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図鑑

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この植物、 児手柏・コノテガシワ、というそうです。 植物の名前は本当によく知らないな、と感じます。 小さい頃、図鑑が好きで見ていたことを覚えていますが、 それは主に動物や海の生物だったようです。 今更ながら、植物図鑑など買ってみようか知らんと、 考えている自分がいます。

鳥という存在

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普段カメラを持って歩いていると、 人間の居住区に、人間の次に最も多く存在している生物は、 鳥類なのだと感じます。 考えてみれば当たり前のことですが、 気付かなければ気付かぬままに生きて行っても、 何も問題がない事柄でもあります。 この大学がある山裾でも、 電信柱が立ち並ぶ都会の真ん中でも、 様々な種類が暮らしています。 そうして考えてくると、 その量が多くても少なくても、 何かがおかしい、ということに気付けそうです。 そういう事柄は、 色々なところに隠れているのかもしれません。

スナップショットの面白さ・難しさ

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レンジファインダーはスナップショット、 一眼レフは対象物を狙って、 と、自分の中でなんとなく線引きをして撮るようにしています。 更に、スナップショットはできるだけ生物を入れて、 とすると、やはりなかなか難しいものです。 しかし、昨年からある程度の枚数を撮ってくると、 やはり生物が入っている画面が私は好きなようです。 ブツ撮りと割り切ってしまえばまた違うのでしょうが、 空間を単位時間で切り出すという写真自体の面白さは、 スナップショットにあると感じます。

人の気配

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人物や生物を写真におさめるのが楽しいのですが、 なかなかそう上手くもいきません。 ただ、例えばそこに生活を感じることができたり、 人がいる、人がいた気配を感じることができれば、 それは同様に面白い写真といえる様です。

タイミングの難しさ

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一体、何を撮りたかった写真なのか、 と思われてしまう様な一枚になってしまいました。 街中にサギがいたことがあり、 その飛び立つ瞬間を撮りたいと考え、 粘った結果がこれでした。 イメージの中では、フレームのもっと右側。 今にもフレームから出て行こうとしている瞬間に シャッターを切ったつもりだったのですが。。。 今時ならばiPhoneなどで連写をすることでしょう。 または映像で撮っていることでしょう。 自分の指が動く瞬間と シャッターが切れる瞬間のギャップ。 その生物は「きっと動く」というイメージと現実のギャップ。 動いているどのタイミングをおさめるのが、 一番美しいのかと言うイメージと現実のギャップ。 それらを埋めて行くことが重要だと考えさせられました。

待つ

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光と影を意識しながら、 人や生物を入れて撮る。 レンジファインダーのLeica IIIfで撮るときは、 そんなことを意識しながら撮っています。 今使っているカメラは、露出やピント、 全てがマニュアルですので、 気が付いた瞬間に構えて撮る、というのはやはり難しいです。 しかし、できるだけ早く準備し、 そのまま構えて待つ、ということはできます。 人や生物が、ここだ、というところに来た瞬間に、 シャッターを切っておさめるわけですが、 それを待っている時間は嫌いではありません。

伝わるメッセージ

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レンジファインダーカメラで撮るようになってから、 写真の中にできるだけ人や生物を入れたいと考えています。 動きが見えるかどうか、と共に、 そこに 意思 を見て取ることができるかどうかに、 要点があると感じています。 写真中程に写っている人は、 ドアから出て来て、明るい方に目を向けています。 たったそれだけのことでも、いろいろなことが想像されます。 もしも、そこに強いメッセージ性を感じることができる写真が撮れるならば、 それは作品と呼べるのかもしれません。

生物と静物

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写真撮影における、生物と静物の大きな違いは、 写り込む動きの有無です。 つまり、シャッタースピードを時間の基準とした時に、 そこに写り込む姿が、止まっているのか、ブレているのか、 そこにあるのではないかと考えます。 逆に、生物でも、 撮影した時のシャッタースピード上、止まって見えるならば、 扱いとしては静物と変わらないとも言えます。 しかし、この写真の中ほどに写っている猫は、 ある方向に視線を向けています。 そこには何かしらの意思が働いていることが感じられます。 それは生物の特徴の一つであり、静物とは区別される部分なのかもしれません。

スナップショット

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レンジファインダーカメラを使う、ということを考えた際、 スナップショットを撮ろう、と決めて試してみました。 厳密な定義などはないのでしょうが、 街中を歩いている中で、 あるシーンを切り取る、というのがその一端ではないかと考えます。 また、難しいことではあるのですが、 できるだけ、人や生き物をフレームの中に入れよう、とも決めてみました。 結果的に相手の顔が写りすぎているものなどは、 こういった場には出せなくなりましたが、 そういうことも含めて、 自分にとって練習だと感じています。 あるシーンを伝えるためには、 「誰」であるかは必要がないことが多いわけです。 家族写真や記念写真などとは違います。 そんなことを一人考えながら、 写真に向き合ってみています。