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知ることで好きになる

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対象を知ることで好きになっていく、 ということがあります。 一昨年まではコーヒーはほとんど飲まず、 紅茶や緑茶ばかりでした。 ただ、色々あってコーヒーを飲む機会が増え、 更に、淹れ方や素材についての知識が増えていけばいくほど、 ますます興味をそそられるようになりました。 期間限定でオープンしているという隣県のコーヒー屋さんを教えてもらい、 早速行って来ました。

店舗の移り変わり

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以前、福井に住んでいたときにあった商業施設の中の店舗が、 新しくなっていました。 一つは、各所に増えて来た書店とカフェが併設した施設です。 実際、いくつかの場所で見ましたが、 この業態が継続するためにはバランスが重要そうです。 金額として見えるかたちになっている「アウト」と、 知識や経験として見えないかたちになっている「イン」のバランスが、 個人の中で成立していると感じられれば継続しそうに思います。 もう一つは、海外の食料品などを取り扱っている店舗です。 これも色々な場所にあるため、岡山でも良く利用していますが、 物珍しさだけでなく、 生活の一部として定着すれば長く続くように感じます。 また行くのが楽しみです。

所有欲を満たすデザインの存在

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今私が使っている一眼レフは、 Konica FMというもので、Konica Fの流れを汲むものとのことです。 といっても、実はKonicaのFシリーズはそんなに数がなく、 Konica Fマウントに対応したレンズも種類が少ない状態です。 しかし、考えてみると、最初に始めるカメラ、としては最適だったかも知れません。 選択肢がないということは、選びようがない、ということであり、 例えば、広角が欲しい、望遠が欲しい、と思ったら、 2、3種類から選ぶより他にないからです。 つまり、まだ知識が不十分な状態でも、 必然的に、必要なものを選ぶことができるようになっています。 そのお陰か、現在は、 標準はHexanon 52mm F1.4、 広角はHexanon 35mm F2.8、 望遠はHexanon 135mm F3.5と、なんとなくですが一通り揃って来ました。 そもそもが重量級のカメラですから、 換えのレンズもそれなりの重さがあります。 いちいち持っていくのは面倒なはずなのですが、 どうしてこうも楽しいのでしょうか。 デザインが持つ、所有欲を満たす力を、 常に感じながら使っています。

経験でしか、わからないこと

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神社に行った際に、 すごい迫力の雲が出ていたので一枚撮ってみました。 Konica FMでの撮影ですが、 Hexanon 35mm F2.8を使うようになってから、 Hexanon 52mm F1.4との違いを感じならが撮るようになりました。 知識としては、35mmは50mmよりも広角だから、 広い範囲が撮れる、と知ってはいましたが、 やはり実感として経験を持っていなければダメなんだなと考えさせられます。 今日も35mmで紅葉と空を撮りました。 ここに出せる絵になっているかが問題です。

素直に買い求めてみること

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備前焼のお祭りに行ってきました。 日本六古窯の一つ、ということしか、 まだ私自身にはわかっていない状態です。 勉強しなければ、という気持ちとともに、 何の予備知識もない状態で、 自分自身がどう感じ、どれを求めるのか、 そう考えて歩いて回りました。 その結果、写真のお猪口を購入しました。 青備前と呼ばれるつくりかたでできたモノのようで、 一般的に知られる備前焼とは色味が違います。 ただ、色で選んだわけではなく、 その厚み(薄さ)に伴う重量、 全体的なサイズ感と、 手触りが決め手でした。 使い込んでいき、自分の感覚が何か変化するか、 そんなことを考えています。

付録

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最近撮影しているピンポールカメラは、 これを使っています。 2003年に発売された大人の科学の付録です。 多分、発売当初、書店に平積みされたものを購入したと思うので、 その頃に手に入れたと思うのですが、 実は、全然使っていませんでした。 というよりも、持っていることすら忘却の彼方だったくらいです。 最近発見したわけですが、その直後はレンズ部分が外れ、 中のバネがどっかに行ってしまっている状態でした。 バネを見つけ、レンズをはめて、 ようやく撮影できる状態にまで回復できたわけですが、 今度は、私自身のカメラに関する知識不足から、 うまく写すことができず、 ということをごちゃごちゃとやっている今日この頃です。 もちろんそんなことに割ける時間がそんなにあるわけではないのですが、 それでもちょこちょこと遊んでいる時間が非常に楽しいです。 自分が起こしたアクション(撮影をする)に対して、 リアクション(写真が焼きあがる)があることが楽しいのかもしれません。 そこにかかる「時間」についてはまた今度まとめてみます。

知識としての宗教

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私は山形県出身ですが、 大学を機に離れたためか、 地元に関する知識が、それ以降の場所に比べて少なく感じます。 福井に来て初めて、母体を宗教とした学校法人があることを知りました。 中学校・高等学校・大学など、それぞれあるわけですが、 教え、教える、教わる、ということが、どれだけ他者に対して影響があるか、 ということの一つの現れのように感じます。 私の場合は、多分、小さい頃からの影響で、 仏教、特に曹洞宗に関する知識が染み付いています。 大人になり、様々な宗教や教えに触れるたびに、 自分が持っている曹洞宗の知識との比較で考えます。 宗教の良し悪しは簡単に判断できるものではありませんが、 何か一つ、自分の中にある、ということは、 他者からの急激な影響に対して、 対抗できる術かもしれません。

地名

沖縄の地名は読めない、という話を聞いたことがありました。 実際に行ってみての感想としては、、、 ・勢理客 じっちゃく ・南風原 はえばる ・具志頭 ぐしちゃん 確かに読めない地名はあるようです。 ただ、これまで日本の色々なところに住んできた経験から考えてみると、 どの場所でも、地名に関しては読めないことが多い、と言えそうです。 ・各務ヶ原:愛知県 ・飯豊  :山形県 ・枚方  :大阪府 ・日生  :岡山県 ・開発  :福井県 ・松任  :石川県 などなど。 もちろんご存知の方からすれば、 当たり前に読めるものばかりですが、 初めて見て、これが正しく読める人はいないと思います。 常用漢字の読み方ではないわけですから、 当たり前と言えば当たり前です。 そういう意味では、 沖縄であれ、どこであれ、読めないものは読めない、 と言えると感じました。

‡ 現代におけるAIを考えてみる② ‡

AIまたはAI技術について、 書籍を読んでいく前に、 まずは、自分自身の「考え」をまとめておきます。 AI・人工知能という言葉を聞いた時の素直な印象としては、 「機器が自分で考える」というものです。 では、自分で考える、とはどういうことでしょうか。 思う、でも、感じる、でもなく、 考える、ということは、少なくとも、 生まれてすぐの子供ができるようなことではなく、 人間であるならば、それまでの生活の中で得てきた、 経験や知識を用いて、 対象の時間軸・空間軸について可能性を吟味する、 というような言い方ができるかと思います。 では、そのようなことを機器が実際にできるのか、ということになりますが、 それを証明することは難しいです。 ということで、「そのようなことを機器が実際にできない」ことを考えてみます。 本を読み終えた時に、その答えを自分が導き出せているかどうか、 が自分自身にとってのこの本の価値、ということもできます。