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自分の中に残す

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いつも懸垂をするために行ってる公園での一枚です。 あぁ、そんな季節なのか、と思うと共に、 最後にどんぐりを見たのって、いつだったかな、 と考えていました。 小さい頃、見つけては拾って帰っていましたが、 そうかそれは秋だったのか、 とか、 小学生の頃はどこを歩いた時に見つけたんだったろうな、 など、 拾ったという行為は覚えていても、 周辺情報は残っていない。 今からのことだけでも、 せめて自分の中に残していきたい、 そう感じました。

ピントに意思を込める

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シャンデリアを下方から撮影したものです。 私の目が良かったら、 もう少しピントが合うのかもしれない、 と考えるとやはり視力矯正を考えた方が良いのか、と感じたりもします。 幸い裸眼で生活できてはいるのですが、 もっともっと、と求めればきりがないのかもしれません。 今使っているKonica FMは、 ピントを合わせるという行為もまた、 とてもアナログで、完全に人間任せなものです。 つまり、人間の意思を介在させることができる、と考えると、 大変面白く興味深くも聞こえます。

探しながら歩く

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例えば容易には行けない場所を、映像で記録する。 写真のような島を上方から撮影する、 という特殊なシチュエーションではなくとも、 今、自分が住んでいる家屋の屋根を撮影する、 ということでさえ、通常は難しいものです。 そのように、容易には行けない、撮ることができないようなアングルから、 様々なものを撮影してみるということは、 ドローンの一つの大きなアドバンテージと言えます。 そういったものを探しながら歩く行為は、 フィルムカメラを持って散歩をする行為に、 近いものがあると感じます。

カメラの目

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現像された写真を見てみると、 撮影したその瞬間、 ジブンの目に映っていた世界と、 カメラの目に写っていた世界、 どちらが正しいのか、と考えさせられます。 自己満でしかありませんが、 綺麗だな、と思う写真が撮れた時、 撮った時、私の目にはこんな風に世界は見えていたのか、 と自問自答しています。 写真を撮る、ということは、 撮った瞬間を頭の中に焼き付けている行為なのかもしれません。

一定時間を切り出す行為

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じっとしているつもりでも、 やっぱり体は動いてしまっているわけで。 プラスチックレンズによるブレと、 手の振動によるブレは、 とてもわかりやすく見分けがつきます。 以前も書きましたが、 写真とは瞬間を撮るものではない、とつくづく感じます。 一定時間を切り取るというのが近い表現なのでしょうか。 それは、以前カンディンスキーの絵を見たときに感じたことだな、 となんとなく思い出していました。

行き交う

朝の情報番組を見ていたところ、 「ん?」というタイミングがありました。 画面には「交通量」と表示されていましたが、 音声では「通行量」と発音されていました。 気にすることでもないのでしょうが、 二つの言葉の違いを説明できないことに気がつき確認してみました。 それぞれ、うちの広辞苑によると量のつく言葉はありませんでした。 「交通」:人のゆきき、ゆきかよい。      運輸・通信の機関による人の往復、貨物の輸送、通信などの総称。 「通行」:通って行くこと。通ること。      一般に広く用いられていること。流布。 前者は、現象を表現し、 後者は、行為を表現しているようです。 しかし、ネットで少し調べてみると、 交通量・通行量は、それぞれ下記のように考えられているようです。 主に「徒歩」で通過する人々の数の場合は通行量、 主に「車両」の通過する数の場合は交通量、のように区別します。 なんとなくですが、印象としてはそのように伝わります。 ラングというよりはパロールなのかもしれませんが、 仕事から使い分ける場合などは有効そうです。

聞こえる、ということ

オーディオというものについては、 まだまだ全然知らないことだらけです。 しかしながら、いくつかの楽器に触れることがあったことから、 音、そのものについては少なからず感覚的に捉えている部分があります。 当たり前のことですが、音は空気の振動で伝わると言われています。 「音」を出す行為とは、 その行為によって、空気を振動させることを意味します。 空気の振動とは、大気中の物質の粗密が変化することであり、 その変化が、耳の中にある鼓膜を震わせることで、 行為によって発生した「音」が耳まで届いた、 つまり、聞こえた、ということになります。 当たり前のことですが、 この現象は、アナログなことであり、 デジタルなことではありません。 この2点から見てみます。

† 目を瞑る †

「瞑」という漢字があります。 昨日、たまたま打った中にあった文字なのですが、 「あ、つぶるってこう書くのか」と感じたため、メモしていました。 ただ目を閉じる行為のことですが、 それに「冥界」の冥の字を冠した言葉が付くなんて、とちょっと驚きました。 折角なので「瞑」を見てみると、、、 と思って調べてみると、漢字源の方には 「つぶ(む)る」という読みがないことに気がつきました。 「つぶる」と「つむる」の話もありますが、まずは漢字の方から考えます。 元々の漢字の読みにはなく、意味として、 「 目を閉じてなにも見えないさま。 」とあることから、 つぶ(む)る、という読みが与えられたのかな、と感じます。 因みに解字はこうなっていました。 ・解字:会意兼形声。「目+音符冥(メイ)(おおわれてくらい)」で、目をふさぐの意。 「 冥 」 ・解字:会意。「冖(おおう)+日(ひ)+六(入の字の変形)」で、日がはいり、何かにおおわれて光のないことを示す。また、冖(ヘ゛キ)(おおう)はその入声(つまり音)にあたるから、冖を音符と考えてもよい。 意味としては、冥界や冥府と並ぶ感は理解できますが、 それにしても、つぶる、という言葉の漢字に当てるほどなのか、 と、ちょっとした違和感も覚えました。

† 情報を処理する †

読み、ながら、 聞き、ながら、 観、ながら、 内容を理解する、ということ、 情報を処理する、ということは、 非常に複雑な行為だと感じます。 英語のドラマでそれをやってみていますが、非常に難しい。 一つは、 英語の不出来が大きな要因になっていることは間違いありません。 ただ、日本語でも同様のことが起こり得ると考えると、 情報処理に関する問題であるとも言えます。 Aという対象は、様々な形で情報を持っています。 A ∋ 文字情報, 音声情報, 映像、、、 動きを見ながら、科白を聞くことはできます。 しかし、 セリフを聞きながら、それを文字として読むためには、 感覚をつかむまでに時間が必要です。 何かがハマると瞬間的にわかるようになる、 そのハマる何か、とは何なのか。 英語の勉強をするとともに、 情報理解という観点からその部分についても考えていきます。