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『命と向き合うデザイン』 

 新・デザインについて−8

産業革命は産業医学の発達にも寄与しています。産業革命時の劣悪な労働条件では、労働者は作業関連疾患と呼ばれる症状を患うことが多かったと言います。当時、労働者は都市にあふれていたため、労働者が怪我や病気で業務を進めることに支障が発生した場合、即座にその労働者を解雇し、新しい労働者を雇用するという方法が効率的でした。しかし、低賃金による長時間労働や児童労働など、労働問題の深刻化を受けて、1833年に工場法が制定されます。これを受け、労働者の権利がある程度保証されるにいたり、彼らが業務を遂行するために必要最低限の環境を確保する必要が生じました。その中で、作業に関連した疾患を予防することで健康を維持しようと考えたのが、産業医学の始まりです。労働者を守るという視点ではなく、あくまでも産業資本家が損失を受けないことを目的としていましたが、疾患による解雇の可能性が減ったことと、最低限の健康を保証されたという点において、結果的には産業医学の発達は労働者の生活を守ることには役立ったと言えます。 産業革命を経て発達したこの学問領域は、1857年に生まれたエルゴノミクスという考え方に引き継がれます。元々は、労働の環境や機器をどのように設計すれば効果的に収益を上げることができるか、ということに注力された考え方でした。それが人間の身体的特性を把握し、疲労の軽減、動作効率の向上などにつながり、現在でいうところの人間工学の根幹を担う柱の一つになりました。一方、人間工学のもう一つの柱としてヒューマン・ファクターという考え方があります。これは第二次世界大戦時にアメリカで生まれた考え方で、飛行機のコックピットをどのように設計すればパイロットが操縦を間違わないか、安全に操作できるか、という実益が背景にあります。つまり、エルゴノミクスに比べ、認知特性など心理学の分野から人間工学に向かったと言えます。この考えは現代でも用いられSHELモデルなどを用いて分析されています。ヒューマン・ファクターは、やがてマン・マシン・インターフェイスやユーザ・インターフェイスという考えにつながり、エルゴノミクスとヒューマン・ファクターの二つが組み合わさり人間工学という表現で総称されることになります。 ・人間中心設計(ISO13407対応)プロセスハンドブック ・伊藤 謙治, 人間工学ハンドブック, 朝倉書店, 2003

『命と向き合うデザイン』 

 整理

一度、ここまでの内容を整理し、構成を再考します。 - 背景 - 目的 - 再生医学について - 細胞シート工学 - 人工心臓 - 細胞シートによる治療 - デザインについて(歴史まで) 以上は、過去から現在までの歴史的事実・一般的認識・普遍的原理を通して、現状に対する考え方の共有を行っています。まず、これに引き続き、デザインにおける共有を行います。そしてさらに、これらを受けての次の段階としては、現在として問題提起を行い、現在から未来として解答提示を行うことになります。 その際のキーワードとしてアブダクションの導入を検討します。これは、デザイン手法全体を一貫している考えを仮説的推論であるとし、構成論的に考察することを意味します。 デザイン手法を用いて解答を得た基礎研究を、仮説的推論の視点から分解し、解説することで、デザインという解答を獲得するための行為が持っている優位性を明らかにします。 まずは、その問題提起を行うための共通感覚の集積を行います。

『命と向き合うデザイン』 

 新・デザインについて−7

イメージ
産業革命から始まった近代のデザインは、このバウハウスまでの約100年ほどの期間を持って、一つの区切りを向かえたと考えられています。つまり、計画と意匠という双方の意味を持つ営為としてのデザインの基礎が固められたと言えます。そのため、今なお、バウハウス期のデザインはデザイン教育の基礎として用いられています。この歴史からは、産業とデザインの関係が読み取れます。新しい素材や技術・生産方法などが発明・発見された時代に何か新しい製品をつくっていく場合、デザイナーは必然的にそれらの要素を組み合わせ、製品または商品化し、産業として確立させることを求められていた、ということになります。そして、その都度結果を残してきたと言えます。つまり、産業界にとって新しいさまざまな要素・要因は一つの「問題」と言えます。それに対して、デザイナーが「解答」として適切な製品・商品を設計してきたという歴史的事実が存在することになります。 ・Alvin Toffler; The Third Wave, Bantam, 1984 ・Nikolaus Pevsner; Pioneers of Modern Design, From William Morris to Walter Gropius; Revised and Expanded Edition, Introduction by Richard Weston

『命と向き合うデザイン』 

 新・デザインについて−7

こういった造形活動は確かにバウハウスの特徴の一つですが、もう一つ、それまでのデザインの領域では見られなかった特徴として、教育運動が挙げられます。従来、特に造形の技術に関することは、師弟関係によって師から弟子へと受け継がれていきました。しかし、バウハウスではその師弟間における伝授をより一般的な「教育」という方法論に集約する活動を実行化しました。そのため当時の教育者(デザイナー)は、各自がつくり出すそれぞれの作品を、「論」として一般化または体系化することを求められました。特に、美術作品以外の「製品」と呼ばれる作品に関しては、産業革命以前には、主観による美しさだけで一方的に語られていた時代から、その美しさを含め、製品そのものを他者に伝達する必要が生じたことになります。そのためには製品に対する客観的な視点が必要であり、必然的に個々の機構や素材はもちろんのこと、製造方法から生産方法までを一般化する必要が発生しました。産業革命以降に徐々にできあがっていたデザインと産業の密接なつながりは、バウハウスの教育運動をもってより明確になったと言えます。その結果、デザイナーとして優れた評価を受けた者であっても、教育内容に思想を強く持ち込んだために教鞭を執ることを許されなくなった者もいました。そして、バウハウスで教育を受けた者は、社会に出てデザイナーとして活躍し、再び今度は、教育者としてバウハウスに戻ってくるという人の流れが発生しました。これによって、教育運動は廃れることなく、歴史の中ではたった14年間という限られた期間ではありましたが、年を重ねるごとに密度を高めていったと言えます。このバウハウスの閉鎖は、ナチスドイツの活動の一つによるものであり、教育者の多くは他国への亡命を余儀なくされます。しかし、これは結果的に世界各地にバウハウスのデザイン教育・デザイナー教育を伝播させる役割を担ったことになるとも言えます。 ・Alvin Toffler; The Third Wave, Bantam, 1984 ・Nikolaus Pevsner; Pioneers of Modern Design, From William Morris to Walter Gropius; Revised and Expanded Edition, Introduction by Richard Weston

『命と向き合うデザイン』 

 新・デザインについて−6

バウハウスは1919年に開校し、1933年にナチスによって閉鎖させるまでの14年間、主に「教育運動・造形活動・工房活動」の3本を軸として進められたデザイン活動です。設立時の構想は「工芸や芸術を統合するものとしての総合芸術」でした。イギリスから端を発した産業革命から、時代を経て続いてきたデザインの歴史において、その一つの到達点という位置付けが非常に強い活動です。これまでのさまざまな活動の要素・要因が集約した形になっています。このバウハウスを設立した初代校長のヴァルター・グロピウスは、ドイツ工作連盟を起こしたヘルマン・ムテジウスの弟子にあたります。そして同時に、アール・ヌーヴォーの初期に活躍したヴァン・デ・ヴェルデから強い影響を受け、バウハウスを創設することになったのです。ドイツ工作連盟とアール・ヌーヴォーは、造形的な要素や規格化・標準化という点において対立した思想であったと認識されていますが、ヴァン・デ・ヴェルデ自身、ドイツ工作連盟に在籍し、活動した時期があります。この当時の中心的な二つの思想がグロピウスに影響を与え、バウハウス創設に至ったということは非常に興味深いことです。さて、そのバウハウスですが、一般的には「機能主義・合理主義」としての考え方が強く、製品設計・生産管理などを一つの「システム」としてとらえるという意味での、デザインの基礎がつくられたと言えます。それまでにも、さまざまな物品をシステムとして管理する発想は既に始まっていましたが、バウハウスでは家具から室内空間・建築・集合住宅・都市という範囲までのすべてを、一貫したシステムとみなし、統合することを目的としていました。 ・Alvin Toffler; The Third Wave, Bantam, 1984 ・Nikolaus Pevsner; Pioneers of Modern Design, From William Morris to Walter Gropius; Revised and Expanded Edition, Introduction by Richard Weston

『命と向き合うデザイン』 

 新・デザインについて−5

一方、デザインの歴史から産業革命を見てみます。大量生産による品質の低下を憂いた一部の人々が、手によるモノづくりの復興活動を興します。それはアーツ・アンド・クラフツ運動と呼ばれ、活動時期は19世紀の後半から20世紀の初頭まででしたが、この活動が国際的にさまざまな活動を誘発することになります。中でも、フランス・パリを発祥とするアール・ヌーヴォーは1890年のパリ万国博覧会を切っ掛けに世界中に広まることになります。これは手づくりを重要視しながらも、鉄やガラスといった当時の新素材の可能性を検討し、各デザイナーが新しい表現方法を模索した活動といえます。また、パリ万国博覧会と並んで、写真の技術が一般化したことも、国際的な規模で活動が浸透した理由の一つです。さらに時代が進むと、機械工業による安価で大量生産なものづくりと、手づくりによる少量ですが品質の高い生産との、両方を重視する考え方が広がりはじめます。中でも、アーツ・アンド・クラフツ運動の思想を受け継ぎつつ、後のバウハウスへとつながるドイツ工作連盟という活動は「大量生産するためのモノの規格化・標準化」という考えを中心に、芸術と産業の統一という構想を持っていました。また、一方ロシアでは、ロシア・アヴァンギャルドが起こり、デザインと政治のつながりが明確になりました。その考えの根本は、モノのデザインは生活様式・文化全体へ影響をおよぼし、結果的に政治・経済・社会全体に関わる、ということを初めて国家として意識した活動でした。プロパガンダ・アートとも呼ばれるように、政治にも積極的にデザインが取り入れられ、思想を伝達するための手段として用いられました。製造面で意識されていたことは「使用と生産の両面から見た合理性」として標準化が強く押し出されました。産業革命から続いた一連の流れの一つの区切りとしてここでバウハウスが設立されます。 ・Alvin Toffler; The Third Wave, Bantam, 1984 ・Nikolaus Pevsner; Pioneers of Modern Design, From William Morris to Walter Gropius; Revised and Expanded Edition, Introduction by Richard Weston

『命と向き合うデザイン』 

 新・デザインについて−4

産業革命とは、19世紀のイギリスから始まった、技術革新による産業・経済・社会構造の一連の変革を指す言葉です。技術の革新によって、従来の手工業から機械工業へと変化した産業基盤によって、それまでに蓄積されていた資本を使い、農村で溢れた労働者を都市に引き入れました。結果として、主となっていた綿織物工業を中心に、それに関係する製造業・搬送業などあらゆる産業へ革新は波及しました。労働者階級人口が爆発的に増加し、産業資本家に次ぐ勢力となったため、経済・社会構造にまでその変革はおよびました。やがて第1回ロンドン万国博覧会(1851年)を迎え、当時の先進国の多くに産業革命の波が押し寄せることになります。ここで着目すべきは、手工業から機械工業へと変化した技術的な部分についてです。製造者の視点に立つと、産業革命以前は職人の手によって一つ一つつくられることが基本でした。言い換えれば「職人がつくることができる」ということが製品化・商品化の成立条件でした。しかし、産業革命以降は、機械が一度に大量に製造できることが成立条件になったといえます。この移行は当初は速やかにいかず、品質の悪い粗悪な商品が出回ることになります。しかも、製造機の改良が進み品質が向上すると、今度は逆に、産業資本家が利潤を追い求めるために生産コストを下げ、安く質の悪い商品が大量に生産されることになりました。また、労働条件の悪化を起因とするヒューマンエラーによる品質低下もこれに重なりました。 ・Alvin Toffler; The Third Wave, Bantam, 1984 ・Nikolaus Pevsner; Pioneers of Modern Design, From William Morris to Walter Gropius; Revised and Expanded Edition, Introduction by Richard Weston

『命と向き合うデザイン』 

 新・デザインについて−3

次にデザインを歴史という軸に沿って見てみます。ここでは、産業革命が近代デザインの起源であるとして論を展開します。デザインの起源をどこに設定するかは諸説あり、デザイン対象によって変わる場合もあります。例えば、ヒトまたは動物が道具を使用した時からデザインはあったという説もあります。しかし、この場合、道具をつくり出す行為をデザインと呼んだとしても、それは営為とは言えず、目の前にある問題を解決するための手段としてのみ行われていると言えます。一方、産業革命期におけるデザインは、工業化の流れの中で、デザインもまた、従来の職人の手による造形から、製造方法・生産方法を意識したものへと変革していきました。これは商品または製品として、販売など社会的な流通を意識した行為であると言え、営為であると判断できます。よって、ここでは産業革命をその起源とし、現代までの流れを確認してみます。そもそも、モノやコトの始まりを規定し、そこからそれらのモノ・コトを定義することは、どこに「視座」を構え、どの「視点」から、どの「視線」をもって、どこまでの「視野」を対象とするのか、ということを明確にすることが必要です。ここでは産業と言う視座と視点をもって主に製品・商品を視野に入れた視線でもってデザインを読み解いて行きます。 ・Alvin Toffler; The Third Wave, Bantam, 1984 ・Nikolaus Pevsner; Pioneers of Modern Design, From William Morris to Walter Gropius; Revised and Expanded Edition, Introduction by Richard Weston

『命と向き合うデザイン』 

 新・デザインについて−2

デザインという言葉の意味は、一般的な日本語の辞書である広辞苑第五版(岩波書店)では、以下のように定義されています。 ①下絵。素描。図案。 ②意匠計画。生活に必要な製品を製作するにあたり、その材質・機能および美的造形性などの諸要素と、技術・生産・消費面からの各種の要求を検討・調整する総合的造形計画。 日英、何れもおおよそ「計画・企画・設計」と「意匠・装飾・演出」という二つの意味に集約できますが、「意匠・装飾・演出」の意味のみが、単体として用いられることもあるという点は注意しなければいけません。ここでは、あくまでも語源に基づき「計画・企画・設計」と「意匠・装飾・演出」の双方を兼ね備えていることが、デザインにとって必須の要件であると考える立場を取ります。もう一点、留意すべきこととして、日英の辞書による定義では「生産」や「製品」・「消費」といった言葉が共通して用いられています。これは、デザインによって得られる物品は、芸術品や工芸品のような制作行程ではなく、管理・量産を目的とした製造工程を経る「製品」または「商品」である、ということを意味しています。つまり、デザインとは営為を目的とした行為であるといえます。 ・川崎和男: デザインのことば「て」, AXIS, 111, 2004 ・The Concise Oxford Dictionary - Tenth Edition (Oxford University Press 1999) ・広辞苑第五版(岩波書店)

『命と向き合うデザイン』 

 新・デザインについて−1

デザインについてまとめてみます。いくつかの視点から見ることができるが、ここでは「design」という言葉そのものや、その歴史について見てみます。デザインについて、まず、designという単語について詳説します。designの意味は川崎による「デザインのことば」にその詳細が記述されています。そこから引用すると、この語はラテン語の「designare」を語源として持つとのことです。designareがdo signとなり、それがdesignへと変化しました。つまり、designare = do signとは「目印を付ける」という意味になります。ここから、現在の工業製品において一般的に用いられるデザインの意味が生まれました。一つは「つくる対象物」を取り巻くあらゆる要素・要因を考える「計画・企画・設計」であり、もう一方は、「つくる対象物」そのものの要素・要因を考える「意匠・装飾・演出」と言えます。これら二つの意味を統合されたものとしてデザインは問題を解決するための手法として用いられています。ここで現在、一般に用いられている辞書による定義を引用します。まず、The Concise Oxford Dictionary - Tenth Edition (Oxford University Press 1999)によるとdesignとは以下のように定義されています。 [n.] 1. a plan or drawing produced to show the look and function or workings of some thing before it is built or made. -> the art or action of conceiving of and producing such a plan or drawing. -> purpose or planning that exists behind an action or object. 2. a decorative pattern. [v.] decide upon the look and functioning of (something), especially by making a detailed drawing of it. -> do or plan

『命と向き合うデザイン』 

 細胞シートによる治療−3

培養速度とは、細胞の培養に必要な一定時間に関する問題です。現在、心筋の治療に必要な筋芽細胞の培養には、およそ4週間必要です。多少の個人差はありますが、多くの場合約1ヶ月の時間を要します。一つ目の固体差異に関する問題と、2つ目の「細胞速度」は培養時間に関する問題として密接に関係しています。もし、対象の細胞が培養を行っても規定数に達しなかった場合、4週間後にもう一度採取から始めなければいけません。つまり、治療が決定してから合計8週間(約2ヶ月)後に治療を行える状態が整うことになります。もし、細胞が規定の時間で規定数に達したとしても、患者が救急車で病院まで運ばれてきた直後に細胞を採取できたとして、そこから約1ヶ月は治療を行えないという現実があります。現在、対象疾患になっている拡張型心筋症や虚血性心筋症はともに、緊急度・重篤度が高いため、そのままの状態で待機することは不可能です。多くの場合、補助人工心臓をつけることで心機能の回復を待つことになります。また、治療に取りかかれるまでの時間は、多くの場合予後に影響を与えます。特に対象が心臓である場合、心臓だけでなく、全身に対して影響があることから、予後の影響は大きくなります。心臓を対象に検討していますが、角膜組織の治療の場合にも患者本人の口腔粘膜細胞2平方mmから約2週間掛けて角膜上皮細胞シートを120平方cm程度の大きさまで培養する必要があります。つまり、対象となる疾患や箇所によって時間は異なりますが、いずれの場合も数週間という単位で治療開始までの時間が必要であることは変わりません。また、培養しているものがヒトの細胞である以上、細胞そのものの培養速度が大きく変化することはないため、外的要因が加えられなければ治療までにかかる時間は変わらないことになります。3つ目の問題である「同疾患発症」は、遺伝的な要因を含むことから考えられている問題の一つです。現在治療対象の拡張型心筋症や虚血性心筋症は、いまだすべての原因が明らかになったわけではありません。その原因に遺伝子に依存するものがある場合、自己由来細胞シートは同様の疾患を発症する可能性を持っていることになります。 ・大阪大学医学部附属病院: ヒト幹細胞臨床研究実施計画書の修正について, 第51回科学技術部会資料, 2009 ・阿形清和他: 再生医療生物学, 現代生物化学入門7, 岩