投稿

ラベル()が付いた投稿を表示しています

描く力

イメージ
以前、高畑勲展を見に行き、 監督と一言で言っても、 色々なスタイルがあるのだということを目の当たりにしました。 そもそも、「絵を描かない」ということで知られていたように、 監督業には必ずしも絵を描く能力は必要ないのかもしれません。 しかし、 デザインという仕事においては、 それは適応できないと実感しています。 描く力は生み出す力です。

共感覚

イメージ
なんとなく、 凛とした音が聞こえてくるような、 そんな印象の写真です。 色を見て音が聞こえるような、 共感覚のようなものは持っていませんが、 この絵にはこの音が、という一般的なイメージはあるのかもしれません。 その通りのモノが得られなければ違和感を感じるのでしょうが、 得られても、多分、当然のようにしか感じないのでしょう。 そういう事柄が多いのかもしれません。

好きなものを考える機会

イメージ
以前行った橋の下からの写真です。 何が良いのか、自分でも甚だ疑問ですが、 どうもこういうものが好きなのようです。 写真を撮るようになって、 自分が何が好きなのか、 対象が好きなのか、 写真に収まる絵として好きなのか、 撮り方が好きなのか、 色々と考えさせられます。 価値観にもつながります。

単焦点で学べること

イメージ
最初はKonicaの52mmのレンズしかなく、 しばらくその画角で撮っていました。 その後、たまたま広角が手に入り、 広い空間を撮れるようになりました。 広角や望遠など、言葉では理解していましたが、 現代のカメラは大体のものが多少なりともズームすることができ、 画角の制約はあまり感じることがありませんでした。 単焦点のレンズを持つようになって、 初めて、どういう絵として画面に収めるか、 自分の考えを内包することができるようになってきました。

OLYMPUSが見ている世界

イメージ
父が以前使っていたOLYMPUS OM-1。 現像に出していたフィルムが返ってきました。 本当に昔のプロダクトは素晴らしい。 何十年の時を経て尚、こんな綺麗な絵を残してくれるんだな、 とつくづく考えさせられました。 波の動きの表現に、 太陽の光の表現、 それらが相待って一枚の絵になっています。 これを撮る時、少なくとも私の目にはこんな絵には見えていなかった。 これはOLYMPUSというカメラのレンズという目が見た世界。

群像劇の一幕

イメージ
昨年末のある駅での一コマです。 みんな忙しなく動いている様が見て取れます。 群像劇として、全体が動いている絵は、 よくよく見てみるとそれぞれに物語があるようで、 面白く見えます。 ある人は急いで通過しようとしています。 親子連れは足の動きの速度の違いが見えます。 丁度通過している人はスケッチで描きたくなるようなバランスで立っています。 全員が何か一点に集中しているという絵も面白いですが、 全員がそれぞれの意思で動いていることが見える絵もまた、 興味深いものです。 そんな瞬間をどう切り取るのか、 それもまた大変に難しいショットです。

自然に生まれる線

イメージ
撮っている時には、そこまで意識していなくても、 現像した写真を見てみると、 思いの外強く線として意識させられるモノがあります。 この写真のS字の線、 撮っている時も見えてはいますが、 それよりも動いている人に目が行っていたことを覚えています。 写真という一枚の絵として切り出してみると、 人の存在はもちろん感じますが、 それ以上に、S字カーブや、 人の影に目が行きます。 ファインダーから見ている時にも、 そこに目がいくように、 自分自身を鍛えて行きます。

新しい目

イメージ
フィルムで写真を撮るようになって、 初めて撮影に必要な部品を実際に購入しました。 今までのレンズでももちろん問題なく撮れているのですが、 折角なので色々試したいと思っていたところ、 オークションに出ているよ、と教えていただきました。 今まで使っていた左側(Hexanon 52mm F1.4)に対して、 背が伸びたような右側(Hexanon 35mm F2.8)を購入しました。 ピンホールカメラは数円前にたまたま自分で買っていて忘れていたモノ、 銀塩カメラは祖父が使っていたモノ、 ということで、今回初めて自分の意思で購入しました。 正直、そんなに相場はわからないのですが、 そもそも、今時Konicaのレンズを持っている人がどれだけ少ないか、 ということはわかっています。 FMの発売が1964年であり、 その数年間しかつくられなかったわけですから。 ということで、購入できる金額だったことから、 思い切って買ってみました。 どんな絵が撮れるようになったのか、 楽しみでもあり、不安でもあり、 久しぶりにおもちゃを買った時のようなドキドキを味わっています。

一定時間を切り出す行為

イメージ
じっとしているつもりでも、 やっぱり体は動いてしまっているわけで。 プラスチックレンズによるブレと、 手の振動によるブレは、 とてもわかりやすく見分けがつきます。 以前も書きましたが、 写真とは瞬間を撮るものではない、とつくづく感じます。 一定時間を切り取るというのが近い表現なのでしょうか。 それは、以前カンディンスキーの絵を見たときに感じたことだな、 となんとなく思い出していました。

光の表現

イメージ
最近遊んでいるピンホールカメラで撮った一枚です。 すごく久々に飲み屋で食べたい、ということになり、 駅前で夕食をとることになりました。 天井から裸電球が吊るされているお店で、 その部分はそこそこの明るさがありました。 時間さえかければ写るかなと思い、 食べている傍らで、30秒ほど露光させたところ、 面白いものが撮れました。 絵で光を描いたり、 照明の様子を表したりする場合はありますが、 この写真のように描くことはあるかなぁ、 と考えさせられました。 何かを表現するための方法には、 実に様々なものがあります。 まだまだ色々知らなければなりません。