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写真というセッション

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久々にフィルムを現像に出しました。 半年以上開いてしまうと、 やはり色々と忘れているもので、 良い面もあれば、悪い面も。 まだまだ撮り慣れてない人間としては、 こまめに出さないと勉強になりにくいな、と感じます。 そんな自分の作品を眺めて見て感じるのは、 やはり、動いているものを撮るのが楽しい、 ということです。 瞬間の判断が重要な点は、 音楽のセッションに似ています。

瞬間を切り出す

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川の流れとは逆方向に飛んでいく鳥、 そんなことを考えながら撮った一枚です。 だから何なのかな、とも感じつつ、 レイアウトとしてどうだろうか、と考えつつ、 いろいろなことが勉強になる経験です。 フィルム写真はその場で確認ができない、 ということはありますが、 こういう被写体に関して言うならば、 確認できようができましが、 勝負はその瞬間でしかありません。

偶然の光

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不思議な写真が撮れました。 いくつかの偶然が重なり合った結果です。 ・庭に置いてある自転車のタイヤに付いている反射板に、 ・太陽の光が当たり、 ・そこから机のところまで障害物がなく、 ・机の上にはMacBookの熱を覚ますための扇風機が置いてあり、 ・それを経由した光が白い壁に当たった、 ・その瞬間に席に座っていた 結果、こうなりました。 こういう偶然によって生まれるものを見つけた時、 ちょっと嬉しい気持ちになり、 それを共有できることを、さらに嬉しく感じます。

まだまだ暑い日が

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iPhoneのアプリで花の名前を見てみると、 夾竹桃というそうです。 空の青に綺麗に生える花がとても綺麗で、 見た瞬間に、思わず、オォ、と声が出ていました。 まだまだ暑い日が続いていますが、 そうは言っても少しずつ落ち着いてきているのでしょう。 9月になるということで、 秋の気配が増えてくることでしょう。

影と光の中間

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手前が暗く奥が明るい、 または、 手前が明るく奥が暗い。 その影が薄れて光の方に向かう瞬間をどこに定めるのか、 露出を考えるというのはそういうことなのだと思います。 もう少し、影が奥の方まで伸びるように、 そんな露出を目指したいです。

修理できるプロダクト

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ローバイクを持っていて本当に良かった、 と感じる瞬間は多々あるのですが、 今、このコロナ禍においては、まさにそうです。 ガソリンなどの消耗品を消費せずに、 比較的遠くまで自分の力で行くことができる、 という点は非常に大きなメリットです。 しかし、それだけではありません。 例えばパンク一つにしても、 自分でメンテナンスすることができる、という点も重要です。 人と接することをできるだけ避けるべきという、 という、今までで考えれば極めて特殊な状態になっているわけですが、 多くのプロダクトは修理が必要になると、専門家に頼ることになります。 その点、ロードバイクは、修理用のマニュアルも公開されており、 やる気があれば自分でもなんとかできる部分が多くあります。 プロダクトの在り方を考える一つの方向性になりそうです。

使って初めてわかること

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OLYMPUS OM-1を使ってみての一番の感想は、 とにかく軽い、ということです。 普段使っている一眼レフはKonica FMというもので、 重量は1kg以上あります。 それと比較すれば大体のカメラは軽く感じるのだと思いますが、 それに加えて、持ちやすさや重量バランスも良いのかもしれません。 そのお陰か、取り回しの良さがレンジファインダーに近く感じます。 写真は鷺が飛び立った瞬間にシャッターを切ったものですが、 見かけてからシャッターを切るまで、 ほんの数秒ですが、なんとかフレームに収めることができています。 まさに使ってみないとわからないこと、 それを実感できることが楽しく興味深いです。

夢中で

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「あ、すごい!」「綺麗だな」「撮りたい!」など、 いつもと違う景色を見たりすると、ついつい勢いで撮ってしまいます。 しかし、後から見てみると、 「なぜこの時撮ったのか?」という疑問が湧いて来ることがなんと多いことか。 「あ!」と心が動きつつも、 シャッターを切る瞬間は冷静になるべきなのかもしれない、と、 考えさせられました。

見る目の変化

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たまたま同じ壁面に、 たまたま同じような大きさの、 全く違うシルエットが描かれていました。 これは学内ですが、 この時カメラを持っていなければ、 この関係性では撮れなかったでしょうし、 そもそも見つけることができなかったかもしれません。 カメラを持って歩いていると、 自然と何か撮るものはないか、と探している自分がおり、 逆に、カメラを持っていない時に、 あ、今、持って入れば、、、と思わせられるような瞬間に出会ったりします。 世界を見る目が変わってくるようです。

水の質感

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人や生物は撮っていて楽しい、という話を何度か書きましたが、 もう一つ、水も興味深い絵になります。 特に流れている水は、 シャッタースピードとの兼ね合いで、見え方が変化します。 流れている様子を見せたいときは、 どこまで絞れるか、ということになります。 フィルターを使えば良いのですが、 移動している時など、 瞬間を撮ろうと思うとなかなかそれも難しいです。 また、写真の左上のように、水のなんとも言えない質感が撮れた時も、 嬉しい瞬間です。 その時間に戻って触れてみたい、と感じさせてくれます。

旅のお供

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旅のお供に何を連れて行くか、 その時々のツールを記録していくのも面白いのかもしれません。 今回の飛行機での移動では、 この2つを出していました。 だいぶ古くなってきたiPadと レンジファインダーカメラです。 昨年は、写真の撮り方としては特に、 スナップショットの面白さ、難しさを知ることができました。 単位時間という意味での「瞬間」を、 いかに単位空間という意味での構図と共に切り出すのか。 そんな写真の面白さを、意識せずに来たことが勿体無いと感じます。 今年も色々と試行錯誤しながら楽しみたいと思います。

タイミングの難しさ

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一体、何を撮りたかった写真なのか、 と思われてしまう様な一枚になってしまいました。 街中にサギがいたことがあり、 その飛び立つ瞬間を撮りたいと考え、 粘った結果がこれでした。 イメージの中では、フレームのもっと右側。 今にもフレームから出て行こうとしている瞬間に シャッターを切ったつもりだったのですが。。。 今時ならばiPhoneなどで連写をすることでしょう。 または映像で撮っていることでしょう。 自分の指が動く瞬間と シャッターが切れる瞬間のギャップ。 その生物は「きっと動く」というイメージと現実のギャップ。 動いているどのタイミングをおさめるのが、 一番美しいのかと言うイメージと現実のギャップ。 それらを埋めて行くことが重要だと考えさせられました。

瞬間の構図

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瞬間に撮るというのは難しいなぁと感じます。 当たり前と言えば当たり前なのかも知れませんが、 露出などはもう考える余裕もなく、 ピントもそこまで合わせられず、という状態です。 ただ、フレーミングは、慣れ次第でどうにかなるのだろうと思えばこそ、 構図は無意識でも意識下でも、 常にしっかりとしていきたいと考えています。 瞬間にそれを合わせられるかどうか、 それが勝負です。

待つ

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光と影を意識しながら、 人や生物を入れて撮る。 レンジファインダーのLeica IIIfで撮るときは、 そんなことを意識しながら撮っています。 今使っているカメラは、露出やピント、 全てがマニュアルですので、 気が付いた瞬間に構えて撮る、というのはやはり難しいです。 しかし、できるだけ早く準備し、 そのまま構えて待つ、ということはできます。 人や生物が、ここだ、というところに来た瞬間に、 シャッターを切っておさめるわけですが、 それを待っている時間は嫌いではありません。

街中に鷺

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鷺という鳥は本当に色々なところにいます。 写真の奥の方に見えるように、 街中のそれも結構車通りが多い場所でしたが、 普通にのんびりしているように見えました。 どこから飛んで来てこの水場を見つけるのか。 すごいなぁと感心しながらシャッター切りました。 飛び立った瞬間にフィルムカメラで撮ってみましたが、 どう撮れているのかドキドキです。

決定する力

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どういう構成を自分が好むのか、 そんなことを考えながらよくシャッターを切っています。 写真という枠の中に収めて、 風景を切り取るという言い方をしますが、 自分の「好き」「嫌い」にしても、 現像してから改めて見てみると、 あれ?なんでもっとこっちを入れなかったのか? もっとこうした方が良かったんじゃないか? と考えることが必至です。 ある意味、その瞬間瞬間の決定力を養う訓練になっているように感じます。 私にはとても必要なことです。

個と群

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日蓮宗ということで、 束になったお線香に火をつけてお供えした時の様子です。 煙を、空気中に微粒子が浮遊している状態だと考えると、 そのシーンを写真に撮るということは、 微粒子の群としての動きを切り取っている状態です。 それこそ、高解像度のカメラなら、 一つ一つの粒子も見えるようになるのかもしれませんが、 写真に求めていることは、 個々の粒子の瞬間を捉えることではなく、 群としての動きを捉えることです。 そのために必要な要素は何か、を考えなければいけません。

動きのボケ

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屋内で、確かシャッタースピードは50くらいだったと思います。 そのくらいで撮影すると、ゆっくり動いている人でもボケてきます。 デジカメで撮っていた時は、 それを防止するためにできるだけシャッタースピードを上げ、 絞りを開けて、と撮っていましたが、 スナップショットとして考えてみると、 この瞬間、この人が動いていた、ということそのものが、 一つの意味を持ってくるように感じます。 展示を見終えて次の展示に移動したのか、 そのまま帰ったのか。 もしも、この人が完全に停止していたなら、 それはそれで意味を持ってくる。 そういう考えを巡らせることができる、 という面白さに気がつくことができました。

秋の始まりを告げる香り

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先日、学内に一本あるのを見つけました。 香った瞬間に、周囲を見てみると、 たった一本、たまに通る中庭の近くにありました。 数年前まで香りと名前と形が一致しない植物でしたが、 今では自分にとって大切な秋の香りの一つです。 その中庭には様々な植物が植えられているのですが、 たった一本のこの木が、 この季節の、その瞬間にだけ、 その存在を明らかに示す、 ということはとても価値のあることだと感じます。 金木犀とともに、ようやく少しずつ涼しさを増してきました。

カメラの目

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現像された写真を見てみると、 撮影したその瞬間、 ジブンの目に映っていた世界と、 カメラの目に写っていた世界、 どちらが正しいのか、と考えさせられます。 自己満でしかありませんが、 綺麗だな、と思う写真が撮れた時、 撮った時、私の目にはこんな風に世界は見えていたのか、 と自問自答しています。 写真を撮る、ということは、 撮った瞬間を頭の中に焼き付けている行為なのかもしれません。