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そんな場所ができました

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どちらかの誕生日には、 ある焼肉屋さんに行くようになりました。 というのも、誕生日特典がとてもおいしいから、なのですが。 なんとなくでも、そういうお店ができたことが、 少し嬉しく感じます。 大阪にいた時は、 そこまでの時間には少し足りなかったように感じます。 お店の数も種類も段違いですが、 そう感じられる場所ができるのには、 それは些細なことなのかもしれません。

黄色で一枚

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久々にロードバイクで大学に向かっている途中、 いつもの交差点で、 いつものように停車していました。 久々の空を見上げながら何気なくシャッターを切ってみると、 たまたま黄色信号でパチリ。 そんな時間でした。

夕暮れの操車場

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今年のお正月はコロナの影響で帰省しなかったことは勿論、 移動したのは岡山市内だけでした。 そんなときに撮った一枚です。 福井に住んでいた頃から、 知らない道を行くのが好きなことに気がつきました。 歩いていた頃は、知らず知らず時間が経ってしまい、 ちょっと大変になったこともありますが、 自転車に乗るようになってからはそんなことも数度しかなく、、、 なんとか無事に過ごせています。

太陽とともに動く

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久々に朝焼けを見ました。 ちょうど東に向かっていた、ということもあり、 朝焼けに向かうように走って行きました。 冬至を過ぎ、少しずつ日が長くなっている、 とはいえ、まだまだ目を覚ます時間は真っ暗です。 その頃から動き出し、 太陽の動きとともに体の動きが活発になって行くのは、 ドキドキする気分とともに気持ちが良いものでした。

行事

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行事は行事としてとても楽しむ方です。 楽しむ、というよりも、 季節が、時間が過ぎて行くことをきちんと感じたい、 ということかもしれません。 未だに、時間が過ぎるのを早いと感じることはありませんが、 確実に流れている、ということは常に感じています。 寒い季節も暑い季節も大好きなタチで良かったと感じる、 今日この頃です。

アナログの連続性

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フィルムで撮っても、 デジタルで撮っても、 もしかしたら一緒なのかもしれませんが、 なんとなく、フィルムの方が、 時間と空間の両方と向き合っているように感じています。 シャッターが開いている時間によって写りが変わること、 レンズによって撮れる範囲が変わること、 それらにはフィルムでもデジタルでも違いはありません。 それでも、フィルムの方を、より感覚に近く感じるのは、 無意識のうちに、アナログの連続性を体感しているのかも、 しれません。

雲海の向こうに

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雲海の向こうに山々が見えます。 夕焼けに照らされた雲が良い感じです。 大学のある場所から眺めた外の風景です。 実際田舎にあるので、 こんな風景はよく見かけるのかも知れませんが、 たまたまカメラを構える時間があり、 おさめることができました。 何が気持ち良いのかわかりませんが、 撮った者としてはちょっと嬉しい写真です。

ベンチという空間性

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チェアリング、というものが流行っている、と、 朝の情報番組で特集されていました。 確かにコロナ禍ということで、 その必要性は感じますが、 なんとなく、この写真のような雰囲気がなくなってしまうのも、 それはそれで寂しいように感じます。 その場所で、その距離感で、 そんな時間は戻ってくるのでしょうか。

十五夜の夜に

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今日は十五夜でした。 だから何?と言われたらそれまでですが、 なんとなくそういう日だということを感じながら、 寝る前にぼんやり月明かりを眺める。 そんな時間は良いなぁ、と感じます。 だから何?に対して、明確な答えがないことをどれだけやっているか。 そんな時間も嫌いではありません。

コロナ禍の美術館

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久しぶりに美術館に行きました。 コロナ禍になってからはなかなか行こうと思えませんでしたが、 会期の関係もあって行ってみることに。 完全予約制で入場者数が制限されており、 中に入るタイミングも時間を置かれていました。 そのお陰なのか、人はいつつも混んでる印象は全くなく、 自分が好きなだけ眺めていることができました。 この展示に行って、高畑勲氏が岡山で育ったこと、 中でも岡山朝日高等学校という進学校にいらしたこと、 そこから東京大学に進学されたこと、を知りました。 勉強の重要性・必要性をもっと考えなければなりません。

同じような空の下

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福井2日目。 見事に晴れました。 とても夏っぽい空でした。 「なんか、去年も似たような空を見たなぁ。。。」 と思い、ブログを見てみると、 丁度非常勤できていた頃にそんな空に遭遇していました。 御墓参りもすることができ、 とても有り難い時間を過ごすことができました。

久々の福井

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以前数年間住んでいて、 今では第二の故郷になって、 そんな関係からなのか、 半年を超えて訪れていないと、 時間が空いてしまったな、と感じます。 コロナ禍ということもあり、 他県への移動が憚られる状態になっています。 気をつけても気をつけても、 心の何処かに不安がある状態です。 それでもやはり会えるときに会っておかなければ、 後悔することになるのでしょう。

自然に目がいく

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お風呂から上がって部屋に戻ってみると、 月の光で床に影ができていました。 普段はその時間、そんな風に窓際に立たないからなのか、 何か久しぶりに感じ空を見ていました。 だいぶ夏も深まっていますが、 未だ長雨が続いています。 新型コロナによる患者数も増加の一途をたどり、 お盆前にでも再び規制が入るのでは、 と、昼に学生さんが話していました。 そんなときだからこそ、 自然のことに目がいくのかもしれません。

季節に沿って

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大学が山の麓にあることから、 自転車で向かっていると周囲には次第に田畑が増えて来ます。 今日、信号で止まった時にふと脇を見てみると、 すっかり田植えが終わった田んぼが一面に広がっていました。 コロナ禍だ、テレワークだと言われていますが、 それとは異なる、 いつも通りの時間が流れていることを実感しました。

一人の時間

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少し前から「一人キャンプ」というものが流行っているとかなんとか。 何にでも名前をつければ良いというものではありませんが、 実際、自然の中で自由に時間を過ごす、 というのは、人によっては心身ともに良いことのように感じます。 よく、自分の時間を持つことは重要、ということを聞きます。 そういうこともあるのだとは思いますが、 私自身はそこまで深刻にならなくても大丈夫なようです。 密な時間が難しいものになっていきそうです。

静かな時間の中で

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もう、数ヶ月前ですが、 大きな橋の下を車で通りかかった時の一枚です。 海釣りを楽しんでいる人たちを見かけました。 一人は座って、 もう一人は立って、 それぞれ楽しんでいるようでした。 来慣れた場所なのか、 少しずつ暗くなっていく時間の中、 淡々と釣りをしている姿をシャッターに収めました。

不便性が生む効果

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現像に出していた写真が帰ってきました。 年末年始の頃から出していなかったわけですが、 今見てみると、あぁ、こんなことがあったな、 と懐かしく感じます。 撮った直後に見ることができないという不便性が、 思い出させる、という効果を生みます。 良い悪い、ということではなく、 それぞれが持つ効果を理解し、 使うことが大切だと感じます。

豆腐屋の音

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今週から正式に在宅勤務が始まりました。 普段いない時間に家にいると、 普段は聞かない音を聞いたりします。 今日は懐かしいような音が窓の外から聞こえてきました。 お豆腐屋さんがなぜあのラッパを鳴らしながら売り歩くのか、 一つの説があるようです。 そんな説を全く知らなくても、 どこで聞き覚えたのか、 それとも自然とあの音が「とーふー」と聞こえるからなのか、 あ、豆腐屋さんだ、と思い、外に出ていました。 これも一つの文化です。

近場を散策

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自転車が趣味になっていることに感謝しています。 例えば、ちょっとそこまで、と言っても、 徒歩とロードバイクではその距離とかかる時間が全く違います。 コロナウイルス関係で、 取り敢えず人混みは徹底的に避けるとして、 家にばかり篭っていても、心身ともに静かに疲れていきます。 そんな中、ほんのちょっとした運動ですが、 ロードバイクに乗って近場をぐるっと回ってくる、 という行動は、自分にとってとても良い時間のようです。 今まで走っていなかった近くの道を、 少しずつ広げていきます。

昨年も今年も

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去年は、引っ越した直後ということもあり、 そこまで桜を楽しんでいる余裕はありませんでした。 そんな中、今度はコロナでどうやらそんな余裕はなさそうです。 どこに行ったら感染するのか、 何をしたら感染するのか、 どうしているのが安全なのか、はわかっていますが。 なかなか難しい状況です。