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好きなものに支えられて

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これまで意識したことはなかったのですが、 多分、私はワカメなどの海藻が好きなようです。 乾燥したものを戻してお味噌汁にしたり、 生食用になっているものを醤油をつけたり、 一人の時から買って食べていました。 体に良い、と聞いたことがあるし、 安価だし、 というたったそれだけの理由ですが、 そうしたもののお陰で、 これまで健康でいられたのだと感じています。

カメラの違い

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今年の初めころのフィルムをようやく現像したため、 春ころの写真が出てきました。 スマホでも撮った写真の一つです。 どちらが本当の写真なんだろう、 などと考えてみても、もちろんどちらも本当の写真ですから、 答えに意味はありません。 こんな風に違うんだ、という点に意識を置きたいと思います。 因みに、フォーカスは蜂に合っています。

重なっていくもの

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大阪の時から一緒にいる子です。 それまではハロウィンは何かをした覚えもないのですが、 なんとなく、その季節ごとのイベントを重ねていくのは、 興味深いと感じます。 よく、時間の流れが速くなる、という表現を聞きますが、 私自身はまだそういう意識はありません。 常に色々なことが起こり、 乗り越えていっている印象です。 一つ一つを重ねて行きます。

そんな世界

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これはもう、某アニメーションの世界の産物か、 と思われるような雲がありました。 沖縄や九州が超大型台風の脅威にさらされています。 お陰様で岡山市は相変わらず安全なようですが、 周辺では警報が出ているところもあるようです。 注意して、意識して過ごすとともに、 安全・安心な場所を頭に入れておかなければいけません。

廃線跡

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今日、久しぶりに自転車でちょっと遠くの方まで走ってきました。 帰り道、写真のような場所を見つけ、 その不思議な空間でしばし休憩させてもらいました。 これまでほとんど意識したことはありませんが、 廃線跡は色々なところにあるようです。 意識はしてきませんでしたが、 少なくとも、こんな形で残っているところは見なかったな、と、 なんとなくその周辺を走って帰ってきました。

人か場所か

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大阪市に住んでいた時も、 岡山に来てからも、 街中でよく猫を見かけます。 今日も駐車場のところで車の後ろを通っているところを見かけました。 犬は人に懐き、猫は家に懐く、と言われるように、 猫には忠誠心は薄く、 場所に対する意識が強いのでしょうか。 そんなことを考えながらシャッターを切りました。

表現としての写真

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春先、まだ肌寒い季節でしたが、 公園では多くの家族連れが遊んでいました。 そのうちの一家族、親子で向こうの方に走っていきました。 今はこんな風景もなかなか見られなくなりました。 記録としての写真ではなく、 表現としての写真を意識するようになり、 自分にとって写真は何なのか、 考えながら撮っています。

明暗

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iPhoneのカメラとフィルムカメラ、 もちろん違いは多々あります。 中でも、暗いところと明るいところが共存している写真については、 デジタルの補正のすごさをひしひしと感じます。 手ぶれ補正等についてもすごいとは思うのですが、 それは、まぁ、意識次第でどうにかなるか、と。 しかし、明暗がくっきり分かれている場面については、 どちらかは切り捨てなければなりません。 そういう意味では、人間の目そのものがすごいのだな、 と、これまた当たり前のことに気づかされたりします。

意識のベクトル

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みんなが見つめる先は、 ショッピングモールのイベントスペースです。 群像を撮る時、 みんながバラバラの方に意識を向けているのか、 みんなが同じ方に意識を向けているのか、 それによって写真全体の印象も変わって来ます。 意識にベクトルがあるのだとしたら、 私のベクトルだけが彼らとは異なる方向を向いていることになります。 常にそういうベクトルを持つということは、 写真撮影にとっても、デザインにとっても重要なことに感じます。

フォーカスを合わせて待つ

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移動してくるものを撮影するのは、 構図においてとても勉強になります。 特に今のカメラはマニュアルフォーカスということもあり、 予め移動物体が来るであろうポイントにフォーカスした状態で、 待機しておきます。 今までデジタルカメラでそんなことを考えたことがあるだろうか、 と意識させられました。

鳥の視点

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久しぶりにデジタルカメラで撮影した写真です。 ドローンで大学周辺を撮影してみました。 高度的には6階くらいの高さだったのですが、 いつもとは違う視点から対象を見ることの面白さを、 如実に感じ取ることができました。 まさに百聞は一見に如かずです。 二つの視点のうち、自分側の視点、Eye-pointが大きく変化することで、 普段見ていた風景は一変します。 しかし、鳥にしてみれば、いつもと変わらない風景です。 自分の視点は絶対的なものではなく相対的なものである、 そんな当たり前のことも、こうやって体験しなければ 意識しづらいことだったりします。 モノづくりをしていく上ではとても大切なことです。

瞬間の構図

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瞬間に撮るというのは難しいなぁと感じます。 当たり前と言えば当たり前なのかも知れませんが、 露出などはもう考える余裕もなく、 ピントもそこまで合わせられず、という状態です。 ただ、フレーミングは、慣れ次第でどうにかなるのだろうと思えばこそ、 構図は無意識でも意識下でも、 常にしっかりとしていきたいと考えています。 瞬間にそれを合わせられるかどうか、 それが勝負です。

待つ

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光と影を意識しながら、 人や生物を入れて撮る。 レンジファインダーのLeica IIIfで撮るときは、 そんなことを意識しながら撮っています。 今使っているカメラは、露出やピント、 全てがマニュアルですので、 気が付いた瞬間に構えて撮る、というのはやはり難しいです。 しかし、できるだけ早く準備し、 そのまま構えて待つ、ということはできます。 人や生物が、ここだ、というところに来た瞬間に、 シャッターを切っておさめるわけですが、 それを待っている時間は嫌いではありません。

季節を楽しむ

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以前から季節の変化や、 季節ごとのイベントは大切にする方でしたが、 岡山に移ってからもそれは変わらず意識しています。 キャンパス内の木々も色付き始めていることから、 紅葉を見に、山の方へ。 岡山では初めての紅葉狩りになりましたが、 本当に綺麗な景色が多く、 晴れた空に映える赤を見て楽しみました。

玉ボケ

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これは、Konica FMで撮った写真です。 背景にある光が、玉型にボケている状態を、 玉ボケと呼ぶようです。 画像編集ソフトでぼかしてもこのようにできません。 (今なら色々なフィルタでできるのかもしれませんが) 質があまり良くないレンズでボケることによって生じるようです。 でも、それがまた、良いなぁ、と感じて見ています。 人間の目ではこのようには見えません。 見ようと思って意識がいったらピントが合ってしまいますし、 視力が弱くてボケている場合は、全体がぼやっとするだけです。 これもまた、カメラの目で見える世界のようです。

知ること

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ひめゆりの塔、という名前は知っていましたが、 現物を見るのも、それがなんであるのかも、 理解はできていませんでした。 今回、宿泊場所の関係から立ち寄ることができ、 駆け足でしたが、大筋を拝見することができました。 経験していない人間が、 いかにそのことを伝え聞いても、 本筋のところ、一番大切なところは理解できないのかもしれません。 そうであったとしても、表面だけなのだとしても、 知っていかなければならないのだと、 感じ、考えさせられました。 いかに自分が何も知らないのか、 それは、せめて知ろうと思えば知ることができることがたくさんあります。 機会もあります。 やるかやらないか、それだけなのだと意識させられた時間と場所でした。

⁂ 風景 ⁂

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風景 情景 光景 そのうちの、風景についてです。 今まで、いろいろな場所で生活をしてきました。 今回、岡山に来て初めて夕暮れを意識した気がします。 同じ日本なのに、なぜ、こうも違うのか。 何が違うのか、と聞かれたら、、、 なんなのでしょう? 正直、うまく言えないのですが、 でも、やはり、何もかもが違って感じられ、 でも、ある意味、一緒に見える。 そんな風景の中にいるなぁ、と感じた合宿でした。

† 操作性 †

昨日、たまたま食事の時にテレビを見ていたら、 数人でテレビゲームをやっているところを放映する番組をやっていました。 小さい頃からそういった類のゲームにはあまり親しみがなく、 少しやってはみても、今一つハマる、ということはありませんでした。 その理由はちょっと置いておいて、 彼らの手元に意識がいきました。 ゲームのコントローラー、その外観について、 多分、製造メーカーは非常に研究を重ねているのだろうな、 ということを考えていました。 一方、昨今ではスマートフォンでできるゲームが増えています。 私はiPhoneしか扱っていないため、 Androidの方は全くといって良いほどわからないのですが、 少なくともiPhoneについては、教育上問題があるようなものは アップできないようになっているはずです。 様々なゲームがあるわけですが、 いずれも画面へのタッチだけで操作できる、 ということと、 昨日見た、コントローラーの形状、 人間の適応能力は本当にすごいものだと感じます。

Conclusion: 図解に依る理解

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今回、数年ぶりにブログを更新するにあたり、 構成を意識する、ということに注力することに決めました。 特に構成の中でも、自身の能力向上のためにも、 論文によく用いられる形式であるIMRADを対象とすることに決めました。 起承転結や序破急など、いくつかの構成を見比べることで、 IMRADの特徴や特長を見定めることにしました。 その結果、IMRADには、順番とは異なる組み合わせが見えてきました。 具体的には、②Methodと③Resultが一つの組みになっているのと同様に、 ①Introductionと④Discussionも一つの組みになっているということです。 この結果から、IMRADについて考えてみると、 文章を書いていく順番自体を考えなければならない、ということがわかりました。 ②から④までを書いた上で、①を書くことが最も自然である、ということです。 これは同時に、日本で最初に習う起承転結との乖離も示していました。 起承転結が「AがBになった」ことを示すのに対して、 IMRADは、「AはAである」ことを述べるための構成だったということです。 これは図解によって理解することができます。 論文は物語や小説とは異なる、ということは、 当然のこととして理解していましたが、 そのことが具体的に何を示していたのか、ということが、 今回自分自身の中で一つの理解として得ることができました。 今後も、このように問題提起から、 一つ一つを丁寧に書き留めて参ります。