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『自分と向き合うデザイン』

 認証

自分自身に固有の生体情報を考えてみます。 指紋・声紋・虹彩など、 昔から言われていたものに加え、 静脈のパターンなども数年前加わりました。 これらは個人によって異なり、 さらに、変更することが困難であることから、 認証に用いられるようになりました。 しかし、例えば、 B級映画などでよく出てくるように、 変えようと思えば、変えられます。 変えたい相手の皮を被ったり、、、 という方法になるようですが。 その点から考えると、 静脈認証は変更が難しい点で優れているようです。 これらの認証方法は、 以前は警察が犯人の特定のために用いたり、 大変強固なセキュリティを誇る建物などに用いられていましたが、 最近では携帯電話はパソコンの認証に藻と、 もっと一般的に用いられるようになりました。 今後、ソーシャルネットワークにおける認証必要性が高まり、 生体情報による認証が一般化すれば、 ますます需要は増えていきます。 その時に、「可変な情報」と「不変な情報」を、 どのように扱っていくのか、 ということが、個人の生体情報管理の上でが重要になります。

『自分と向き合うデザイン』

 生体情報

生体情報と言った場合、どのようなものが含まれるのでしょう。 普段の生活ではあまり考えることはありませんが、 例えば、映画やドラマの世界ではどうでしょう。 最近では医療系のドラマが様々ありますが、 その中からよく聞こえてくる言葉として、 バイタルサインというものがあります。 具体的にバイタルサインそのものが何であるかは知らなくても、 イメージはできるのではないでしょうか。 つまり、それは、人が生きていることを示している印、 まさしく生体情報に関するものです。 分類方法はいくつかあるのですが、 特に緊急時などは下記のものが重要視されます。 ・呼吸 ・脈拍 ・意識 さらに専門的に観察する技術があれば、 下記のようなものも調べることができます。 ・脳波 ・体温 ・筋電 これらは時系列的に変化する生体情報と言えます。 その時々によって変化するために、 その人の「今」を調べることができます。 つまり、一般的なものや過去の自分自身のものと比較することで、 初めて意味が生まれ、価値を持つことになります。 一方、自分自身に固有の情報もあります。

『自分と向き合うデザイン』

 新しい個人認証

昨今明らかになり、話題を集めたモノとして、 DNAの解析というものがあります。 お陰で自分自身を構成している遺伝子を 「情報」として捉えることができるようになりました。 本当に自分自身を一意的に定めているのかどうかは、 世界中のすべての人のDNAを解析しない限りわからないので、 演繹的に正しいとは言えませんが、 その考え自体はおおよそ間違っていないと考えられます。 しかし、DNAが解析されたからといって、 「私はこういうものです」といってその塩基配列を示すことは、 コミュニケーションとして成立しているとは言えません。 そもそも、そこに記されている情報とは、 どういったものなのでしょうか。 その人が何時亡くなるのか、 そんなことまでが記されているのでしょうか。 DNA解析までいかなくても、 医学的に個人情報を見つめる手段は昔から考えられていました。 例えば、 「熱がある」や「脈が早い」などはその代表でしょう。 従来、そういった医学的な情報は体外に保存されてきました。 病院に行けばカルテに「病歴」というものが残ります。 同様にその時に薬剤を処方してもらっていれば 「処方箋」というものにも記録が残ります。 遺伝子にはそういった情報まで記録されていくのでしょうか。 もし、 DNA解析が個人でも容易に即時的に行えるなら、 今までそのように体外に保存されてきた病歴や処方箋は、 常に自分自身のDNAに格納して移動しているように、 振る舞うことができるはずです。 これはこれまで生体情報として個人認証に用いられてきた情報に 置き換えることができることを意味しています。 指紋や声紋・虹彩・静脈紋の大体として、 DNAから遺伝子の情報を抜き出して、 個人認証に用いることができます。

『自分と向き合うデザイン』

 Portfolio

あなたは誰ですか? という質問に対して、 明確に答えられる人はどのくらいいるのでしょう。 この場合の明確に答えるとはどういう意味なのでしょう。 大半の人が「私は○○です。」と自分の名前を答えるはずですし、 それは多くの場合、正解です。 しかし、それでは、名前が持っている意味とは何でしょう。 このように考えていくと、行き詰まってしまいます。 名前と個人が結びついている人が少ない故に生じることであり、 identityに関する問題として昔から問われ続けた事柄です。 そういった哲学的な問題ではなく、 実存としての自分自身を考えていると、 もう少しだけ考えやすくなります。 と、その前に、 ちょっとデザインに関することを話しておきますと、 デザインでは自分自身を示す、最も簡単の方法として、 Portfolioを見せる、ということがあります。 Portfolioとは直訳すれば紙ばさみとなるそうですが、 デザインでは 「これまでに作成した自分の作品をまとめたファイル」 のことを指します。 それを一冊(もちろん複数冊でも結構です)見せることによって、 自分が何者であるかを会ったことがない誰かに示すことができます。 逆に言えばportfolioはそういうものになってなければいけません。 例えば就職活動などが顕著なところです。 まずportfolioを先方に送って第一次審査です。 履歴書、ということもできるのかも知れませんが、 resumeというよりもportfolioの方がしっくりくるのは、 その言葉の意味から来ているのでしょうか。 portfolio = portare + foglio = carry + leaf と思ってちょっと調べてみると、portとfolioに別れ、 それぞれ、carryとleafという意味からできた言葉になるようです。 また、folio自体は今でも使われる単語で、 一度だけ折った紙、という意味のようです。 つまり、運べるバインダーでportfolio、 あまりにもそのままの意味でちょっと残念ですが、 一綴りの持ち運べるファイル一冊で自分を説明できる、 それがデザイナーという言い方もできそうです。 では、今度はもうちょっと科学的に「自分」を説明してみます。

『自分と向き合うデザイン』

 名前

ブログを再開します。 近々、全面的に改修します。 それまではこちらで引き続き言葉を残していきます。 落ち着くまではまずは自分へのメモとして。 復活、一つ目のはこちらです。 自己の情報を本人が管理する必要性と重要性。 ソーシャルネットワークが普及し、 ネットワーク内における自己の意味や位置づけが変化しています。 特に、変わってきたのは名前の位置づけではないでしょうか。 やがてハンドルネームという響きすら聞こえなくなりそうです。 「名前」はその社会において自己を一意的に定めることができます。 同姓同名とは無関係にあくまでもある社会においては一意的です。 しかし、あくまでもある社会、と表現したのは、 登録されたものであるが故に個人を特定しうるという意味です。 逆に言えば、名前が社会に登録されているのでidentify可能である、 という意味でしかありません。 personalがpersonaであるように、 個人を定めるのは難しい問題です。 では、身体情報はどうでしょうか。 身長・体重といった情報から、 今の健康状態・過去の病歴など、 物理的に自分自身を形成している情報は、 極めて一意的に自分自身を定めることができます。 指紋や声紋といった生体情報を用いた認証が 重要視されるのもそのためです。 ソーシャルネットワークによって、 これまで自己が依存していた社会の自由度が増します。 例えば国籍といった社会とは違う場所に、 自己を確立する必要性が生まると予想されます。 その場合、今度は実名だけでは、 一意に定めることができなることが予想されます。 実存としての自己を定めるには、 生体情報をどのように取り出し、 認証していくのか、にかかっていくのではないでしょうか。