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対象の特定方法

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写真はいただいたお菓子のパッケージです。 レンズ上の赤丸と良い、 Leicaの特にM6をモチーフにしているんだろうな、 とは思うのですが、ちょっとした特徴から、 違うモノにも見えてきます。 というのも、レンズ上の部分が斜めにカットされていることから、 VoigtländerのBessaのように見えるのです。 どうでも良いこと、と言ってしまえばそれまでなのですが、 人間が何かを見た際に、 形態のどの部分から対象を特定しているのか、ということについては、 個人差があるはずです。 それをうまくコントロールできていれば、 ブランドにおける統一性や一貫性を示すことができるのではないでしょうか。 これは研究テーマの一つに成り得ると考えています。

耐性があるのか、どうか

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今日の仕事中、差し入れてもらった飲み物です。 前回はコーヒーでした。 カフェインは利尿作用がある、という話はよくありますが、 こと、お茶に関しては、今までそれを実感したことはありませんでした。 ただ、コーヒーにはどうやら弱いらしく、 その差はどこから来るのだろう、と考えています。 一つ思い当たるのは、 お茶、特に玉露に関しては、小さい頃から飲んでいました。 今でも実家に帰ると、基本的に飲み物は緑茶です。 ずーっと飲んでいる、と言っても過言ではないほど、 話をしながら飲み続けています。 もしかしたらそれによって耐性が? と、今日考えさせられました。 研究対象にできる内容かもしれません。

洋書

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大学の一室に、洋書販売の業者さんがいらしてくださり、 新刊の即売会のようなものが行われました。 時間の合間を見て書籍を確認し、 講義や研究で使えそうなものを数冊購入するというものです。 眺めていると、 あれも、これも、と思ってしまいますが、 もちろんそんなに購入できるはずもなく、 数冊を選んで購入しました。 見た限り、数百冊近い書籍が並んでいたと思うのですが、 驚いたのは営業さんの受け答えです。 何気なくどんな本なのかを聞いてみると、 その本の中身、というよりも、 その中で使われている写真が撮りおろしであることや、 以前出ていたものとはこういった点で異なる、など、 概要+αの応えを返してくださいました。 素晴らしい能力です。

テーマ

今日は、いくつかの研究テーマに触れることができました。 誰がどういった領域でどんなことを進めているのか、 ダイジェストのような形ではありますが、 その概要を伺うことができました。 それらとは異なる領域で、 自分ができること、 自分がすべきこと。 そういったことを考えながら、 自分自身を振り返ることができました。 これまで担当させてもらってきた内容から、 どのくらい自分の力で広げていけるか、 そして、それがどんなモノにつながっていくのか。 いけるところまでいってみます。

‡ 現代におけるAIを考えてみる⑥ ‡

インターネットが発達したコトで、 AIの研究が進んだ、という現象の背景には、 機械学習という方法論の導入があるそうです。 以前は、三段論法の積み重ねが思考の基本と考えられていたそうですが、 それでは説明できない現象が散見されることは、 普段の生活からもよくわかります。 例えば、とここで例に出されていたのは、 「イチゴ」を見て、「イチゴ」だとわかるのには、 論理は役に立ちません。 辞書で読んでもわかるようにはならない。 「イチゴ」を見て、これだ、と知るしかない。 まさに百聞は一見にしかず、ですが、 これは、論理の研究を進めてきた人にとっては、 ある種、敗北感を味わうようなものではないか、とさえ思います。 私には、類似の体験があります。 だいたい9月から10月くらいになると、 金木犀が花をつけ、良い香りがしてきます。 しかし、実は私は、この「金木犀の香り」を、 30過ぎまで知りませんでした。 正確にいうと、「その香り」は知っていて、 毎年、ある時期、ある場所を通ると、良い香りがするなぁ、 と感じていたことがあります。 しかし、どこからその香りが来るのか、 その香りの元は一体なんなのか、 それこそ、実は調べようがなかったのです。 今では写真での検索などは可能になりましたが、 じゃぁ、香りはどうやって検索するのか? それをどうやって他者に伝えるのか。 同じことは味と触感でも言えます。 (触感に関しては一部研究でやりましたが) そんなことへの気づきと対応が、 AI技術の進化を進めたようです。

‡ 現代におけるAIを考えてみる⑤ ‡

痛みや常識など、 知識を記述することの困難性がAI進化の壁だったことは想像に難くないことですが、 そこに「インターネット」が登場することで再び開発が進んだようです。 例えば、Googleなどの検索エンジンで何かを調べる際、 検索したい用語を入力すると、 その後の検索候補に「とは」という言葉が出るようになったのはいつからか。 あれを見たときに、「そういうことか」と 色々なことを一気に納得した瞬間がありました。 これからこうなっていくのだな、という認識から、 利便性が高まることによる危険性を考えなければならない、と考えるに至りました。 世の中の動きを見たいときは、 その候補を追いかければ良いが、 自分自身が何かをつくっていかなければならない場合は、 その候補に含まれていないものを追いかけなければならない。 そう考えさせられました。 しかしながら、AIに関する研究にとっては、 そのことが大きな一歩であったことも、 また、想像に難くないことです。

‡ リバタリアン・パターナリズム④ ‡

人の思考の種類には、 「自動システム」と「熟慮システム」があるそうです。 前者は「直感的で自動的な思考」と言い、 後者は「熟慮的で合理的な思考」と言うそうですが、 モノをデザインする場合は、 その双方に対して誤解なく情報を伝えることは肝要です。 例えば、何か道具を扱う場合を考えてみると、 この両者はともに、同じ答えに辿り着くことが望ましいと言えます。 特に、咄嗟に使用するようなモノについては、それは顕著です。 消火器のような災害時にしようするモノに関しては、 直感的で自動的な考えで使用方法が理解できなければ意味がありません。 そう考えてみると、 殊、道具に関しては、直感的で自動的な思考で正しい判断ができるように、 そのものがあれば、間違いは生じないようです。 逆に、デザイナーが関与した場合に、 熟慮的で合理的な思考が必要なモノは、 良いデザインとは言い難いように感じます。

Method①: 部首とは何か。何が部首か。

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部首とは、「全ての漢字に一つの部首が割振られる」とあります。 この一文は二つの要点を示しています。 ・全ての漢字が必ず部首を要すること ・部首は一つの漢字に一つであること この二つが満たされることによって、 漢字は部首によって分類することが可能になります。 部首とは別に、漢字の構成を表す言葉として、 偏旁という言葉があり、読んで字の如く、 漢字の「偏(へん)」と「旁(つくり)」を表しています。 更に表現はないのかと調べて見たところ、 次の7つに分類できるようです。 偏(へん):左側に位置する 旁(つくり):右側に位置する 冠(かんむり):上側に位置する 脚(あし):下側に位置する 構(かまえ):外側に囲むように位置する 垂(たれ):上部から左側を覆うように位置する 繞(にょう):左側から下側をとりまいて位置する これは、厳密には部首のように 対象を特定・限定できるものでは内容ですが、 「漢字」というものが如何に構成によって成り立っているか、 ということを表現しているとも言えます。

Discussion: AはAである、ということ

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日本にある書き方の構成の一つに、 起承転結というものがある、ということを言いましたが、 まさに、日本で幼い頃に習うこの文章表現は、 スタートからゴールに向かって、いかに一直線に進むことができるか、 というものです。 「転」などがあったとしても、道としてはまっすぐ先に向かっていきます。 「AがBになった」、という話をいかにまとめるか、というものです。 しかし、IMRADの書き方は、 「AはAである」、ということを示すための書き方です。 この違いが、日本人が論文の形式で考える際に 一番難しく感じることではないでしょうか。 そういう意味では、もう一つ紹介した「三幕構成」は、 比較的IMRADに近いと言えます。 一幕:Introduction 二幕:Method + Result 三幕:Discussion 一幕と三幕はセットになっており、内容は重なっています。 繰り返しになりますが、 研究の中ではDiscussionが一番重要になりと言われています。 しかし、研究を行なっていくと、 如何に実験を行い、その結果はどうだったのか、 ということをまとめることに注力してしまうことが 多々あると言わざるを得ません。 文字通り、方法が目的にすり替わってしまっているパターンです。 確かに、新しい「Method」を構築し、それを実現することによって、 初めて見つかった「Result」に辿り着くことは大きな喜びですが、 論文におけるオリジナリティは、方法の取り方と同時に、 結果から何を考えたのか、という部分です。 そこにこそ、自分自身が現れるのだ、ということを常に忘れてはいけません。

Method: IMRADとは何か。何がIMRADか。

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 文章の構成は各種ありますが、 現在の論文形式として一般化しているのはIMRADと呼ばれている構成です。 これは、Introduction, Method, Result and Discussionの頭文字をとったものであり、 一般的には、これにTitleとConclusionが付いたかたちで論文としての体を成します。 それぞれの項目は次のように説明されます。 ① Introduction: What are you studying and why? ② Method: What did you do? ③ Result: What did you find? ④ Discussion: What do your findings mean? ⑤ Conclusion: What have you learned from the study? 何について研究するのか、それはなぜかを述べ(Introduction)、 それをどんな方法で解き明かしたのか(Method)、 その結果はどうだったのか(Result)、 そこから何を考えるのか、何を見つけるのか(Discussion)、 最終的に、その研究から何を学んだのか(Conclusion)。 非常にわかりやすく、論文的である、と感じることはできます。 しかし、一体いつからこの形式が一般化したのか、 ということに疑問を感じました。 逆な言い方をすれば、それを知ることで、 「何がIMRADか」という問いに対する 答えを見つけることができるのでないかと考えます。 ある研究 1) によると、 19世紀後半から実験医学の時代になり、 研究論文のスタイルが変化した、とのことです。 20世紀になり、実験的研究が重要視され、 「方法」の部分が独立したことが、 IMRADという形式を産むことになったようです。 1960年代には、ほぼ現在のようなスタイルになった 2) 、 とのことです。 IMRADは確かに実験が記載されるMethodが、 重要な位置を占めています。 この部分からもう少し詳細に見ていきます。 ----- 1) 山崎茂明, 科学論文のスタイルと論文のまとめかた, 薬学図書館, 40(2), 161-166, 1995 2) Ro...