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そんな世界

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これはもう、某アニメーションの世界の産物か、 と思われるような雲がありました。 沖縄や九州が超大型台風の脅威にさらされています。 お陰様で岡山市は相変わらず安全なようですが、 周辺では警報が出ているところもあるようです。 注意して、意識して過ごすとともに、 安全・安心な場所を頭に入れておかなければいけません。

こんな世界に

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日夜色々なニュースが聞こえて来ます。 でも、きっとそれだけではないはずです。 たまたま撮れた一枚ですが、 とても心が癒されました。

見える世界

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少しずつドローンを使って遊んでみています。 高視点から周囲を眺めるということがなぜこんなに楽しいのか、 自分でコントロールするということがなぜこんなに楽しいのか、 新しいプロダクトで遊ぶということがなぜこんなに楽しいのか、 そんなことを考えさせられています。 ただ、逆に言えば、それを越えたところに本当のアウトプットがある、 のだと感じて来ることも多くあります。 これをどのように使うのか、 これを使って何を表現するのか、 それを考えていくのが楽しいところです。

見る目の変化

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たまたま同じ壁面に、 たまたま同じような大きさの、 全く違うシルエットが描かれていました。 これは学内ですが、 この時カメラを持っていなければ、 この関係性では撮れなかったでしょうし、 そもそも見つけることができなかったかもしれません。 カメラを持って歩いていると、 自然と何か撮るものはないか、と探している自分がおり、 逆に、カメラを持っていない時に、 あ、今、持って入れば、、、と思わせられるような瞬間に出会ったりします。 世界を見る目が変わってくるようです。

ココとは違うドコか

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違う世界に入り込むという経験は、 自分自身の精神面において、 非常に重要だと感じます、 眼に映るもの、 耳に聴こえてくるもの、 それらがいつもと変わっているだけで、 十分に違った環境に入り込むことができると感じます。 そういう意味でも、旅行というものは良いのかもしれません。 今回、久しぶりに違う世界に行くことができました。

二つの世界

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この時間、目で見える世界はほぼ真っ暗でした。 絞りを絞って、シャッターを開くこと約30秒間。 こんな風に写ってくれるなんて、と嬉しくなります。 自分の目でも見えていないものが、 カメラの目を通すとこうして写ってくる。 この感覚をなんと表現するべきなのか、 まだ自分の中に言葉がありません。

カメラの目

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現像された写真を見てみると、 撮影したその瞬間、 ジブンの目に映っていた世界と、 カメラの目に写っていた世界、 どちらが正しいのか、と考えさせられます。 自己満でしかありませんが、 綺麗だな、と思う写真が撮れた時、 撮った時、私の目にはこんな風に世界は見えていたのか、 と自問自答しています。 写真を撮る、ということは、 撮った瞬間を頭の中に焼き付けている行為なのかもしれません。

未知への道

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知らないことを知ることは、 純粋に楽しい、と感じます。 全くわからない領域の場合、 最初はハードルが高く感じ、 どこから攻めたら良いのか、悩みます。 しかし、その部分を少し堪えて先に進もうとすると、 (またはわからないということを無視して取り敢えず進んでみると) あるところで、 「あ、以前見たアレは、このことだったのか」と気づくところがやってきます。 私の場合、 その瞬間が楽しい、 と言っても過言ではないのかもしれません。 色々なことに対して器用にサクサクと進めることができる人からすれば、 遠回りをしているように見えたり、 ちんたらやっていると見えるかも知れませんが、 私の速度で進むことでしか、「み」えない世界もある、と信じています。

† じゃんけん †

英語のドラマを見ている中で、 登場人物たちが「じゃんけん」をするシーンが出て来ました。 日本では何かを決める際に比較的よく行われる行為ですが、 海外ではコイントスをすることが多く、 じゃんけんは稀、とのことです。 以前、英語の授業でも習った気がするのですが、 アメリカの一般的なじゃんけんの手は日本と一緒、 Rock-Paper-Scissorsのようです。 調べてみると、世界中で様々な方法があるとのこと。 特に、フランスは手が4種類だったり、 アメリでは101種類の手があるものも。。。 この辺りの詳細は様々な文献にお任せするとして、 重要なことは、何かを決める手法についての考え方です。 時代劇などをみると、「半か丁か?」というシーンがありますが、 あれもコイントスと一緒で、50%のどちらを選ぶか、というものです。 人間は何かを決める時、 考えても考えてもダメな時、 どれを選ぶか、という運に頼る、ということが、 少なからずある、ということになります。 その中でも、コインやダイスという道具を用いるものと、 人間の体を用いるものがあると思われますが、 どちらも意思決定のタイミングが異なるだけで、 「自分自身」が「決定の根拠のないところ」から「自分で選ぶ」ということが 共通要素です。 こういった決め方をするのは人間だけなのでしょうか?