん †

英語のドラマを見ている中で、 登場人物たちが「じゃんけん」をするシーンが出て来ました。 日本では何かを決める際に比較的よく行われる行為ですが、 海外ではコイントスをすることが多く、 じゃんけんは稀、とのことです。 以前、英語の授業でも習った気がするのですが、 アメリカの一般的なじゃんけんの手は日本と一緒、 Rock-Paper-Scissorsのようです。 調べてみると、世界中で様々な方法があるとのこと。 特に、フランスは手が4種類だったり、 アメリでは101種類の手があるものも。。。 この辺りの詳細は様々な文献にお任せするとして、 重要なことは、何かを決める手法についての考え方です。 時代劇などをみると、「半か丁か?」というシーンがありますが、 あれもコイントスと一緒で、50%のどちらを選ぶか、というものです。 人間は何かを決める時、 考えても考えてもダメな時、 どれを選ぶか、という運に頼る、ということが、 少なからずある、ということになります。 その中でも、コインやダイスという道具を用いるものと、 人間の体を用いるものがあると思われますが、 どちらも意思決定のタイミングが異なるだけで、 「自分自身」が「決定の根拠のないところ」から「自分で選ぶ」ということが 共通要素です。 こういった決め方をするのは人間だけなのでしょうか?

⁂ 課題 ⁂

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課題(Question)を与えられて、 回答(Answer)を導き出していく。 大学に入るまで、また、大学の初年度などに行っていくことです。 ただ、高等学校とは少し変わって、 答えの形は、何種類かあることが多くなります。 業務上、学生と一緒に取り組む機会があり、 久しぶりにそういう場に自分を置くことになりました。 自分が学生だった頃は、何を考えていただろう。 どう思いながら取り組んでいただろう。 それに対して、今はどうだろうか。 そんなことを考える時間でした。