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文鎮

会話の中でたまたま出て来た言葉ですが、 文を鎮める、とはどういうことなのか、と思い調べてみたところ、 意味としては、「重み」の方に比重があるようでした。 「鎮」 会意兼形声。眞(シン)(=真)は「人+音符鼎(テイ)・(テン)」からなり、 穴の中に人を生きうめにしてつめること。 填(テン)(つめる)の原字。 鎭は「金+音符眞」で、欠けめなくつまった金属の重し。 思いがけず、いきなりきな臭くなりました。。。 折角なので追いかけてみます。 「 填 」 会意兼形声。眞(シン)(=真)は「匕(さじ)+鼎(かなえ)」の会意文字で、 器にさじで物をいっぱい詰めるさまを示す。 填は「土+(音符)眞」で、土を穴に詰めて満たすこと。⇒真 とにかく、器や穴に何かを詰める、という動作のようです。 それが、金属だったり、土だったりするようです。 「 真 」 会意。「匕(さじ)+鼎(かなえ)」で、匙(さじ)で容器に物をみたすさまを示す。 充填(ジュウテン)の填(欠けめなくいっぱいつめる)の原字。 実(シ゛ツ)はその語尾が入声(つまり音)に転じたことば。 と思っていたら、今度は、「匙で」と条件が。 少しずつ移りかわる事で、本当の要点がどこなのか、 という事が見えてくるのが面白いです。 「 鼎 」 象形。かなえの形を描いたもの。三足で、安定してすわる器のこと。 「かなえ」とは、三つの足と二つの耳のある器。 もと、なべや食器として用いたが、 のちには王侯の祭器、礼器となった、とのことです。 生活の必需品だったのかも、と考えると、 身近なところから生まれた言葉だったんだな、と感じます。 象形→会意→会意兼形声、という移り変わりもまた興味深いです。

会話の中で、「零」と「zero」の話になり、 調べてみてびっくりです。 解字 会意兼形声。令は、清らかなお告げのことで、清らかで冷たい意を含む。 零は「雨+音符令」で、清らかなしずくのこと。 また「雨+○印三つ(水玉)」とも書く(靈の上部と同じ)。 小さな水玉のことから、小さい意となった。 漢字の「零」は、インドで発見された、 所謂「zero」では、なかったんですね。 無ではなく、 微小であること。 ものすごい違いです。

「うきくさ」と読むそうです。 たまたま目にしたので、メモしていました。 早速漢字源で見てみると、次のような解字です。 会意兼形声。平は屮型のうきくさが、水面にたいらに浮かんだ姿。 萍は「艸+水+音符平」で、平のもとの意味をあらわす。 考えてみると、「平」という漢字、 なぜこれで「たいら」なのだろうか??と考えさせられます。 「平」 象形。浮き草が水面にたいらに浮かんだ姿を描いたもの。萍(ヘイ)(うきくさ)の原字。 また、下から上昇する息が、一線の平面につかえた姿ともいう。 モノが平な状態であることを示すために、 水面を表現するのではなく、 水面に浮かんだモノで表す、という考えは、 象形ではありつつも、隠喩的な表現になっており、 深いと感じました。

ネットでたまたま「罠」という漢字を見たのですが、 「目が横になったものの下に民?なんでだろう?」と思い確認してみました。 そんな何気ない気持ちだったのですが、 「え?!」という結果が。 「罠」 会意兼形声。「网(あみ)+音符民(見えない、目の見えない人)」。 「网」 象形。両わきの支柱の間に、×型にあみをはったさまを描いたもの。のち音符亡を加えて罔の字となった。罔や網の原字。 网は象形といことからも、確かにアミに似ているので、 まぁ、そういうものかと感じましたが、 問題(?)は民の方でした。 「民」 象形。ひとみのない目を針で刺すさまを描いたもので、目を針で突いて目を見えなくした奴隷をあらわす。のち、目の見えない人のように物のわからない多くの人々、支配下におかれる人々の意となる。また、人と結合して、「民人」「人民」と称する。 人民という言葉がそんな意味でつくられていたなんて、 と驚かされると主に、 民主党って、どういうことよ。 自民党って、どういうことよ。 という疑問が湧いてきました。 因みに「目」の形との組み合わせとしてこちらも載せておきます。 「眠」 会意兼形声。民は、目を↑型の針で突いくさま。もと逃亡を防ぐため、目を見えなくした奴隷のこと。眠は「目+音符民」で、民の原義を残した字。目がみえない状態となってねむること。瞑(目が見えない)はその語尾が転じた語。 「瞑」 会意兼形声。「目+音符冥(メイ)(おおわれてくらい)」で、目をふさぐの意。

† 目を瞑る †

「瞑」という漢字があります。 昨日、たまたま打った中にあった文字なのですが、 「あ、つぶるってこう書くのか」と感じたため、メモしていました。 ただ目を閉じる行為のことですが、 それに「冥界」の冥の字を冠した言葉が付くなんて、とちょっと驚きました。 折角なので「瞑」を見てみると、、、 と思って調べてみると、漢字源の方には 「つぶ(む)る」という読みがないことに気がつきました。 「つぶる」と「つむる」の話もありますが、まずは漢字の方から考えます。 元々の漢字の読みにはなく、意味として、 「 目を閉じてなにも見えないさま。 」とあることから、 つぶ(む)る、という読みが与えられたのかな、と感じます。 因みに解字はこうなっていました。 ・解字:会意兼形声。「目+音符冥(メイ)(おおわれてくらい)」で、目をふさぐの意。 「 冥 」 ・解字:会意。「冖(おおう)+日(ひ)+六(入の字の変形)」で、日がはいり、何かにおおわれて光のないことを示す。また、冖(ヘ゛キ)(おおう)はその入声(つまり音)にあたるから、冖を音符と考えてもよい。 意味としては、冥界や冥府と並ぶ感は理解できますが、 それにしても、つぶる、という言葉の漢字に当てるほどなのか、 と、ちょっとした違和感も覚えました。

† 曖昧 †

あいまい、という表現について。 それぞれの漢字について、解字を見てみます。 「曖」 ・意味:くらい(くらし)。日が雲に包まれてくらいさま。はっきりけじめがつかない。 ・解字:会意兼形声。旡(カイ)・(キ)は、胸がいっぱいに詰まってのけぞったさま。 愛はそれに心と夂(あし)を加え、胸が詰まって足もそぞろに進みかねる意を示す。 曖は「日+音符愛」で、日が雲にはばまれて進みかねること。 「曖」は同義語に「靉(アイ)」があるとのこと。 見たことあるかな?と思う漢字です。調べてみると、 靉は「雲が行きかねて止まる」という意味で、 同義語に「靄(アイ)」があるとのこと。 こちらも調べてみると「 雲やかすみがたちさりかねてたなびくさま 」 堂々巡りのようにも見えますが、 要は、自然現象によって見えにくくなっている状態のようです。 丁度出てきたので、「愛」の字も見てみます。 「愛」 解字:会意兼形声。旡(カイ)・(キ)とは、人が胸を詰まらせて後ろにのけぞったさま。 愛は「心+夂(足をひきずる)+音符旡」で、 心がせつなく詰まって、足もそぞろに進まないさま。 こちらはある意味、わかりやすく、そのままの印象です。 「旡」は珍しい漢字ですので、こちらも見てみます。 「旡」 解字: 象形。腹がいっぱいになって、ため息をつくさまを描いたもの。 この字形は、欠(腹がへってしぼむ)と反対である。 のち、ごちそうを示す部分をそえて、既とも書く。 現代の日本では用いない漢字ですし、 ちょっと印象とは違っていました。 他方、「昧」の方についても同様にします。 「昧」 解字:会意兼形声。未(ミ)・(ヒ゛)は、小さくて見えにくいこずえのこと。 昧は「日+音符未」。 「未」 象形。木のまだのびきらない部分を描いたもので、まだ…していないの意をあらわす。 こちらは素直にわかりやすい印象を受けます。 この二つの漢字から曖昧となりますが、 愛と雲のあたりはもう少し細かく見ていきたくなりました。

† 懇ろ †

画材を買いに地下鉄に乗っていると、 吊り広告に次の言葉が出ていました。 「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」 この言葉については別で取り上げるとして、 これに関連して、別府温泉の宣伝が続き、 その中に一節がありました。 聖書から「旅人を懇ろにせよ」 帰って調べてみると、 聖書のヘブル人への手紙の13:2からの引用とのことです。 "Do not forget to entertain strangers, for by so doing some people have entertained angels without knowing it." 「旅人をもてなすことを忘れてはならない。 このようにして、ある人々は、気づかないで御使たちをもてなした。」 これを「旅人を懇ろにせよ」とまとめる力、すごいと感じました。 漢字が持つ力、とも言えると感じます。 「懇」 解字 会意兼形声。上部の字(音コン)は深くしるしをつける意を含む。 懇はそれを音符とし、心を加えた字で、心をこめて深く念をおすこと。

‡ 健体康心 ‡

本日、健康の元の言葉として「健体康心」という言葉を久しぶりに聞きました。 色々なブログや記事でも出てくるお話ですが、その根本的な意味については、 表面だけの理解で良いのだろうか、と感じています。 まずは、『漢字源』(学習研究社/藤堂明保)からそれぞれの意味を引用しておきます。 『健』 会意兼形声。建は「聿(筆の原字で、筆を手でたてて持つさま)+廴(歩く)」の会意文字で、 すっくとたつ、からだをたてて歩くの意を含む。健は「人+音符建」。 建が単に、たつの意となったため、 健の字で、からだを高くたてて行動するの原義をあらわすようになった。 『体』 会意。形声。本字の體は「豊(きちんと並べるの意)+骨」。 体は「人+音符本」で、もと笨(太い)と同じくホンと読むが、 中国でも古くから體の俗字として用いられた。 尸(人の横に寝た姿)と同系で、各部分が連なってまとまりをなした人体を意味する。 のち広く、からだや姿の意。 『康』 会意兼形声。康は「米印+音符庚(糸巻きのかたいしん棒)」で、 かたい筋のはいった穀物の外皮のこと。糠(米ぬか、もみがら)の原字。 転じて、じょうぶでかたい。筋が通っているなどの意となる。 『心』 象形。心臓を描いたもの。 それをシンというのは、沁(しみわたる)・滲(しみわたる)・浸(しみわたる)などの同系で、 血液を細い血管のすみずみまで、しみわたらせる心臓の働きに着目したもの。