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新米

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新米の季節です。 なぜ日本人は米を炊いて食べようと考えたのか、 本当に不思議ですし、 それとともにその考えに至ったことに感謝です。 美味しい。

緑色の絨毯

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自宅のある岡山市から、 大学のある総社市に向かっていくと、 どんどん周囲に田んぼが増えて行きます。 今の季節は、植えられた苗が程よく育ち、 緑色が一面に広がっています。 昨年は台風の影響もあって、 多くの稲がなぎ倒された場面がありました。 今年の日本には、すでに色々な災害が降り注いでいます。 せめて、稲は無事に大きく育ってほしい、と願っています。

真備をぶらり

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吉備真備という人がいました。 もしかしたら、岡山で最も有名な人の一人かもしれません。 そんな人を称えた場所が、岡山にはいくつかあります。 たまたま立ち寄った「まきび公園」もその一つです。 中国と日本の間を取り持った一人として、 その両方を感じさせるような造形で埋め尽くされたような、 そんな公園でした。 一体、どこから攻めていけば良いのか、 そんなことを考えながら、真備の街を探索しました。

田舎の夜

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年末年始のお休みの時に、 岡山に帰ってきた時の街の様子です。 夜遅くに飛行機で着いた、ということもありますが、 それにしても車通りも人通りもなかった印象があります。 丁度今、日本中がこんな感じです。 コロナ禍と表現するそうですが、 とはいえ、田舎の夜の街、という感じです。 大阪から福井に引っ越した当初、 夜の静けさと、暗さに驚いたことを思い出しました。 出身の山形を考えれば驚くようなことではないはずですが、 いつの間にか都会の感覚になっていたようです。 今、住んでいる岡山は、 丁度都会と田舎の両方を楽しめる場所、 そう考えると、このタイミングでここに来られたことは幸いでした。

携帯方法から見える世界

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カメラを携帯する場合、現代ではカメラ自体にストラップを付け、 そのまま肩から下げたり、手で持って移動します。 1950年頃の日本では、カメラを裸で持って移動する、 などということは考えられなかったのでしょうか。 Konica Iの本体にはストラップホルダはありません。 その代わり専用の革カバーがあり、そこにストラップを通すようになっています。 専用、と表現したのは、Konica Iは三脚のネジ穴の位置も普通とは異なるため、 一般的なカメラカバーではうまく固定できないためです。 当時の銀行員の初任給40ヶ月分の金額だった精密機器を、 裸で持って歩く、などということは考えられなかったのかもしれません。

日本のモノづくり

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先日、オークションで奇跡的に落とすことができた、 「Konica I」。 元々は、「Konica」の名前で売り出されたため、 本体には「I」という文字はありません。 後継機「Konica II」の発売が決まったことで、 「I」をつけることになったそうです。 1948年に販売が開始されたということで、 今から約70年前につくられたモノです。 設計自体は戦前には終わっていたそうなので、 むしろ80年以上前に構想されていた機器ともいえますが、 それが、現代まで残り、 こんな写真を撮ることができる状態で居てくれています。 日本のモノづくりの力を感じずにはいられません。

モノの価値とは

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会場設営はもちろん業務です。 スーツ、は流石に場違いかと感じましたが、 ワイシャツはいつも通り着て行こうと考えていました。 出発直前に寄った100円ショップで、 まさかのモノを見つけました。 写真にあるように金額は700円ですが、 700円でワイシャツが! もう一体日本のモノづくりはどうなっていくのか、 そんなことを思いつつ、 汚れる可能性が高い設営には、これを着て行こう、 と鞄にしまい込みました。

晴天

福井は、日本一晴天の日が少ない場所、ではありませんが、 印象としてはやはり曇りや雨が多いです。 鉛色の空と荒れた日本海、と言いますか、 そんなイメージがついてきます。 しかし、ここ三日間はなぜか、 非常に晴天に恵まれ、何かと屋外を移動することが多かったことを考えれば、 それは良いことだったようです。 何かに導かれるように、 お日様が味方をしてくれた、 そんな数日間でした。

⁂ 風景 ⁂

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風景 情景 光景 そのうちの、風景についてです。 今まで、いろいろな場所で生活をしてきました。 今回、岡山に来て初めて夕暮れを意識した気がします。 同じ日本なのに、なぜ、こうも違うのか。 何が違うのか、と聞かれたら、、、 なんなのでしょう? 正直、うまく言えないのですが、 でも、やはり、何もかもが違って感じられ、 でも、ある意味、一緒に見える。 そんな風景の中にいるなぁ、と感じた合宿でした。

Discussion: AはAである、ということ

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日本にある書き方の構成の一つに、 起承転結というものがある、ということを言いましたが、 まさに、日本で幼い頃に習うこの文章表現は、 スタートからゴールに向かって、いかに一直線に進むことができるか、 というものです。 「転」などがあったとしても、道としてはまっすぐ先に向かっていきます。 「AがBになった」、という話をいかにまとめるか、というものです。 しかし、IMRADの書き方は、 「AはAである」、ということを示すための書き方です。 この違いが、日本人が論文の形式で考える際に 一番難しく感じることではないでしょうか。 そういう意味では、もう一つ紹介した「三幕構成」は、 比較的IMRADに近いと言えます。 一幕:Introduction 二幕:Method + Result 三幕:Discussion 一幕と三幕はセットになっており、内容は重なっています。 繰り返しになりますが、 研究の中ではDiscussionが一番重要になりと言われています。 しかし、研究を行なっていくと、 如何に実験を行い、その結果はどうだったのか、 ということをまとめることに注力してしまうことが 多々あると言わざるを得ません。 文字通り、方法が目的にすり替わってしまっているパターンです。 確かに、新しい「Method」を構築し、それを実現することによって、 初めて見つかった「Result」に辿り着くことは大きな喜びですが、 論文におけるオリジナリティは、方法の取り方と同時に、 結果から何を考えたのか、という部分です。 そこにこそ、自分自身が現れるのだ、ということを常に忘れてはいけません。