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新米

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新米の季節です。 なぜ日本人は米を炊いて食べようと考えたのか、 本当に不思議ですし、 それとともにその考えに至ったことに感謝です。 美味しい。

良い加減

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こういうところがデジタルカメラは面白いと感じます。 それと同時に、 人間の目の良い加減さも。 この良い加減は、本当に「良い」加減なのでしょう。 便利です。 ロボットが共存する社会になったら、 こういうところにも、 違う考え必要そうです。

食パンに味を求める

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食パンの味、 なんて、正直考えたことがありませんでした。 実家でたまに出る食パンのトーストは美味しいな、 とそのくらいの認識です。 ブランディングの最たるものを実感させられました。

好きなものを考える機会

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以前行った橋の下からの写真です。 何が良いのか、自分でも甚だ疑問ですが、 どうもこういうものが好きなのようです。 写真を撮るようになって、 自分が何が好きなのか、 対象が好きなのか、 写真に収まる絵として好きなのか、 撮り方が好きなのか、 色々と考えさせられます。 価値観にもつながります。

垣間見える考え

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ただの紙袋といってしまえばそれまでですが、 ちょっと前に、お菓子屋さんで購入した時に入れてもらったものです。 良し悪し、というよりも、 そこにちょっと「考え」が入っているということが楽しく感じます。 きっとこれを選んだ人は、 「あ、これこれ」と思いながら下の部分にお店の印を押したのかな、 など、相手の考えが見えることが興味深いのかもしれません。

単焦点で学べること

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最初はKonicaの52mmのレンズしかなく、 しばらくその画角で撮っていました。 その後、たまたま広角が手に入り、 広い空間を撮れるようになりました。 広角や望遠など、言葉では理解していましたが、 現代のカメラは大体のものが多少なりともズームすることができ、 画角の制約はあまり感じることがありませんでした。 単焦点のレンズを持つようになって、 初めて、どういう絵として画面に収めるか、 自分の考えを内包することができるようになってきました。

指摘されたこと

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以前、会社に勤めていた当初は、 写真の構図など、全く考えていませんでした。 それを指摘してもらい、色々と考える様になりました。 未だに良し悪しはわからないのですが、 自分の考えを込め、人に伝える必要がある、 ということはなんとなく理解できる様になりました。 それを実現することが難しくも楽しいと感じられます。 指摘してくださった方のグラフィックは 今でも大きな目標の一つです。

ボケを使う

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同じ展示会場でも、 ボケている人とボケていない人で、 伝えられるメッセージが変わってきます。 暗めの会場内でシャッターを切り、 その中で全くボケずに写っている、ということはつまり、 その展示に釘付けになっている、ということを、 暗に示すことができます。 もちろん、実際にその人がどうだったのか、 それはわかりません。 それでも写真を見た人に私の考えを伝えることはできる。 そう考えると、非常にデザイン的であると、捉えることができます。

変化する考え

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今日はピンホールカメラ を持っていくのを忘れていました。 家を出てちょっとしたところで気が付いたのですが、 時間のこともあり、仕方がないかと。 そうしているとかえって 「あ、ここ撮ってみたいな」などと思えてくるから不思議です。 デジカメが普及し、いつの間にかメモとしての写真が当たり前になっていました。 しかし、やっぱりカメラは作品を撮るものなのかもしれません。 作品、と言っても大層なモノという意味ではありません。 自分の考えや想いを写すという意味での作品です。 そういう考えで写真に向き合えるようになったのは、 自分にとって良い変化です。 写真はある日の商店街です。 休日にも関わらず少ない人通りが雰囲気をつくっています。

知ること

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ひめゆりの塔、という名前は知っていましたが、 現物を見るのも、それがなんであるのかも、 理解はできていませんでした。 今回、宿泊場所の関係から立ち寄ることができ、 駆け足でしたが、大筋を拝見することができました。 経験していない人間が、 いかにそのことを伝え聞いても、 本筋のところ、一番大切なところは理解できないのかもしれません。 そうであったとしても、表面だけなのだとしても、 知っていかなければならないのだと、 感じ、考えさせられました。 いかに自分が何も知らないのか、 それは、せめて知ろうと思えば知ることができることがたくさんあります。 機会もあります。 やるかやらないか、それだけなのだと意識させられた時間と場所でした。

‡ 現代におけるAIを考えてみる⑤ ‡

痛みや常識など、 知識を記述することの困難性がAI進化の壁だったことは想像に難くないことですが、 そこに「インターネット」が登場することで再び開発が進んだようです。 例えば、Googleなどの検索エンジンで何かを調べる際、 検索したい用語を入力すると、 その後の検索候補に「とは」という言葉が出るようになったのはいつからか。 あれを見たときに、「そういうことか」と 色々なことを一気に納得した瞬間がありました。 これからこうなっていくのだな、という認識から、 利便性が高まることによる危険性を考えなければならない、と考えるに至りました。 世の中の動きを見たいときは、 その候補を追いかければ良いが、 自分自身が何かをつくっていかなければならない場合は、 その候補に含まれていないものを追いかけなければならない。 そう考えさせられました。 しかしながら、AIに関する研究にとっては、 そのことが大きな一歩であったことも、 また、想像に難くないことです。

‡ リバタリアン・パターナリズム④ ‡

人の思考の種類には、 「自動システム」と「熟慮システム」があるそうです。 前者は「直感的で自動的な思考」と言い、 後者は「熟慮的で合理的な思考」と言うそうですが、 モノをデザインする場合は、 その双方に対して誤解なく情報を伝えることは肝要です。 例えば、何か道具を扱う場合を考えてみると、 この両者はともに、同じ答えに辿り着くことが望ましいと言えます。 特に、咄嗟に使用するようなモノについては、それは顕著です。 消火器のような災害時にしようするモノに関しては、 直感的で自動的な考えで使用方法が理解できなければ意味がありません。 そう考えてみると、 殊、道具に関しては、直感的で自動的な思考で正しい判断ができるように、 そのものがあれば、間違いは生じないようです。 逆に、デザイナーが関与した場合に、 熟慮的で合理的な思考が必要なモノは、 良いデザインとは言い難いように感じます。