美味しいという主観 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ - 4月 14, 2020 果物はたまに食べる程度ですが、 季節のものはやはり美味しく感じます。 特に、ここ岡山はそうなのかもしれません。 味は極めて主観的なものですが、 誰が食べても美味しい、と感じるものは 確かに存在します。 ただ、見ている色が同じかどうかを確認することが難しいのと同様に、 相手が感じている味と、自分が感じている味が一緒かどうかも、 確認することは非常に難しいことです。 そういう曖昧なものを共通のものとすることで、 社会は成立しています。 続きを読む
曖昧な空間 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ - 8月 28, 2019 岡山の家の横の砂利道です。 道、と言ってもすぐ突き当たるので、 私たち以外が入り込むことはありません。 ここから庭に自転車を運び込んだり、 その逆をやることで、結構便利に使えています。 何よりも、横の家とこれだけのスペースが空いている、 という点が、意外と良いのかも知れません。 ピンホールカメラで撮ったため、薄暗くボケていますが、 私の中でのこの空間は、まさにこのような印象です。 曖昧な境界としての空間。 結構好きかも知れません。 続きを読む
手作りピンホール リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ - 8月 05, 2019 仕事の関係から改めてカメラについて考える機会があり、 その原理や歴史も含め、見直していました。 何かとタイミングとは合うもので、 たまたま、荷物を入れているコンテナを開けて確認していたところ、 箱の底から以前購入したピンホールカメラ が。 もう10年以上前のモノであり、 中にフィルムは入ってるが、一体どこまで撮ったのかもわからず。 ただ、「今」これが出てきたということは、 何か意味があるのかもと感じ、 撮り切って現像に出してみました。 数枚の写真の一枚が写真の一枚です。 多分、筐体の隙間から入った光が写ってしまったのだと思います。 曖昧な輪郭や、 エッジ付近のボケなど、 やろうと思ってやれるものではない感が強く、 原理の勉強にもなると理由をつけ、 新しいフィルムを再び筐体に入れ、撮ってみることにします。 続きを読む
† 曖昧 † リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ - 3月 17, 2019 あいまい、という表現について。 それぞれの漢字について、解字を見てみます。 「曖」 ・意味:くらい(くらし)。日が雲に包まれてくらいさま。はっきりけじめがつかない。 ・解字:会意兼形声。旡(カイ)・(キ)は、胸がいっぱいに詰まってのけぞったさま。 愛はそれに心と夂(あし)を加え、胸が詰まって足もそぞろに進みかねる意を示す。 曖は「日+音符愛」で、日が雲にはばまれて進みかねること。 「曖」は同義語に「靉(アイ)」があるとのこと。 見たことあるかな?と思う漢字です。調べてみると、 靉は「雲が行きかねて止まる」という意味で、 同義語に「靄(アイ)」があるとのこと。 こちらも調べてみると「 雲やかすみがたちさりかねてたなびくさま 」 堂々巡りのようにも見えますが、 要は、自然現象によって見えにくくなっている状態のようです。 丁度出てきたので、「愛」の字も見てみます。 「愛」 解字:会意兼形声。旡(カイ)・(キ)とは、人が胸を詰まらせて後ろにのけぞったさま。 愛は「心+夂(足をひきずる)+音符旡」で、 心がせつなく詰まって、足もそぞろに進まないさま。 こちらはある意味、わかりやすく、そのままの印象です。 「旡」は珍しい漢字ですので、こちらも見てみます。 「旡」 解字: 象形。腹がいっぱいになって、ため息をつくさまを描いたもの。 この字形は、欠(腹がへってしぼむ)と反対である。 のち、ごちそうを示す部分をそえて、既とも書く。 現代の日本では用いない漢字ですし、 ちょっと印象とは違っていました。 他方、「昧」の方についても同様にします。 「昧」 解字:会意兼形声。未(ミ)・(ヒ゛)は、小さくて見えにくいこずえのこと。 昧は「日+音符未」。 「未」 象形。木のまだのびきらない部分を描いたもので、まだ…していないの意をあらわす。 こちらは素直にわかりやすい印象を受けます。 この二つの漢字から曖昧となりますが、 愛と雲のあたりはもう少し細かく見ていきたくなりました。 続きを読む
† 強い印象が記憶に残る † リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ - 3月 16, 2019 体が覚える、 ということと、 非常に印象的で記憶に残っている、 ということは、 ともに「人間」ならではなのでしょうか。 AI技術が様々なことを学習し、 それを活用して問題を解決する過程において、 上記のようなことは発現しないように感じます。 では、人間にとって、上記のようなことは「必要」なことなのでしょうか。 人間は非常に曖昧な存在です。 (曖昧、という言葉も明らかにしたい) 体が覚えるくらいにやり込めば、 正確にできるようになります。 別な言い方をすれば、それは、 目的に応じた動きを体ができるようになる、 つまり、そのための筋肉が養われている、ということです。 印象的なことが記憶に残る、というのはつまり、 これまでとあまりに違うために、 「記憶しておいた方が良いのではないか」と脳が作用するのでしょうか。 それはある意味、生きていくために必要な能力、と言えるのでしょうか。 続きを読む