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塩と地球儀

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児島の方に行き、古い家屋を観る機会がありました。 創業者から続く事業に関する内容がほとんどでしたが、 その家財道具などの中に、古い地球儀が一つありました。 明治の頃と考えれば、地球儀を所有していること自体が大変なことですが、 何よりも、それを持とうと考えたこと、 そしてそれが重要なモノだったとして、残されている、ということこそが、 今でもその一族が分野において重要な力を有し続けていることの 証明の一つになっていると感じて仕方がありません。 塩、という、今ではどの家庭でも食卓に並んでいるものが、 当時非常に重要なモノであり、そこに着眼したということ、 それこそが素晴らしいことです。

令制国

所謂、日本の国内の、古い呼び名、 昔の地方行政区分です。 越前や近江、など、 昔の地名として聞いたことがあると思います。 今、住んでいる場所は、 備前・備中・備後、と呼ばれていた付近です。 備前焼、などというように、モノの一般名詞になることで、 その言葉が残っているということもあります。 今、ちょっと見たところによると、 飛鳥時代から明治初期まで使われていた、とのことですので、 その歴史たるや、現代の都道府県による行政区画よりも、 はるかに長い歴史があります。 これについても少し調べてみます。

『Consilience Design』   

 横井小楠

覚えているつもりでも、 とっさに正しい答えが出なければ、 意味がない。 そう感じることがあります。 ということで、まずは、メモ。 横井 小楠 1809年09月22日 - 1869年02月15日 熊本→福井 勝 海舟  1823年03月12日 - 1899年01月19日 江戸→…→東京 松平 春嶽 1828年10月10日 - 1890年06月02日 江戸→福井 由利 公正 1829年12月06日 - 1909年04月28日 福井→東京 吉田 松陰 1830年09月20日 - 1859年11月21日 長州→江戸 橋本 左内 1834年04月19日 - 1859年11月01日 福井→江戸 坂本 龍馬 1836年01月03日 - 1867年12月10日 土佐→…→京都 1853年 ペリー艦隊が来航 1858年 - 1859年 安政の大獄 1864年 池田屋事件 1867年 大政奉還 こうして見てみると、 横井小楠は断トツで年長であることがわかりました。 江戸から明治へと進む重要な時期に、 その重要な人物達へ大きな影響を与えた人の一人です。 1850年代になってから、様々な著書を残しています。 「国是三論」 「学校問答書」 「夷虜応接大意」 「沼山対話」 「沼山閑話」などなど。 思想を言葉で残し伝えた、という点でも、 大きな意義があったように感じます。 熊本から福井に来たのは横井小楠。 熊本から福井に来たのは横井小楠。