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その時の事

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このシーンを撮った時、 どんな様子だっただろう、と考えていました。 何かで苦労したはずなのだが、、、 そう、風がものすごく吹いていて、 一瞬たりとも花が止まっていなかったのです。 そのまま、その様子がわかるようにも撮れますが、 この時はなんとなく、速めのシャッタースピードで撮ったことも、 覚えています。 その結果、花は普通に止まったように記録され、 その時の事を忘れていたようです。 そんなところに記憶が乗るのか、 と驚かされました。

適切な暗さ

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写っている街灯の光り方と、 自分の記憶ではすでに結構暗い時間だったと思います。 しかしながら、シャッタースピード遅めで、かつ、 うまく固定できていたからか、 だいぶ明るく写ってしまいました。 自分の目で見ていた明るさ・暗さの通りに写し取ることは、 なかなか難しく、まだまだできていません。 露出計がない、または壊れているカメラばかりを使っているので、 自分の感覚を鍛える以外ありません。 それが面白くもあり、歯がゆくもあります。

体からカメラへの伝達

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岡山の植物園にいった時の一枚です。 望遠を手に入れた直後で、 それを使って何か良い題材はないか、と探して歩いていた時でした。 遠くの方で鳥が枝の間を行き来しているのが見え、 お!と思って狙ってみました。 この場合、何が難しいかといえば、 ピントと、 シャッターを切るタイミングです。 絞りやシャッタースピードは事前に設定で、 ピントもなんとかそれ付近には合わせられますが、 シャッターを切るタイミングだけはどうにもなりません。 見て、 押して、 切れて、 これらがうまくはまる日は来るのだろうか、、 と考えてしまいます。

水の質感

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人や生物は撮っていて楽しい、という話を何度か書きましたが、 もう一つ、水も興味深い絵になります。 特に流れている水は、 シャッタースピードとの兼ね合いで、見え方が変化します。 流れている様子を見せたいときは、 どこまで絞れるか、ということになります。 フィルターを使えば良いのですが、 移動している時など、 瞬間を撮ろうと思うとなかなかそれも難しいです。 また、写真の左上のように、水のなんとも言えない質感が撮れた時も、 嬉しい瞬間です。 その時間に戻って触れてみたい、と感じさせてくれます。

アナログな感覚で

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暗いところではシャッタースピードを長くする、 そうすれば明るく写すことができる。 知識としてはそう理解し、今までもそのように撮ってきました。 最近フィルムで撮るようになり、 シャッターを開けているということはつまり、 その時間、光を取り込んでフィルムに像が映る時間を稼いでいる、 と考えるようになると、数字だけでは割り切れない想いがついてきます。 例えば、B(バルブ)モードにしてシャッターを押し続けていると、 「今、どのくらいフィルムは感光しているのか」と、 リアルに考えるようになります。 それはデジタルとは違い、 極めてアナログな感覚なのだと感じます。 そこに面白さがあるのだと、ようやく感じられるようになりました。

露出を考える

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秋に学内で撮った写真です。 晴れた空の青と秋桜のピンク、森の緑が美しく、 通勤した時にかがんでなんとか撮ってみました。 露出計が壊れたKonica FMを使うようになり、 対象の明るさについて考えるようになりました。 自分が魅せたいのはどの部分なのか、 どこにピントを合わせるべきなのか、 その奥行きや、動きに応じて、 絞りやシャッタースピードを考える。 それに慣れてくれば慣れて来るほど、 なぜオートにできるのか、と逆に感じるようになって来ます。 FMの露出計が壊れている、ということがわかったとき、 う〜ん、修理できないかぁ、どうするかなぁ、 と考えた時もあったのですが、 今思えば、直さなかったことは正解だったように感じます。 そのお陰でLeica IIIfを使う時も抵抗なく操作できるようになりました。

生物と静物

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写真撮影における、生物と静物の大きな違いは、 写り込む動きの有無です。 つまり、シャッタースピードを時間の基準とした時に、 そこに写り込む姿が、止まっているのか、ブレているのか、 そこにあるのではないかと考えます。 逆に、生物でも、 撮影した時のシャッタースピード上、止まって見えるならば、 扱いとしては静物と変わらないとも言えます。 しかし、この写真の中ほどに写っている猫は、 ある方向に視線を向けています。 そこには何かしらの意思が働いていることが感じられます。 それは生物の特徴の一つであり、静物とは区別される部分なのかもしれません。

感光

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以前、フィルムカメラは影の部分が面白いなぁ、と感じました。 フィルム写真における影とは、つまり感光していない部分です。 特にモノクロフィルムの場合は、 光を受けずにそのままの状態で残ったところ、とも言えますが、 多少でも光が入れば、その強さに応じて像を結びます。 フィルムによる違いも様々あるようですが、 まだ、そこまでは経験的にわかっていません。 感光した部分の情報量と、 感光していない部分の情報量、 どちらがより多くの内容を持っているのだろうか、 と考えながら絞りやシャッタースピードをいじっています。

優しい木漏れ日

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以前、広島の現代美術館に行った時に撮影した写真です。 木の影が強かったため、 シャッタースピードを長めにして撮影しました。 そのためか、木漏れ日が柔らかい感じに広がって、 思いがけず優しい写真になりました。 今のデジカメでももちろんこういう写真は撮れるのだと思いますが、 自分がデジカメを使っていた時は、 そんな風に撮ろう、などとも思いませんでしたし、 こういう風に撮ることができる、ということも考えませんでした。 そういう意味では、撮った結果が偶然性が含まれている今の時間は、 不思議な面白さがあります。

ボケを使う

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同じ展示会場でも、 ボケている人とボケていない人で、 伝えられるメッセージが変わってきます。 暗めの会場内でシャッターを切り、 その中で全くボケずに写っている、ということはつまり、 その展示に釘付けになっている、ということを、 暗に示すことができます。 もちろん、実際にその人がどうだったのか、 それはわかりません。 それでも写真を見た人に私の考えを伝えることはできる。 そう考えると、非常にデザイン的であると、捉えることができます。

動きのボケ

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屋内で、確かシャッタースピードは50くらいだったと思います。 そのくらいで撮影すると、ゆっくり動いている人でもボケてきます。 デジカメで撮っていた時は、 それを防止するためにできるだけシャッタースピードを上げ、 絞りを開けて、と撮っていましたが、 スナップショットとして考えてみると、 この瞬間、この人が動いていた、ということそのものが、 一つの意味を持ってくるように感じます。 展示を見終えて次の展示に移動したのか、 そのまま帰ったのか。 もしも、この人が完全に停止していたなら、 それはそれで意味を持ってくる。 そういう考えを巡らせることができる、 という面白さに気がつくことができました。

多層リング

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Konica Iは、1948年に発売されたとのことです。 今私が持っているバージョンはその中でも後半に含まれると思いますが、 レンズ含め、基本的な部分は変わっていないと考えられます。 そういう意味で見てみると、 沈胴するレンズ部分の構造がすごい。 リングが何層にも付いており、 先端部分から、 1. シャッタースピード、 2. チャージレバー 3. 絞り 4. シャッター 5. フォーカス と、実に5つの機構が操作できるようになっています。 どんな発想の元にこうなったのか、 設計自体は戦前の1930年代には完了していたとのことですので、 その時の考えの粋を集めたものと想像します。

晴れの国

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空色を撮れるようになってきました。 本体(Konica FM)の性能上、 シャッタースピードは1/1000が最速です。 そのため、空を撮るときは目一杯絞り込んでも、 結局限界がきます。 先日、オークションで落とすことができた広角レンズ、 Hexanon 35mm F2.8の都合なのか、 それとも雲の掛かり具合なのか、 今回、たまたま良い色で撮ることができました。 青の深さと雲の抜け具合が気持ち良いです。 こんな空を撮ることができる一番大きな条件、 それはここが晴れの国ということです。