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数値で比較できる便利さ

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普段フィルムカメラで撮るようになると、 改めてデジタルカメラの便利さに気付かされることがあります。 連写って、すごいな、と。 フィルムカメラにも自動で巻き取るものがありますが、 速度的には全く比較になりません。 では、フィルムの方が数値的に優れている点は? と自問してみます。

良い加減

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こういうところがデジタルカメラは面白いと感じます。 それと同時に、 人間の目の良い加減さも。 この良い加減は、本当に「良い」加減なのでしょう。 便利です。 ロボットが共存する社会になったら、 こういうところにも、 違う考え必要そうです。

二つの目を

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以前、スマートフォンでも撮ったユキヤナギです。 祖父のKonica FMで隙間から撮ってみましたが、 程よいボケが手前と奥にできています。 今のスマートフォンは、 擬似的なボケを綺麗に付けてくれるものがあります。 現状で少し不自然に見える部分も、 やがてもっと自然に見えるようになるのでしょう。 ただ、今の自分の気持ちとしては、 その便利な部分も楽しみつつ、 昔からある、自然な雰囲気も楽しめる目を持ちたい、と感じています。

不便性が生む効果

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現像に出していた写真が帰ってきました。 年末年始の頃から出していなかったわけですが、 今見てみると、あぁ、こんなことがあったな、 と懐かしく感じます。 撮った直後に見ることができないという不便性が、 思い出させる、という効果を生みます。 良い悪い、ということではなく、 それぞれが持つ効果を理解し、 使うことが大切だと感じます。

砂利道の先に

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岡山の家には庭が付いており、 自転車はその庭に置いています。 車通りから、家の横の細い砂利道を進むと 庭の側面にアプローチできるため、 いつもそこから自転車の出し入れをしています。 これがなんとも便利で、且つ安全です。 家を借りる時はそれに気付かなかったため、 まぁ、家の中を通って出し入れすれば良いかと考えていました。 今考えてみると、絶対面倒だったろうな、と感じます。 その砂利道の先、 奥の家との境の辺りに、 写真のような小さな木が育っています。 まさに、育っている、 という感じで、特に植えたわけでも何をしたわけでもないのですが、 季節に合わせて紅葉し、 静かに佇んでいます。 これがまた、この砂利道を気に入っているところです。

移動を楽しく

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昨年、自転車のレースに出た時の写真です。 現在の乗っている車を決める際、 決定する大きな要因になったのはそのプロモーションムービーでした。 CLAのトランクを開け、 ロードバイクをスッと積み込むシーンが印象に残り、 あ、これにしよう、と一発で決まりました。 2台収納して移動することができるので非常に便利です。 大阪に住んでいた時は、京都の南部に車を駐車し、 そこから二人で京都市内まで出たりしていました。 MercedesもGIANTも、 共に私の大切なアイテムです。

本を買う、ということ

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備前焼を見に行き、 なんとなくという自分の気持ちで選び、 小さいモノではありますが、購入してきました。 その経験を通して、自分自身が何も知らない、 ということを改めて考えさせられました。 今を生きていて、本当に便利だなと感じるのは、 やはり書籍を購入する時です。 大学時代は古本屋数軒をよく梯子して、 なんとか関連書籍がないかと探していました。 図書館よりも古書店での並びを覚えていたようです。 今は、Amazonで探し、買い求めることができます。 この写真の本に至っては、無料で手に入れることができました。 これは本当にすごいことです。

適切な重さ

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ピンホールカメラの重量が約150gであるのに対して、 Konica FMは約1kgあります。 現代でもびっくりの重量ですし、 もしかしたら当時でもびっくりの重さだったかもしれません。 しかし、その重さがあるからなのか、 ブレにくいのは事実です。 脇をしっかりと締めて構え、 ゆっくりの押し込むとブレずにシャッターを切ることができます。 レンズがあることでピントが合う、 ということに感動したわけですが、 その要因の一つとして、この重量があると感じます。 軽ければ持ち運びしやすく便利であることは間違いありませんが、 モノの適切な重量、というのは重要なことです。

曖昧な空間

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岡山の家の横の砂利道です。 道、と言ってもすぐ突き当たるので、 私たち以外が入り込むことはありません。 ここから庭に自転車を運び込んだり、 その逆をやることで、結構便利に使えています。 何よりも、横の家とこれだけのスペースが空いている、 という点が、意外と良いのかも知れません。 ピンホールカメラで撮ったため、薄暗くボケていますが、 私の中でのこの空間は、まさにこのような印象です。 曖昧な境界としての空間。 結構好きかも知れません。