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装飾的な意匠

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チョコレートのパッケージです。 こういう装飾的な造形は、 自分でやろうと思ってもうまくできません。 パッケージのデザイン、という表現をすると複雑になりますが、 意匠が持つ一つの力とも言えます。

プロダクトとインフォグラフィックス

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パッケージについて、少し触れたことがありました。 これはApple pencilの内側のパッケージの様子です。 プロダクトそのものとインフォグラフィックスが、 バランスよく収まっています。 ただ固定するのではなく、 そこに意味を与える。 そういうことの積み重ねが洗練された印象を生むのでしょうか。

見せ方・魅せ方

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飲み物を売っている小さなお店での一枚です。 揃いのパッケージで並んだ様子が、 店内の照明とも合っており、 とても感じ良く見えました。 頑張っているお店は、 探せばいくらでも出てくるようです。 つまり、 如何に見せるか、は重要です。

パッケージとプロダクトの関係

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新しいモノが届くと、 多くの場合それはパッケージに包まれています。 商品を取り出す前に出会うパッケージは、 より中のプロダクトを際立たせるモノであって欲しい、 そう感じます。 ということは、 単純にパッケージが大したことなければ、 中身を見たときにより大きな喜びがある、 ということは言えるのでしょうか。 それよりは寧ろ、 美しいパッケージでテンションが上がり、 中身を見て、さらに喜びが増す、 そんな関係の方が望ましいことは言うまでもありません。

細部に見える

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把手一つでも、 デザイナーさんのキャラクターが出るようです。 色々なプロダクトを見ていても、 細部に何かが宿っているように感じることが往往にしてあります。 Rの取り方、 表面の仕上げ、 端部の処理など、 その全てにつくり手が見えて来るのが、 良いデザインなのかもしれません。

描く力

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以前、高畑勲展を見に行き、 監督と一言で言っても、 色々なスタイルがあるのだということを目の当たりにしました。 そもそも、「絵を描かない」ということで知られていたように、 監督業には必ずしも絵を描く能力は必要ないのかもしれません。 しかし、 デザインという仕事においては、 それは適応できないと実感しています。 描く力は生み出す力です。

意識して記録する

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昨晩、たまたまミシンの話になりました。 知っているメーカー名を数社あげてから、 さて、今はどんなメーカーが出ているのか、 と改めて検索してみると、 ほとんどの商品が、検索前にあげた企業さんのモノでした。 あぁ、そういう領域もあるのだなと思いつつ、 その中で商品を改良し、デザインしていく難しさを感じます。 以前、古道具屋さんを回った時にも、 ミシンはありましたが、 自分の写真の中にそれらが入っていないことに驚愕。 記憶してはいても、記録していない。 留めなければいけないと考えさせられました。

「これ!」というモノとの出会い

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醤油差しを探していました。 そういうショップに寄った時は、 いつもどういうモノがあるか見ており、 一昨日もたまたま寄ったインテリアショップでガラス製の綺麗なモノがありました。 それでも、うーん、どうしようか、となかなか決められずにいたのですが、 たまたま昨日、この子を見つけました。 というか、「そうか、これがあるじゃないか」と改めて気付かされました。 これ、というモノに出会うことの嬉しさを感じていきたいです。

所有欲を満たすデザインの存在

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今私が使っている一眼レフは、 Konica FMというもので、Konica Fの流れを汲むものとのことです。 といっても、実はKonicaのFシリーズはそんなに数がなく、 Konica Fマウントに対応したレンズも種類が少ない状態です。 しかし、考えてみると、最初に始めるカメラ、としては最適だったかも知れません。 選択肢がないということは、選びようがない、ということであり、 例えば、広角が欲しい、望遠が欲しい、と思ったら、 2、3種類から選ぶより他にないからです。 つまり、まだ知識が不十分な状態でも、 必然的に、必要なものを選ぶことができるようになっています。 そのお陰か、現在は、 標準はHexanon 52mm F1.4、 広角はHexanon 35mm F2.8、 望遠はHexanon 135mm F3.5と、なんとなくですが一通り揃って来ました。 そもそもが重量級のカメラですから、 換えのレンズもそれなりの重さがあります。 いちいち持っていくのは面倒なはずなのですが、 どうしてこうも楽しいのでしょうか。 デザインが持つ、所有欲を満たす力を、 常に感じながら使っています。

所有する喜び

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今回、カメラを試すようになって初めて、 オークションを利用するようになりました。 ヤフオクという名前はもちろん知っていましたが、 自分で使用することはありませんでした。 ただ、今回のようなモノを取り扱う場合は、 こういったシステムは非常に使い勝手が良いと感じています。 その流れで、幸いにも、 欲しいと思っていた機種の一つを手に入れることができました。 Leica IIIfとElmar 50mm F3.5です。 バルナックライカの定番中の定番ですが、 今回、フィルムカメラで撮るようになってから、 やはり、その定番を是非、一度は使ってみたいと考えるようになりました。 プロダクトデザインに関わる人間の一人として、 所有する喜びを感じることができるモノの存在は、 非常に大きいと考えています。 それを手にすることの大切さを、 また教わることができました。

ボケを使う

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同じ展示会場でも、 ボケている人とボケていない人で、 伝えられるメッセージが変わってきます。 暗めの会場内でシャッターを切り、 その中で全くボケずに写っている、ということはつまり、 その展示に釘付けになっている、ということを、 暗に示すことができます。 もちろん、実際にその人がどうだったのか、 それはわかりません。 それでも写真を見た人に私の考えを伝えることはできる。 そう考えると、非常にデザイン的であると、捉えることができます。

それが誕生した頃のモノ

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今、私が使っているカメラもそうですが、 昔のモノ、それ自体が誕生した初期のモノというのは、 色々な部分が必然でつくられています。 内部の仕様であったり、成形方法によるものであったり。 その上で、少し色気を出したように、 ちょっとした加工が施されている。 ある意味それはデコレーションなのかもしれませんが、 もしも、私が当時、モノづくりの現場にいたならば、 それは、あくまでもデザインであって、 デコレーションなどではない、と考えているかもしれません。 そういう意味で、モノづくりの現場は、今とは違ったかたちの 面白味があったのかもしれない、と感じます。 これは、家の近くにある動物園の中に展示されていたミシンです。

アノニマス?

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芸術の秋、ということなのでしょう、 岡山県内でも色々なところでイベントが開催されていました。 その中の一つに、 岡山芸術交流 OKAYAMA ART SUMMIT 2019というものがあるのですが、 市内の様々な場所に点在する形で展開されていました。 旧内山下(うちさんげ、読めないです)小学校にて発表されていた、 いくつかの作品を見て来たのですが、 やはり、逆に色々と考えてしまいます。 慣れと相性が必要なのかもしれません。 その小学校内にあった、一つのポスト(?)。 それに惹かれました。 各所のプロポーションと、 そこに付いている一錠の鍵。 その可愛らしさに興味を覚え、撮ってみました。 アノニマスなのか、 デザイナーさんがいるのか、 古いモノなのか、 新しいモノなのか、 調べてもいないのでわかりませんが、 こういったモノに惹かれるのは、 デザインなのかもしれません。

アートとデザイン

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よく作品展の情報をいただき、美術館に見に行きました。 太田三郎という方の作品で、 切手を使って表現する、というものです。 現代アートは、ついつい「理解できない」ということを考えてしまい、 腰が引けてしまうのですが、 この方は元々がデザイナーということからか、 何かすんなりと受け入れることができました。 アート、特に抽象的な作品に関しては、 100人いれば100通りの受け取り方があるのが良い作品、 という話を院生時代に聞いて以来、だいぶ気楽になりました。 その人が受け取るように受け取れば良い、という主観の世界。 デザインとの差異を強く感じます。

貯水

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宿泊したホテルのトイレ横に、 写真のようなタンクがありました。 非常時に流すようの水、とのことで、 常備されているようです。 これは飲むことはできない、とあります。 元々の水がどのようなものかはわかりませんが、 そう記載することで、中を交換せずとも置いておける、 ということかと思います。 このホテルがいつからこのような備えを行なっているのかはわかりませんが、 今は、各所でこのような対応がされているようです。 新しいサービスが生まれるということは、 そこに新しいデザインが必要になると考えます。

洋書

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大学の一室に、洋書販売の業者さんがいらしてくださり、 新刊の即売会のようなものが行われました。 時間の合間を見て書籍を確認し、 講義や研究で使えそうなものを数冊購入するというものです。 眺めていると、 あれも、これも、と思ってしまいますが、 もちろんそんなに購入できるはずもなく、 数冊を選んで購入しました。 見た限り、数百冊近い書籍が並んでいたと思うのですが、 驚いたのは営業さんの受け答えです。 何気なくどんな本なのかを聞いてみると、 その本の中身、というよりも、 その中で使われている写真が撮りおろしであることや、 以前出ていたものとはこういった点で異なる、など、 概要+αの応えを返してくださいました。 素晴らしい能力です。

都心を巡る

都内の様々なインテリアショップに連れて行ってもらいました。 4人という、色々な視点からモノを見て、 自分自身の中の色々な視点からモノを見て、 目がある視点:eye-pointと、 対象物にある:view-point、 実に様々な組み合わせがある中で、考えを巡らせることができました。 自分が本当に欲しいモノはなんなのか、 継続的なインプットとアウトプットのバランスが重要です。

⁂ 血中酸素 ⁂

黄砂の影響からか、 久しぶりに非常に強いアレルギー反応を体感しています。 元々、小児喘息を患っていたことから、 咳には弱く、一度気管支を痛めてしまうと、 暫くの間呼吸をしても血中の酸素飽和度が100%にならなくなります。 以前、病院に行って計測した際に気づいたのですが、 血中酸素飽和度は、100%が基本であり、 それから1%、2%下がるだけで、息苦しさを感じます。 全力で走った直後のような感じが、ずっと続く状態です。 経験則でしかありませんが、今の状態は多分、97%から96%だと感じます。 機器としてはパスルオキシメーターというものを使って、 経皮的に動脈の血酸素飽和度を計測することになります。 以前は、万オーダーだったと思うのですが、 現在では数千円で購入できるようです。 私の場合は実用的なので、一つ購入してみようかと考えたのですが、、、 この中から選ぶのか?という印象です。 デザイナーが入るべき領域、または、 デザインを吟味すべき領域は、 やはりまだまだあるのだと感じます。

‡ リバタリアン・パターナリズム④ ‡

人の思考の種類には、 「自動システム」と「熟慮システム」があるそうです。 前者は「直感的で自動的な思考」と言い、 後者は「熟慮的で合理的な思考」と言うそうですが、 モノをデザインする場合は、 その双方に対して誤解なく情報を伝えることは肝要です。 例えば、何か道具を扱う場合を考えてみると、 この両者はともに、同じ答えに辿り着くことが望ましいと言えます。 特に、咄嗟に使用するようなモノについては、それは顕著です。 消火器のような災害時にしようするモノに関しては、 直感的で自動的な考えで使用方法が理解できなければ意味がありません。 そう考えてみると、 殊、道具に関しては、直感的で自動的な思考で正しい判断ができるように、 そのものがあれば、間違いは生じないようです。 逆に、デザイナーが関与した場合に、 熟慮的で合理的な思考が必要なモノは、 良いデザインとは言い難いように感じます。

‡ リバタリアン・パターナリズム② ‡

libertarianとpaternalismの合成語としてつくられた言葉ですが、 単純な意味としては矛盾しているようにも感じらます。 ただ、丁寧にその意味や考えの依拠するところを明らかにしていくと、 現代的な意味性を感じ取ることができます。 書籍から単語や文節を抽出し、整理してみます。 "選択ア ーキテクト" "「中立的 」な設計などない" "ナッジ" "人は一般に自分がしたいと思うことをして 、望ましくない取り決めを拒否したいのなら 、オプト ・アウト (拒絶の選択 )する自由を与えられるべきである" "人々がより長生きし 、より健康で 、より良い暮らしを送れるようにするために 、選択ア ーキテクトが人々の行動に影響を与えようとするのは当然である " "相対的に弱く 、ソフトで 、押しつけ的ではない形のパタ ーナリズム" "必要なのはバイアスのない予測をすることだ" 人がより良い生活を送るためにベストな選択を、 自然に行えるように誘導すること、 という言い方ができると感じます。 それは、デザインの視点に立って観た場合、 必然とも言える内容です。