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ロボットの目で

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人間の目はとても曖昧なもので、 水の流れなど、こんな感じにブレて見えます。 ロボットの目で見たら、どう見えるのでしょう。 連続しているという認識がなければ、 瞬間毎に切り出されて記録されるのか、 そもそも映像という連続したものをどのように記憶するのか、 処理すべき情報が格段に多いように感じます。

迷子

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中央あたりになんとなく、 そんな感じのフォーカスになってしまいました。 現像してみた写真の構図は面白いな、 と感じますが、 フォーカスが迷子になっています。 この時、自分は何を考えながら撮っていたのかな、 という記憶があるうちに現像しないといけません。

自分の中に残す

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いつも懸垂をするために行ってる公園での一枚です。 あぁ、そんな季節なのか、と思うと共に、 最後にどんぐりを見たのって、いつだったかな、 と考えていました。 小さい頃、見つけては拾って帰っていましたが、 そうかそれは秋だったのか、 とか、 小学生の頃はどこを歩いた時に見つけたんだったろうな、 など、 拾ったという行為は覚えていても、 周辺情報は残っていない。 今からのことだけでも、 せめて自分の中に残していきたい、 そう感じました。

単位の値

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食パンというと、 まだ実家にいた小さい頃、 数ヶ月に一度くらい、おじいちゃんが食べたがって、 山形市内のパン屋さんから 一斤、買ってきたように記憶しています。 この「斤」という単位、 どうやら、時の流れとともに、 値が変化したようです。 最近パン屋さんを覗いた時に、 一斤として販売されているモノの量が、 以前とは明らかに違うな、と感じたのは 間違いではなかったようです。

意識して記録する

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昨晩、たまたまミシンの話になりました。 知っているメーカー名を数社あげてから、 さて、今はどんなメーカーが出ているのか、 と改めて検索してみると、 ほとんどの商品が、検索前にあげた企業さんのモノでした。 あぁ、そういう領域もあるのだなと思いつつ、 その中で商品を改良し、デザインしていく難しさを感じます。 以前、古道具屋さんを回った時にも、 ミシンはありましたが、 自分の写真の中にそれらが入っていないことに驚愕。 記憶してはいても、記録していない。 留めなければいけないと考えさせられました。

その時の事

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このシーンを撮った時、 どんな様子だっただろう、と考えていました。 何かで苦労したはずなのだが、、、 そう、風がものすごく吹いていて、 一瞬たりとも花が止まっていなかったのです。 そのまま、その様子がわかるようにも撮れますが、 この時はなんとなく、速めのシャッタースピードで撮ったことも、 覚えています。 その結果、花は普通に止まったように記録され、 その時の事を忘れていたようです。 そんなところに記憶が乗るのか、 と驚かされました。

記憶と記録

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昨年末、帰省するために東京へ向かった際、 久しぶりに飛行機に乗りました。 夏に一度沖縄に向かっているのですが、 色々とバタバタしていたからか、 あまり印象に残っておらず、、、 今回の方が記憶に残っているようです。 記憶に残っている内容を、 写真という形式で記録にも残すことは、 強く印象に残るように感じます。 今のデジタルカメラではまた別な形になるのでしょうか。

適切な暗さ

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写っている街灯の光り方と、 自分の記憶ではすでに結構暗い時間だったと思います。 しかしながら、シャッタースピード遅めで、かつ、 うまく固定できていたからか、 だいぶ明るく写ってしまいました。 自分の目で見ていた明るさ・暗さの通りに写し取ることは、 なかなか難しく、まだまだできていません。 露出計がない、または壊れているカメラばかりを使っているので、 自分の感覚を鍛える以外ありません。 それが面白くもあり、歯がゆくもあります。

雨の記録

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なぜこんな写真を撮ったのか。 そう思い出すと面白いことがあります。 この写真は、自転車で大学から帰っている途中、 珍しく急に雨に降られ、雨宿りしていた時に撮ったものです。 岡山に来て以来、そもそも雨が少ないということに加えて、 突然想定外に降ることも少なかったので、本当にびっくりしました。 その意味も込めて撮影したものです。 小さい頃の写真のイメージとは、 思い出を残すモノ、でしたが、 最近ではもっと違うものを残す様になった気がしています。

トマソンのように見える空間達

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大学生の頃、トマソンのように感じられる空間に、 惹かれた時期がありました。 街中を散策してレポートをまとめるような授業でも、 そういう空間のみを撮影し、 「トマソンのように見える空間達」というタイトルでまとめたことを、 今でも覚えています。 不思議に感じつつも、何か惹かれる空間を、 ごく自然に取り上げたレポートでしたが、 着眼点やタイトルに興味を持ってもらえたことを記憶しています。 気がつくと、フィルムカメラでもそういう空間を追っていることに、 気づかされました。

低彩度の佇まい

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紅葉を見に行く途中、 突然写真のような場所が出現しました。 地図で見ても、特に施設名などは出て来ず、 完全に閉鎖されたところのようでした。 なんともワクワクする佇まいに思わず車を停め、 写真を撮ってしまいました。 ここでふと感じたのは、 土埃に汚れ、彩度が落ちてしまったこの施設は、 モノクロフィルムでも、カラーフィルムでも、 印象は然程変わらないのでは、ということです。 もしかすると、色に纏わるものならまだしも、 普通の景色に対する記憶なども同様に、 カラー情報というものはそこまで重要ではないのかもしれない、 と考えさせられました。

風習

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所変われば、ではありませんが、 お盆などの行事に関しては、 その場所その場所の特徴が強く出てくるように感じます。 たまたまスーパーに寄った帰り、 その入り口で「盆舟」というモノを見つけました。 ん?盆ということはお盆に使うのかな? とは思いつつも、聞いた記憶がなく、 その場にあった資料などを見てみると、 やはりお仏壇の前に、お供え物を乗せて置き、 ご先祖様を迎えるためのもの、とのことです。 舟を形作っている植物は「真菰」とのこと。 こちらも、名前はどこかで聞いたことがあったなぁ、 というくらいで、断面を見てもピンと来ませんでした。 まだまだまだまだ知らないこと、学ぶべきことがいかに多いか、 日々考えさせられています。

学舎

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岡山にある、閑谷学校というところを訪ねました。 ある先生からお話は伺っており、 どんなところなのか、 どんなところに見所があるのか、 多少なりとも頭に入ってはおり、 私自身、以前から資料などは見たりしておりました。 (確かだいぶ以前に見たこともあったと記憶していますが、、、) 今回改めて自分の足で訪れ、 一つ一つ見ていくと、 「あぁ、こんな学舎で習い、世の中に出て行った人が沢山いたのか」と、 とても考えさせられるものがありました。 折に触れ、少しずつ話していきますが、 建物とは別に強い衝撃を受けたことに一つは、 その学習時間と内容です。 夕方、16時から18時までの休憩時間以外は、 朝の7時から夜の22時まで、 只管テキストを音読し、暗唱できるようにした、 とのことです。 そのテキストとは、いわゆる四書五経であり、 説明を読んで思わず、その場で立ち尽くしてしまいました。

音楽を聴く方法

音楽を聴く方法はいろいろあります。 今ではスマホで音楽を聴く、ということは、 スマートフォンをフルに使っている人にとっては、 すっかり一般化していると感じます。 そういった方法が育っていきつつも、 未だに以前からの方法が残っている、という点において、 オーディオの世界は面白いのかもしれません。 私が音楽を楽しんだ、一番古い記憶はカセットテープです。 聞いていた曲は今でいうJpopです。 そこからCDになり、データになり(CDも中身はデータですが)と変化を続け、 今では完全にiPhoneの中に入っている音を聞いています。 今回、レコードプレイヤーを譲っていただいた関係から、 初めて自分の家でレコードを聴くことができるようになりました。 少しずつ楽しんで行きたいと考えています。

† 強い印象が記憶に残る †

体が覚える、 ということと、 非常に印象的で記憶に残っている、 ということは、 ともに「人間」ならではなのでしょうか。 AI技術が様々なことを学習し、 それを活用して問題を解決する過程において、 上記のようなことは発現しないように感じます。 では、人間にとって、上記のようなことは「必要」なことなのでしょうか。 人間は非常に曖昧な存在です。 (曖昧、という言葉も明らかにしたい) 体が覚えるくらいにやり込めば、 正確にできるようになります。 別な言い方をすれば、それは、 目的に応じた動きを体ができるようになる、 つまり、そのための筋肉が養われている、ということです。 印象的なことが記憶に残る、というのはつまり、 これまでとあまりに違うために、 「記憶しておいた方が良いのではないか」と脳が作用するのでしょうか。 それはある意味、生きていくために必要な能力、と言えるのでしょうか。