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『Consilience Design』   

 師弟感

改めて師弟感について考えます。 親子で師弟の関係を構築することの難しさは、 現代における情報の早さが一つの原因です。 昔は、師にとっても弟子にとっても、 親子で実現する方が、一番早かったわけです。 余所から知らない人を見つけてくるよりも、 取り敢えず自分の子どもに教える。 性格もわかっているし、普段から一緒に生活しているわけですから、 確かに色々な点において、その方が都合が良かったわけです。 これを現代に置き換えてみるとどうでしょう。 様々な家庭があります。 単純に情報の早さや量だけが問題なのではないと言えます。 それならばいっそのこと、 元々は全然知らない人同士でも、 その仕事そのものに興味を持ってくれる人間の方が、 都合が良いのかも知れません。 かく言う私も、 祖父や父の職業とは全く関係がない仕事に付いています。 では、そこには何の想いもないのか、といえば、 もちろんそんなことはありません。 例え、職業としては違っていても、 幼い頃に見て聞いて感じた、 その仕事に対峙する姿勢は、 きっと自分の中に生きているのだと感じます。 それはカタチとして見えるものではないかも知れません。 しかし、単純に見えるものだけが受け継がれていくわけではない、 のだと考えます。

『Consilience Design』   

 師弟

先日のブログを読んでくださった方から、 「宮大工・西岡常一」さんの ドキュメンタリー作品を教えてもらいました。 「鬼に訊け」 まだ見ることができていませんが、 西岡常一さんについて調べてみて、 現代における問題と重なり合うところがありました。 それが、タイトルにもなっている師弟感です。 西岡家は、完全に父子による伝承です。 ご本人が子どもの頃にお祖父様、お父様から習い、 自分も、娘婿さん、お孫さんへと、伝えていく。 現代において、これが如何に難しいことか、 その渦中にいない人でも多分、想像はできると思います。 私が関わらせていただいているいくつかの産地も、 この問題を抱えています。 職業選択の自由、 などという時代錯誤な話しをする気はありませんが、 確かに昔は、父親がやっている仕事を見て、 何となくそういう方向に、心が向いていく、 または、そういうものなのだと、心が納得していく、 ということがあったのではないでしょうか。 現代では、良くも悪くも、 様々な情報を得ることができてしまいます。 以前なら、物理的に目で見ることができうる範囲が、 その人にとっての世界でした。 しかし、もちろん今は違います。 物理的には見えていないところも、 まるで自分の世界であるかのように、 感じることができるようになりました。 そこにある「現実感」「本物感」「迫力」、 そういったものは現代において、 どのように変化しているのでしょう。 モノ、に携わる者として、 そのことはとても重要なことです。