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アナログの連続性

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フィルムで撮っても、 デジタルで撮っても、 もしかしたら一緒なのかもしれませんが、 なんとなく、フィルムの方が、 時間と空間の両方と向き合っているように感じています。 シャッターが開いている時間によって写りが変わること、 レンズによって撮れる範囲が変わること、 それらにはフィルムでもデジタルでも違いはありません。 それでも、フィルムの方を、より感覚に近く感じるのは、 無意識のうちに、アナログの連続性を体感しているのかも、 しれません。

廃線跡

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今日、久しぶりに自転車でちょっと遠くの方まで走ってきました。 帰り道、写真のような場所を見つけ、 その不思議な空間でしばし休憩させてもらいました。 これまでほとんど意識したことはありませんが、 廃線跡は色々なところにあるようです。 意識はしてきませんでしたが、 少なくとも、こんな形で残っているところは見なかったな、と、 なんとなくその周辺を走って帰ってきました。

澄んだ水が流れるところ

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澄んだ水が勢いよく下流に向かって流れていきます。 岡山県の北の方、 県北は山の中です。 只管車を走らせること約2時間。 清水の流れる心地よい空間が現れます。 むしろ、そんなに行かなくても、 十分空気が美味しい場所になりますが。 何をするわけでもないのに、 そういう場所で時間を過ごすことは大切に感じます。

髪を切る

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今日は久々に髪を切りました。 半年ぶりです。 コロナ禍ということで、 外食はせずに、 人と密になる空間を避けてきました。 ただ、夏の暑さと湿度に、 流石に半年も髪を切らないのは、 ということで、バッサリとやってもらいました。 その帰り、 ちょっと寄り道をして、いつもの公園で懸垂を。

鳥は知っている

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本格的な田植えの季節のようです。 きっと鳥にはそれがわかるのでしょう。 この狭い空間に一体何羽いるのか。 あまりのことに驚いて、 引き返して来て慌てて写真を撮りました。

どこを見詰めているのか

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被写界深度というとすごく難しい言葉だなぁと感じますが、 要は、ピントが合っている範囲はどれほどなのか、ということです。 しかし、これ、考えてみるととても興味深いことです。 人間が対象を見つめているときも、 厳密に言えば、ピントが合っている範囲は極めて狭いはずです。 ただ、眼球が微動することで、 その範囲を広げていることになります。 そういう意味では、単位時間あたりの空間を切り出す写真としては、 その時間でどれだけの範囲を見詰めているのか、 ということにもなるのでしょうか。 (勿論原理は違います) そう考えると、被写界深度とはレンズが微動しているようにも感じます。 (勿論実際は違います)

スナップショットの面白さ・難しさ

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レンジファインダーはスナップショット、 一眼レフは対象物を狙って、 と、自分の中でなんとなく線引きをして撮るようにしています。 更に、スナップショットはできるだけ生物を入れて、 とすると、やはりなかなか難しいものです。 しかし、昨年からある程度の枚数を撮ってくると、 やはり生物が入っている画面が私は好きなようです。 ブツ撮りと割り切ってしまえばまた違うのでしょうが、 空間を単位時間で切り出すという写真自体の面白さは、 スナップショットにあると感じます。

どこに据えるか

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三次元空間であれば、 部屋の隅には三面が集まった角が生まれます。 その角をどこに持っていくか、 それだけでも楽しめるものだと感じます。 レイアウトと言うと大げさに聞こえてしまいますが、 ズーム機能がない、単焦点のレンズを使っていると、 ただ、ポイントをどこに据えるか、 それだけを気にすることになるので非常にシンプルです。 それだけに、面白いと言えます。

影で遊ぶ

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駐輪場で撮った一枚です。 影が面白いなぁ、と感じて撮ったのは確かですが、 現像が上がって来て見た時の印象は、 「あれ?こんなに面白かったっけ???」というものでした。 撮影から現像までの時間がそう思わせたのか、 いずれにしても、実際の目で見た時以上に、 不思議で面白い印象に変わっていました。 人間の目は、常に少しずつ動いているそうです。 それによって色々な範囲を認識したり、 対象を正確に捉えているのだと思いますが、 写真は単位時間で空間を二次元に切り取ってくれるため、 そういった動きによる変化がなくなります。 それが生み出している妙なのかもしれません。

トマソンのように見える空間達

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大学生の頃、トマソンのように感じられる空間に、 惹かれた時期がありました。 街中を散策してレポートをまとめるような授業でも、 そういう空間のみを撮影し、 「トマソンのように見える空間達」というタイトルでまとめたことを、 今でも覚えています。 不思議に感じつつも、何か惹かれる空間を、 ごく自然に取り上げたレポートでしたが、 着眼点やタイトルに興味を持ってもらえたことを記憶しています。 気がつくと、フィルムカメラでもそういう空間を追っていることに、 気づかされました。

カフェで撮る

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カフェの中で写真を撮るときは、 食べ物か、またはインテリアに焦点を合わせますが、 できるならば、人も含めて撮りたいな、と感じます。 それは多分、カフェを始めとした空間は、 人が入ることで完成するからかもしれません。 誰かと食事をしている場面では、 会話を写すことはできませんが、 そこに流れる空気感から、 会話が透けて見えるように感じることがあります。 それもまた、写真の面白さなのでしょう。

時空を切り取る

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人がうまく隠れてくれました。 普通なら、 あ、隠れちゃった!とか、 ブレちゃってる!とか、考えるところなのかも知れませんが、 秋の始まりに撮った写真として考えてみると、 紅葉が始まり、肌寒くなり始めた季節に、 木の向こう側を自転車で走る抜ける人影、 と捉えることができます。 幸い顔も写っていないのでそのまま載せることができましたが、 そんな、時間と空間を切り抜く、というのが、 写真の醍醐味なのだと、考えるようになってきました。 スナップショットの考えは、 肖像権と相俟って、昨今は特に難しくなっているようです。 表現とは何かと考えなければいけません。

残るもの

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いつ、どこで撮ったのか、 ピンホールカメラ で車の通りを撮ったと思うのですが、 なぜかすっかり忘れてしまっています。 夜など暗い空間で、シャッターを開けたままにして撮影することで、 こんな感じの写真が撮れることはよく知られています。 それを元にしたアート作品なども数多くあるわけですが、 写真ではなくとも、こう言った残像を利用したおもちゃなどもあります。 ある意味、一般的なアニメーションを楽しむことができるのも、 残像を利用しているためです。 光とは何か、 目とは何か。 習うよりも、自分で学ぶことで、自然に理解できる部分がありそうです。

曖昧な空間

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岡山の家の横の砂利道です。 道、と言ってもすぐ突き当たるので、 私たち以外が入り込むことはありません。 ここから庭に自転車を運び込んだり、 その逆をやることで、結構便利に使えています。 何よりも、横の家とこれだけのスペースが空いている、 という点が、意外と良いのかも知れません。 ピンホールカメラで撮ったため、薄暗くボケていますが、 私の中でのこの空間は、まさにこのような印象です。 曖昧な境界としての空間。 結構好きかも知れません。

五重塔

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備中国分寺に行ってきました。 たまたま、買い出しに行った帰りに寄ったのですが、 思いの外良い環境でびっくりしました。 ひらけた空間にお寺の施設がポツポツとあります。 その中に一つ、五重塔がこの写真になりますが、 外観の美しさだけでなく、 内部構造の美しさまで(入れはしないので資料で見る限りですが)、 昔の人のセンスとは一体どういうものなのか、 と考えさせられます。

展示空間

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研究室がある建物の一階部分には、 展示できる空間があります。 広い空間に可動式の壁兼パネルボード、 それに展示台があります。 しょっちゅう色々な展示がされているため、 写真のように空いている時間は珍しいです。 授業の課題を一時的に展示する場合が多いわけですが、 何気なく通っている時も、やはり目に入り、 気になるものです。 人らから見られる、ということは、 それ自体が強い刺激になります。 自分の作品がなくとも、 自分が関わったものが並ぶ、ということだけで、 十分に強い刺激です。 人に見せる。 人から見られる。 大切なことです。

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ある空間において、 外と内の領域を明確に分けるために塀はつくられます。 木でできたもの、植物を用いたもの、 色々ありますが、その中でも石を用いたものは丈夫なのでしょう。 閑谷学校の周囲にも山の斜面に面していない部分は、 石の塀で仕切られていました。 ただ、この塀のつくりがまた、なんとも可愛らしい。 断面が蒲鉾型、まではいきませんが、 角Rが大きく取られています。 石垣のように多角形の石を敷き詰めた面は綺麗に整えられ、 一定のRが連続しています。 塀をつくるためだけに、一体どれだけの労力をかけているのか、 この学校への想いの強さを感じるようでした。

クレー

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粘土を使ってモデルをつくる。 クレーモデルと呼ばれていますが、 自動車業界における新商品開発では、 現在でも非常に重要な工程であり、どの企業でも用いられています。 CGを用いたVRやARが発達し、 様々な空間に配置したり、 表面のカラーを変更したり、ということはすでに行われているようですが、 現物を見て確認する、という作業は、 モノづくりの現場からなくなることはないのだと思います。

⁂ 踏みしめる場所 ⁂

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部屋のカーペットが新調されました。 今までのが大分疲れていたから、ということで、 新調していただく事になりました。 地面は、部屋の空間の中でも、非常に大きな部分を占めます。 家具を置けば隠れてしまいますが、 それでも尚、主張する力は強いものがあります。 既に買い置きをしているものがあるのと、 他の部屋と大きく換えるわけにはいかない、ということから、 色は選ぶことはできませんでしたが、 配置の方法だけは、業者の方にその場で直接お願いし、 指示することができました。 これから色々な人が歩くであろう床面を、 改めて見つめ、頑張らなければならない、と、 強く感じ入りました。

‡ 現代におけるAIを考えてみる② ‡

AIまたはAI技術について、 書籍を読んでいく前に、 まずは、自分自身の「考え」をまとめておきます。 AI・人工知能という言葉を聞いた時の素直な印象としては、 「機器が自分で考える」というものです。 では、自分で考える、とはどういうことでしょうか。 思う、でも、感じる、でもなく、 考える、ということは、少なくとも、 生まれてすぐの子供ができるようなことではなく、 人間であるならば、それまでの生活の中で得てきた、 経験や知識を用いて、 対象の時間軸・空間軸について可能性を吟味する、 というような言い方ができるかと思います。 では、そのようなことを機器が実際にできるのか、ということになりますが、 それを証明することは難しいです。 ということで、「そのようなことを機器が実際にできない」ことを考えてみます。 本を読み終えた時に、その答えを自分が導き出せているかどうか、 が自分自身にとってのこの本の価値、ということもできます。