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『memorandum』     

 Archimedes' screw

Archimedes' screwアルキメディアン・スクリュー というものがあります。 モノ、というよりも、原理があります。 そのまんまの意味ですが、 アルキメデスが考えたスクリューのことです。 アルキメデス、というと、 アルキメデスの原理を思い出しますが、 他にもたくさんのことを明らかにした人です。 そんな人が考えたスクリュー。 インターネットで検索すればすぐに出てきますが、 最初にこういうことを考える、と同時に、 それにどんな価値があるかを見出す、 こともとても大切だと思います 今までにないモノを創ることの難しさ、 今までにないモノを認めることの難しさ、 その双方があって、 初めて新しいモノが日の目を見ます。

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 読書

今回のタイトル、 「読んだり書いたり」という意味での、 「読書」です。 あれ?「読書」ってどんな意味だっけ? というゲシュタルト崩壊を起こしてしまいました。 もちろん、 「書物を読むこと」ですね。 しかしながら、これは、良い言葉かもしれないなと。 「読書」 読んだ内容を書き留めておくこと、 とても大切だと思うわけです。 人間は、意外と一度でも目を通したことは、 頭のどこかに引っかかっているようで、 1か0の判断はちゃんとつくものです。 そこからもう一歩。 1を100に、1000に、10000に、と変えていくためには、 読書=読んだ内容を書き留めていおくこと、 を忘れないようにしたいものです。

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 hashtag

ちょっとした会話から、 hashtagとはそもそも何か? と思い、まとめることにしました。 SNSをよくお使いの方はご存じの通り、 「#design」や、 「#デザイン」などのように使用し、 TwitterやfacebookといったSNS内を検索するためのモノです。 歴史などは色々なところにまとまっているので良いとして、 「#」という記号に着目してみました。 起源は古代ローマ時代、とのこと。 ラテン語の"Libra Pondo"という、 「重さを表す言葉」の略称、 "lb"から来ているそうです。 単位記号を示すためにlbの上に横棒が加わり、 少しずつ変化していったそうです。 やがて、 重さを表す場面と、 ナンバーを表す場面で使われるようになります。 そのころ、キーボードにも登場したとのこと。 その後、 世の中の電話が、 ダイヤル式からプッシュホン式になります。 従来のダイヤル式よりも、様々なサービスを提供できるように、 ということで、ボタンを追加することになりました。 上述のように、キーボードに登録されていた、 つまり、 コンピュータが識別可能、という理由から、 「*」と 「#」が加わることになりました。 加わることのなっても、 しばらくはマニュアルに名前は載っていなかったそうです。 やがて、 "octothorpe"という名前が与えられるようになりますが、 今となっては、 「ハッシュマーク」という方が一般的になっているようです。

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 bridge

ヴァイオリンなどの弦楽器のパーツの一つに、 「駒」があります。 英語では"Bridge"と呼ばれています。 和楽器では三味線や琴などに用いられています。 駒の方も気になるのですが、 今回は"bridge"の方です。 いつものように語源はなんだろうと思って調べてみると、 OE brycg, of Gmc origin. となんともシンプルな表記が。 ゲルマン語派の古英語の"brycg"だよ、ということで、 普通ならココで終わるのですが、 ちょっと気になって調べてみると、 Wiktionaryに在りました、たんまりと。 以下です。 From Middle English brigge, from Old English brycġ (“bridge”), from Proto-Germanic *brugjō, *brugjǭ (“bridge”), from Proto-Indo-European *bʰerw-, *bʰrēw- (“wooden flooring, decking, bridge”). Cognate with Scots brig, brigg, breeg (“bridge”), Saterland Frisian Brääch (“bridge”), West Frisian brêge (“bridge”), Dutch brug (“bridge”), German Brücke (“bridge”), Danish bro (“bridge”) and brygge (“wharf”), Icelandic brú (“bridge”) and brygga (“pier”), Gaulish bríva (“bridge”), Old Church Slavonic бръвъно (brŭvŭno, “beam”) and Russian бревно́ (brevnó, “log”). The verb is from Middle English briggen, from Old English brycġian (“to bridge, make a causeway, pave”), derived from the no...

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 四苦八苦

四苦八苦の四苦とは、 「生・老・病・死」のことです。 仏教用語として学びました。 そこに、さらに四つの苦が加わって八苦になります。 愛別離苦 怨憎会苦 求不得苦 五蘊盛苦 「苦」とは「思うようにならないこと」とのことです。

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 回向

「回向」という言葉、 知ってはいましたが、意味を考えたことはありませんでした。 自ら修めた功徳を自らの悟りのために、 または他者の利益のためにめぐらすこと。 廻向とも書いて、 元々のサンスクリット語(梵語)では、 Pariṇāmanā(パリナーマナー) と言うそうです。 本来、功徳を積む、つまり良い行いをすることは、 自分のため、と考えますが、 仏教にある「一切皆空」の考えによって、 自らの善行は他者へ振りまくことができることになるそうです。

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 修証義

曹洞宗でよまれるお経のことです。 古語ではありますが、 「修」とは実践修行、 経典は、全5章3704文字から成り立ち、 開祖道元禅師の主著「正法眼蔵」を中心に引用し、 明治23年に編纂されたとのことです。 日本語によるわかりやすい経典です。 「証」とは悟り、 「義」とは意義という意味とのことで、 曹洞宗の教えが体系的にまとめられています。

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 法要

ことばの意味を正しく理解し、 人に説明する、ということは、 なんと難しいことでしょうか。 法要、法事などとも言います。 よく、この日は法事がある、などと使われたりしますし、 実際に「法事」というイベントがありますので、 法事がある、法事が行われる、という使い方には、 間違いはありません。 しかし、では、法事・法要とは何か? と問われた時、正確に応える自信はありません。 辞書に依れば、 ・法義の枢要。教法の肝要。 ・法会。法事。 一つ目の意味、既に私の中では???という印象です。 私の中での法事とは、 亡くなった方の供養の一つ。 亡くなってから数年間毎にお経を上げてもらう。 そんな印象でした。 ところが実際は「法義の枢要。教法の肝要。」、 つまり、「仏教における最も大切なこと。仏の教えの非常に大切なこと。」 と訳すことができます。 つまり、亡くなられた方のためにお経をあげることが重要なのではなく、 その中に含まれている教え、そのモノのことを、 元々は指していた言葉でした。 それが時の流れの中で次第に変化し、 結果的には行為を説明する言葉になってしまったように感じます。 形骸化、ということなのでしょう。 なんとももったいない話しです。

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 惟喬親王

惟喬親王(コレタカシンノウ)のお話しを聞きました。 惟喬親王 844年〜897年 文徳天皇の第一王子。 母は紀名虎の女静子。 大宰帥、常陸・上野太守。 第四王子惟仁親王(後の清和天皇)の外戚藤原良房の力が強く、 皇位継承はならなかった。 剃髪して小野の里(山城国愛宕郡)に隠棲し、 小野宮という。 木地師の間では伝承ではその祖とされる。 伝承なども相まって、 まだ整理が仕切れておりませんが、 第一王子であったにも関わらず、 当時の摂政関白である、藤原良房に依って、 皇位を得られず、 今で言うところの滋賀県東近江市に落ち延びて行った、 とのこと。 問題はそこからです。 どうやら、極めて賢しい人だったらしく、 巻物をくるくるしているところから、 轆轤を発明したとのこと。 滋賀県の山深い地において、 轆轤を発明したことから、お椀などの生産技術が格段に向上。 その結果、木地師の地位を高めることに貢献した、 というのが大本の流れのようです。 福井において、 初めて漆の文化に触れることができました。 実家、山形にもあるにも関わらず。。。 実家では普通に「権之助塗(ごんのすけぬり)」のお皿を使っていました。 そもそも、漆器において、 中の木地をつくる人と、 外を塗る人が 異なる、ということも、 福井で学びました。 今日、聞いた、惟喬親王。 そんな木地や漆器との関わりを調べてまとめておきたいと思います。

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 浮世絵

知識欲、が多少はあるようです。 今日、たまたま出先で浮世絵の展示に出会うことができ、 のぞいて来ました。 「浮世絵」という単語は知っていても、 なかなかそこから先へとなると難しいと感じています。 辞書(広辞苑 第五版)に依れば、 「江戸時代に発達した民衆的な風俗画の一様式。  肉筆画も行われたが、特に版画において独自の美をひらいた。  桃山時代から江戸初期に流行した肉筆の風俗画・美人画を母胎とし、  17世紀後半(延宝〜元禄)の菱川師宣によって版本挿絵として様式の基礎がつくられ、  さらに1765年(明治2)には鈴木春信により多色刷版画(錦絵)が創始されて、  黄金期を迎えた。  その主題は遊里や芝居の情景、美女・役者・力士などの似顔絵を中心とし、  歴史画や風景・花鳥に及ぶ。  作家としては、ほかに、  鳥居清信・  西川祐信・  鳥居清長・  喜多川歌麿・  東洲斎写楽・  葛飾北斎・  歌川広重などが名高く、  19世紀後半からヨーロッパの美術へも影響を及ぼした。  とのこと。 こんなに長い引用は初めてですが、 本当に良くまとまっているな、と、 今日の展示を見たために読み取ることができました。 今日の展示は、実は海外の方が個人で集めてらした作品を、 一挙に公開いただいたというもの。 上述したような方々の作品が多数展示されていました。 少し、ページを割いて、 展示のお浚いを通して、自分のまとめてとしたいと思います。

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 漢字

先日、初めて聞く言葉がありました。 ・簡体字:中華人民共和国の文字改革によって制定された、自体を簡略化した漢字。 ・繁体字:簡体字化された漢字のもとの漢字 1949年:中華人民共和国 建国 1952年:中国文字改革研究委員会 設立 1954年:中国文字改革委員会に改名 1955年:漢字簡化方案草案 発表 1956年:漢字簡化方案(汉字简化方案) 公布 1964年:簡化字総表 以前、中国の方と会話をした際に、 双方共に英語があまり得意では無かったため、 漢字を書いてコミュニケーションをとったことがありました。 その時、 あ、こんな漢字は日本は無いなぁ。あ、これも無いなぁ。 ということが何度かあり、 てっきり、中国語の漢字の一部だけが 日本に入ってきているのだと思っていました。 しかしながら、この繁体字と簡体字のことから想像するに、 その時の会話で通じなかった漢字の多くは、 簡体字なのだと思われます。 歴史的な事柄なのでもう少し調べてみますが、 よく見てみると、 「これ、こんな風に簡略化しちゃって、良いの???」 と思われるものも少なくありません。 かく言う私の名前もまた、 ちょっと変わった字ではありますが。

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 伝える

私は、 中学高校と吹奏楽部に所属し、 大学ではオーケストラ部に入っていました。 楽器はずっとフレンチホルンでしたが、 大学2年生の時に、友人に誘われて、 練習の指揮を振ることになりました。 これが私にとって、とても大切な経験になったように思います。 そもそも、そんなことをするつもりはありませんでした。 友人が誘ってくれたから、 じゃぁ、やろうか、 というのが始まりです。 私は、下手の横好きで中高とやってきましたが、 レッスンを受けていたわけでも無く、 全て自己流でした。 もちろんテキストを見ながら練習をしたり、 先輩に教えてもらったことはたくさんありますが、 そうは言っても、専門家にきちんと習う、ということはありませんでした。 そんな私が指揮なんか振って良いわけ??? というのが最初の思いです。 ただ、折角誘ってくれているのに、 何の根拠もなく断るわけにはいきませんし、 彼がやりたがっていることはとてもよく伝わってきました。 そして、多分、私自身、本心から言えば興味があったのだと思います。 できるかどうか、 よりも、先に、 やってみたい、 人に何かを伝える・教える、ということが、 自分にできるのだろうか、 そんな想いが心の中にあったのだと思います。 先ほども書いたように、 私のは本当に下手の横好きです。 その歳まで8年間やってきたのに、 え?そんなものなの? と言われてもおかしくないくらいの演奏しかできませんでした。 でも、逆に言えば、 そんな私にとって、曲を演奏するということはとても大変なことです。 つまり、「演奏が苦手な学生」にとって、 演奏がどのくらい大変か、ということを、 経験的に理解している、ということになります。 そして、レッスンに行っていない分だけ、 どうやったら演奏できるようになるか、 を自分で考えるようになっていました。 練習方法や考え方・曲の解釈など、 習うことで得られたものとは、 また別なモノを持っている、という自覚はありました。 誘ってくれた彼が王道で行ってくれるだろうから、 じゃぁ、私は覇道を行こう。 そう勝手に決めて、突き進んでいきました。

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 描くこと

自分は、絵を描くのが苦手だ、という思いを抱えて大学に入りました。 普通ならば、苦手なことをやらされれば、嫌になるものですが、 私の場合はちょっと違いました。 苦手なことは苦手なのですが、 改めて、描き方を教えてもらえたり、 そもそも描くということは、どういうことなのか、 ということを考える機会をもらえたことが重要でした。 そうなると、自分が下手だからどうのこうの、ということは、 とても小さなことで、 そんなことは、ただ只管練習するしかない、 ということもわかりました。 何よりも、「描く」ということ、そのものについて、 自分の中で落とし込むことが、とても大切なことでした。 そして、それは教員という立場になったとき、 また別なものに変わっていきました。 つまり、自分が下手、ということは、 一つの武器になったのです。 下手だから見られたくない、 下手だからなかなか描こうとしない、 下手だから・・・ というような、 「描くことが苦手な学生」が、 なぜ、そう感じるのか、 そう感じた時はどうすれば良いのか、 ということの一部が、自分の経験からわかるとういことです。 実は、私は、こういったことの集合でできているのかも知れません。

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 描く

デザインに関わる仕事をしています。 小さい頃の私をよく知る人は、 まさか!と感じるかも知れません。 なぜかと言えば、お絵描きが苦手だったからです。 幼稚園の頃に描いた絵は、 壊滅的でした。 自分でも覚えているほどに、大変なものだったと思います。 それでも、褒めてくれた母に感謝です。 やがて、小中高と成長していっても、 目の前にはやたらと上手い人が。。。 そんな環境で育った私は、 ただつくりたいという想いだけで、 大学を選びました。 よく考えれば、いいえ、よく考えなくても、 絵を描くことが必要不可欠であることは疑いようもないことなのに。 大学に入ってから習った方法は、 それまでのものとは違っていました。 もちろん、目に見えるモノをきちんと描ける能力は必要です。 でも、それと同時に、 目に見えないモノ、 まだ、世の中にないモノを描くための能力が求められることになりました。 それから、かれこれ、20年弱、 なんだかんだと、描いてきたのだと思います。 もちろん、未だに、絵は褒められることはありません。 でも、いつか、そうありたいと思っています。

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 つくる

デザインに関わる仕事をしています。 小さい頃から、何かをつくることは好きでした。 専らブロック系の玩具を使って、 「何か」をつくっていました。 誕生日やクリスマスなどに玩具を買ってもらい、 最初は、そこに載っているモノをつくっていきます。 でも、 一通りつくってしまうと、 そこからが、本当の意味での「創る」時間でした。 今思い返してみて感じることは、 当時は、「こういうモノをつくろう」と 考えてつくっていたことは少なかったと思います。 とにかく、何かをつくってみる。 それは、「あぁでもない、こうでもない、、、」 というものでもなく、 「あ!こんなのできた!じゃぁ、こうしたら、、、あ、こうなった!」 というように、 「つくっては考え、考えてはつくる」を、 地でいっていたようです。 これは、私が大学に入って、 デザインとして教わったことにつながります。 頭で考えているうちは、まだまだ、 やがて、手が考えるようになる。 そう教わりました。 大人になってからそう言われても、 なかなか素直にはそう考えられないな、と感じていましたが、 逆ですね。 考えてはいけないのだと気付きました。 とにかく描いて、つくって、 その一つ一つがきっと、 自分自身に返ってくるのだと考えています。

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 兼六園菊桜

梅、と言っても、実際は様々な種類があります。 当たり前のことなのでしょうが、 これまではさほど意識していませんでした。 今年に入って、そういうことを意識する機会に恵まれました。 もちろん、同様に、桜、と言っても、 色々な種類があります。 八重桜はもちろんその一種なのですが、 これも、特定の品種を指すものではなく、 八重咲きになる桜は全て八重桜。 そんな風に思いながらもう少し調べてみると、 なんとも縁のありそうな名前を見つけました。 それが、 「兼六園菊桜」。 八重桜の中でも殊更花弁の枚数が多く、 300枚にものぼるとか。 その名の通り、発祥の地は兼六園で、 江戸時代から栽培されていたそうです。 今度、桜が終わった季節に金沢に行くことがあるなら、 是非一度見てみたいと思います。 何かと縁がある八重桜。 きっといつか見られるはず。

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 八重桜

いにしへの   奈良の都の     八重桜    けふ九重に      にほひぬるかな 百人一首は、結構宙で詠める方がいらっしゃいますね。 私は全くわからないのですが、 興味を持っています。 小さい頃の方が覚えやすかったはずなのに、 その頃には興味を持てませんでした。 さて、そんな八重桜の歌ですが、 詠み手は伊勢大輔という女性とのこと。 奈良から宮中に八重桜がおさめられた時のこと、 その受け取り役を紫式部から譲られた伊勢大輔が、 藤原道長から突然振られた詠まれたそうです。 古(いにしえ)と今(けふ)、 八重と九重、 奈良と九重、 見事に絡み合ってて素晴らしいそうです。 よく頭が回るなぁ、と感心しますが、 こういう回転、とても大切ですね。 普段の会話でも、大切なのかも知れません。 単純な言葉の応酬ではなく、 会話・対話として楽しむことを心掛けたいものです。

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 abbreviation

abbreviation、という単語を知りませんでした。 意味は略語。 でも、略語の意味を聞きたい場合は、 What does ATM stand for? と聞くかもしれませんね。 さて、そんな略語ですが、色々なところに溢れていますね。 上に書いたATM(Automated Teller Machine)もそうですし、 POS(Point-of-Sale )もそうですね。 NHK(Nippon Housou Kyoukai)も略語ですし、 NEC(Nippon Electric Company)もそうですね。 BMW(Bayerische Motoren Werke )もそうらしいですし、、、 と、多分、どんどん出てきますね。 もちろんわざとそのように書いたわけですが、 なんて三文字が多いことでしょうか。 そう感じてウェブで検索すると、 出てきますね、なぜ三文字が多いのか、という話題のブログが。 色々な説がありますが、 「程良い」 ということのようです。 二文字では、数的にあっという間に打ち止め。 四文字では短くなった感が薄い。 ということで、三文字が程良いようです。 三文字にすることによって、 26×26×26=17576種類は確保できるようです。 とはいえ、うまいこと全て使われるわけもなく、 また、かぶってくることもままあるわけですね。 ただ、こういう具合に、 多くの人が「程良い」と感じることには、 何かしら、法則があるのではないか、 と感じます。 手に持つモノ、 乗るモノ、 投げるモノ、 転がすモノ、 つまむモノ、 色々なところに多分、程良さはあるのだと思います。 それは人体から決まる部分もあるでしょうし、 その他様々なもので決まってくるのだと考えられます。 そんなことを考えるに至ったのは、 カーステレオに付いていた、 「AUX」 という三文字を見たから。 そういえば、これはどういう三単語なんだ? と思い調べてみると、、、 auxiliary ・・・ん?あぁ、頭の三文字?!?! その場合も、ありますね、確かに。

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 槍鉋

宮大工と言えば、と言うわけではありませんが、 槍鉋という大工道具があるそうです。 あったそうです、の方が正確かも知れません。 現在ではほとんど使われていないとのことですが、 同時に、現代ではほとんどつくられていないそうです。 外観は槍のように、 棒状の木材の先端に槍のような形態の刃が付いています。 刃の部分が反り返っているため、 その反りを利用して木材の表面を削っていきます。 大分古くからある道具らしく、 最も古いモノは7世紀頃のモノが出土しているそうです。 お隣韓国でも類似にモノが発掘されているとか。 ただ、あまり他に類似したモノがないらしく、 もしかしたらこの辺独自の文化かも、とのことです。 表面に特徴的な目ができるため、 通常の台鉋とは異なり、 表面を均すためだけに使われるわけではなかったようです。 木の繊維を傷めずに滑らかに仕上げることができるらしく、 耐久性も増す、とか。 いずれにしてもつくり手もつかい手も、 文字通り匠の業が必要な物品のようです。 ちょっと気になったのは、 「鉋」という漢字。 『漢字源』(学習研究社/藤堂明保)によると、 語源は「金+音符包(外側をつつむ、外側をこする)」とのこと。 一般的な台鉋を思い描けば何も疑問を抱きませんが、 今回取り上げた槍鉋に関して言えば、 ・・・包む???となります。 もちろん、意味としては「こする」というものもあるので、 そちらが採用されたのだとは思いますが。 どのような流れから槍鉋という道具が生まれ、 鉋という名前を冠することになったのか、 そう考えていると不思議な感じがします。

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 宮大工

宮大工という職業があります。 文字通り(?)、神社仏閣の建築や その補修作業を行うことを生業にしています。 私自身、最初はそのくらいしか知りませんでした。 ただ、よく考えてみると、 宮大工という職業は、 日本全国、至る所にいなければいけないことになります。 多分、神社仏閣がない県は存在しないと思いますし、 もしかしたら、市町村単位でも、 神社仏閣は最低一つはあるのではないかと思います。 そうなると、宮大工、という特別な表現をする必要はあるのか? と考えたわけです。 調べてみて、すぐに出てきました。 「渡り大工」という表現。 日本中あらゆる場所に、とは言わないかも知れませんが、 様々な土地の神社仏閣を修繕して回るそうです。 今度の建物はどのような構造なのか、 はもちろんのことながら、 どの木材を使うのか、 どこまで修繕するのか、 どういう手順で行うのか。 一言に神社仏閣と言っても、 それこそ様々な様式・形式を備え、 何よりも、歴史性を持っています。 その時間的な文脈も踏まえた上で修繕作業を行う職業と考えると、 非常に深く難易度が高いと言えます。 宮大工に関する登録等の情報は見つけることができませんでしたが、 ある方がメモ的に書かれていたモノに依れば、 日本全国でも100人を切ってしまっているようです。 本当かどうかはさておき、 現実的な職業としては確かに難易度も高く、 技術継承の方法も限られているという点において、 今後、継続していくのが難しい職業、 その職能を残していくことが重要になっている職業である、 と言えます。