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実家の畑で採れるもの

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実家から写真が届きました。 昨日採れた夏野菜、とのことです。 季節ごとの食物を摂取するという行為は、 まさに人間が古くからやってきたことです。 その時、そこになるものを食べるより他になかった、 ということが始まりだとしても、 それが最も効率良く生活を回していくことができるわけです。 つまり、人間の体も、そのように出来上がっていきます。 しかし、保存したり、いつでも収穫できるようになったりした現代、 この生活が長く続けば、人の体もまた変化していくことでしょうか。 それは、なんとも寂しいように感じます。

造形を施す

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障子窓にこんな造形を施す。 そういう感性はどこから来るのでしょうか。 学びの場所に対して、 なぜ、こういうかたちを与えるのか、 そういった考えこそが、私の研究対象でもあります。 センスや感性という言葉に封じ込められていますが、 それは何に依るものなのか。 一つにはその人が触れてきたもの、ということは言えると思いますが、 それだけなのでしょうか。 学び、習うことはできるのか、 そのために効率的なことはなんなのか、 考えています。

† 体に覚えこませる †

新しい言語を習得したり、 身体を使って新しいことができるようになる、 という場合、 体が覚える、 体に覚え込ませる、 という表現を用います。 人間は、頭でわかっている、ということと、 それをうまく使うことができる、ということとは、 別物です。 今、AIに関する本を読んでいます。 「如何に学習させるか」という部分を読み進めていますが、 ロボットの場合、学習することができた内容は、 そのまま活用することができます。 非常に効率が良い、と言えます。 その点、人間は、、、 しかしながら、そこには何か重要なことが隠されているとも感じます。