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ほんの少しズレた場所

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知らない場所を走るのが好きです。 自転車を手に入れてからは、 自分のその感情を強く感じています。 今日もまた、 ほんのちょっと足を伸ばしただけで、 初めて見る景色に出会えました。 いつも生活しているところの、 ほんの少しズレた場所。 そこに気が付ける自分でいたいと感じます。

自然が染み込む

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ハグロトンボ、というようです。 今朝、家を出て横の通路を通っているところで見つけました。 たまに見かけますが、いつも非常に静かに飛んでおり、 一体何グラムなんだろう、と感じます。 昆虫自体はそんなに得意ではありませんが、 こんなように見かけると、 生活の中に自然が染み込んでいるようで、 心地よく感じます。

ピントに意思を込める

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シャンデリアを下方から撮影したものです。 私の目が良かったら、 もう少しピントが合うのかもしれない、 と考えるとやはり視力矯正を考えた方が良いのか、と感じたりもします。 幸い裸眼で生活できてはいるのですが、 もっともっと、と求めればきりがないのかもしれません。 今使っているKonica FMは、 ピントを合わせるという行為もまた、 とてもアナログで、完全に人間任せなものです。 つまり、人間の意思を介在させることができる、と考えると、 大変面白く興味深くも聞こえます。

見慣れているモノ

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岡山駅付近にあった交通信号制御機です。 綺麗な紫色に塗装されています。 先日は、島根城付近の黒色のポストを見ましたが、 普段とは違う色になっていることは、 大きなインパクトになります。 色が情報を持っている、 色という情報に重要性がある、 様々な表現ができるところですが、 見慣れている、ことによって、 その部分の情報を考えずに生活できるようになっている ということは言えそうです。 人間の「慣れ」という重要な要素です。

店舗の移り変わり

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以前、福井に住んでいたときにあった商業施設の中の店舗が、 新しくなっていました。 一つは、各所に増えて来た書店とカフェが併設した施設です。 実際、いくつかの場所で見ましたが、 この業態が継続するためにはバランスが重要そうです。 金額として見えるかたちになっている「アウト」と、 知識や経験として見えないかたちになっている「イン」のバランスが、 個人の中で成立していると感じられれば継続しそうに思います。 もう一つは、海外の食料品などを取り扱っている店舗です。 これも色々な場所にあるため、岡山でも良く利用していますが、 物珍しさだけでなく、 生活の一部として定着すれば長く続くように感じます。 また行くのが楽しみです。

自分にとってのコーヒー

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コーヒーをよく飲むようになったのは、 一昨年くらいからです。 それまでは紅茶や中国茶、緑茶が多かったです。 飲めないわけではなかったのですが、 お茶ほど違いを感じることができず、 なんとなく遠ざけていました。 ただ、生活が変わってよく飲むようになってからは、 少しずつですが自分なりに違いを感じられるようになり、 新しい楽しみになりつつあります。

人の気配

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人物や生物を写真におさめるのが楽しいのですが、 なかなかそう上手くもいきません。 ただ、例えばそこに生活を感じることができたり、 人がいる、人がいた気配を感じることができれば、 それは同様に面白い写真といえる様です。

自動調整

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夜間、自動車が通っているところを、 なんとか撮ろうとした一枚です。 ピンホールでは難しい、ということもありますが、 寧ろ、この写真を見て感じることは、 人間の目の性能の良さです。 夜間に暗いとはもちろん感じるわけですが、 生活が困難なレベルにはまだなりません。 そういった調節を自動で行なっているということに、 人体のすごさを感じます。

実家の畑で採れるもの

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実家から写真が届きました。 昨日採れた夏野菜、とのことです。 季節ごとの食物を摂取するという行為は、 まさに人間が古くからやってきたことです。 その時、そこになるものを食べるより他になかった、 ということが始まりだとしても、 それが最も効率良く生活を回していくことができるわけです。 つまり、人間の体も、そのように出来上がっていきます。 しかし、保存したり、いつでも収穫できるようになったりした現代、 この生活が長く続けば、人の体もまた変化していくことでしょうか。 それは、なんとも寂しいように感じます。

† 保つ †

例えば、部屋を綺麗にしておく、 棚の上を整理しておく、 机の上に物をのせない、 などなど、 生活環境・職場環境をある状態で保つ、ということは、 すごく大切なことです。 毎日、終わったタイミングで、 最初の状態に戻すことが重要です。 それでも次第にモノは増えていきます。 何が、どこにあるべきか。 一つ一つ、それぞれの在るべき場所を定めることで、 保つことができます。 最初が肝心です。 自分の場所をちゃんとしていこう、と考えています。

⁂ 風景 ⁂

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風景 情景 光景 そのうちの、風景についてです。 今まで、いろいろな場所で生活をしてきました。 今回、岡山に来て初めて夕暮れを意識した気がします。 同じ日本なのに、なぜ、こうも違うのか。 何が違うのか、と聞かれたら、、、 なんなのでしょう? 正直、うまく言えないのですが、 でも、やはり、何もかもが違って感じられ、 でも、ある意味、一緒に見える。 そんな風景の中にいるなぁ、と感じた合宿でした。

⁂ 通勤 ⁂

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今、私が通勤に使っている最寄り駅からの風景です。 住所がある市は政令指定都市であり、 家から出て、一回角を曲がればコンビニがあり、 二回角を曲がって歩けば様々な飲食店が並ぶ、 そんなところではあるのですが、 一方でこんな風景もあります。 今まで色々なところに住んできて、 中国地方は初めてになりますが、 本当に今まで生活してきたところとは違う所があり、 面白いなぁ、と日々感じています。 住む場所によって、スケール感が変わってきます。 例えば、都会での5キロと、 地方都市での5キロ、 はたまた、田舎での5キロ。 全部、距離は一緒なのに、意味が変わるように感じます。 これから生活するところでの5キロはどんな意味を持つのか、 今から考えていくのが楽しみです。

‡ 現代におけるAIを考えてみる⑧ ‡

機器に何かを理解させるためには、 機器が理解できる言葉に翻訳する必要があります。 これは、大変な作業である、と言われていますが、 普通の人間同士の生活の中でも必要なことです。 企業の人とのコミュニケーションや、 学生や同僚などとの会話、 様々な場面で普通に必要になることです。 私自身、現在、英語を改めて学んでいますが、 そういった母国語とは違う言葉とのコミュニケーションにおいても、 翻訳(自身または他者による)は非常に重要です。 しかし、言語が違う人間同士の場合と、 人間と機器との場合との一番大きな違いは、 文法や単語を置き換えることでは解決できない、ということです。 そんな中で、これまでとは違った解決案も出てきたようです。

‡ 現代におけるAIを考えてみる⑥ ‡

インターネットが発達したコトで、 AIの研究が進んだ、という現象の背景には、 機械学習という方法論の導入があるそうです。 以前は、三段論法の積み重ねが思考の基本と考えられていたそうですが、 それでは説明できない現象が散見されることは、 普段の生活からもよくわかります。 例えば、とここで例に出されていたのは、 「イチゴ」を見て、「イチゴ」だとわかるのには、 論理は役に立ちません。 辞書で読んでもわかるようにはならない。 「イチゴ」を見て、これだ、と知るしかない。 まさに百聞は一見にしかず、ですが、 これは、論理の研究を進めてきた人にとっては、 ある種、敗北感を味わうようなものではないか、とさえ思います。 私には、類似の体験があります。 だいたい9月から10月くらいになると、 金木犀が花をつけ、良い香りがしてきます。 しかし、実は私は、この「金木犀の香り」を、 30過ぎまで知りませんでした。 正確にいうと、「その香り」は知っていて、 毎年、ある時期、ある場所を通ると、良い香りがするなぁ、 と感じていたことがあります。 しかし、どこからその香りが来るのか、 その香りの元は一体なんなのか、 それこそ、実は調べようがなかったのです。 今では写真での検索などは可能になりましたが、 じゃぁ、香りはどうやって検索するのか? それをどうやって他者に伝えるのか。 同じことは味と触感でも言えます。 (触感に関しては一部研究でやりましたが) そんなことへの気づきと対応が、 AI技術の進化を進めたようです。

Key word: 部首について

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前回のブログから、いきなりIntroductionを書くのは難しいことがわかりました。 これからはkey wordを提示することで書き進めていくことにします。 今回は、「漢字の部首」について考えてみます。 「亻(にんべん)」「刂(りっとう)」「灬(れんが)」などのことですが、 辞書(広辞苑第五版(岩波書店))によると次のように載っています。 ----- ぶ - しゅ【部首】 (漢字を分類した各部の冒頭の文字の意) 漢字の字書において、漢字を字画構成の上から分類配列する場合、 その基準となる各部の共通する構成部分。 「流」「浄」などの字は、部首「水」に属する類。 ----- 私の故郷には、鯉(コイ)を食べる文化があります。 正月の時などは、調理された鯉を鯉屋さんに買いに行きます。 私が小学生の頃、そのお店の壁には「魚偏」の漢字が、 びっしりと書かれた額が飾ってありました。 出来上がってくるまでの時間、 それぞれの漢字が何て読むのかを、当てっこしていた記憶があります。 先日、ウェブのニュースを読んでいた際に、 たくさんの「金偏」が付いた漢字が書かれている記事がありました。 鏨や鋸など、読むことはできるが、書くことはできないような漢字が 多数出てきていました。 言葉・漢字が数がたくさんある、ということは、 それだけ分類しなければならないということです。 つまり、そこには人の生活の有り様との関係があるのではないかと感じました。 部首に着目し、漢字を整理することで、 見えてくるものを明らかにしてみます。