投稿

ラベル(問題)が付いた投稿を表示しています

PBのパッケージ

イメージ
あるコンビニエンスストアのPBのパッケージが、 何かと話題になっていました。 良い、悪い、と簡単に断ずることが難しい問題です。 どの視点(Eye point)に立って、どの視点(View point)を見つめて考えられたのか、 それが明らかにならないと評価することが困難です。 一般消費者の目から見た情報で決められることのようにも感じますが、 もう少しだけ複雑だと考えます。 それほどまでに「一般化」してきているモノと言えます。 今後、こういったことが論じられる機会は増えるかもしれません。

シーンの変化

イメージ
以前、Tully's coffeeに行った時に撮った一枚です。 当時は何の疑問もいだかなかったシーンですが、 今の情勢で考えてみると色々と問題があります。 お客さんの距離が近い、 レジとお客さんの間に仕切りのようなものがない、などなど。 多分、透明な仕切りなどについては、 あっても問題はないので、これからも常態化していくものと思われます。 静かにですが、確実にシーンが変わっていきます。

茎の強さ

イメージ
岡山の家には庭があります。 まだ、これと言って何かに使っている訳ではないのですが、 自転車を置いておいたり、整備したりするのには最適です。 冬の間に少しずつ草が伸びてきて、 花をつけているからとついつい様子を見ていたところ、 エアコンの室外機の隙間に入り込んでいました。 カバーのところだけですので、 性能には問題はありませんが、 いざ取ろうとすると、これがしっかりとしていて強い。 命の在り方の一つを見たように感じます。

鳥という存在

イメージ
普段カメラを持って歩いていると、 人間の居住区に、人間の次に最も多く存在している生物は、 鳥類なのだと感じます。 考えてみれば当たり前のことですが、 気付かなければ気付かぬままに生きて行っても、 何も問題がない事柄でもあります。 この大学がある山裾でも、 電信柱が立ち並ぶ都会の真ん中でも、 様々な種類が暮らしています。 そうして考えてくると、 その量が多くても少なくても、 何かがおかしい、ということに気付けそうです。 そういう事柄は、 色々なところに隠れているのかもしれません。

時代の名機

イメージ
実家で出会ったのは、 父が以前使っていたフィルムカメラでした。 OLYMPUS OM-1というもので、 調べてみると、当時としては良い商品だったようです。 今でも中古のフィルムとしては人気があるとのこと。 広角と望遠、両方持っており、 いずれも撮影には問題ない状態でした。 露出計が動くかどうかは、 以前Konica FMでトライした電池が使えることがわかり、 そちらも無駄にならずにすみそうです。 こうして見てみると、 その時代時代の名機を購入していた様で、 その術を学びたいと感じます。

眼に映る世界

イメージ
左はiPhoneで撮った写真、 右はピンホールカメラで撮った写真です。 先日、たまたま発見した10年以上前に購入したと思しき、 付録のピンホールカメラ。 フィルムを入れ替え、取り敢えず撮ってみましたが、 36枚入りのはずが、なぜか写っていたのは10枚程度。 シャッターの機構に原因があるのか、 何が問題なのか、まだ切り分けができていませんが、 色々と対策を考えて撮り続けることにしました。 その生き残っていた10枚のうちの一枚が、 この右側の写真です。 なぜか楽しくなってきています。 モノが持つ力でしょうか。

季節の食べ物

イメージ
昨日は土用の丑の日でした。 理由や意味や歴史などは取り敢えず置いておいて、 やはり、鰻を食べたくなり、お昼にいただきました。 ニュースでは、 数が少なくなっているから云々、という内容が聞こえてきましたが、 逆に言えば、 土用の丑の日と、というタイミングでもなければ、 一年を通して鰻を食べよう、と考える機会など、そうそうありません。 それは別にうちに限らず、 そんなものではないでしょうか。 それでも尚不足している、という問題があるのだとしたら、 それは、明らかに流通に関する問題ではないでしょうか。

⁂ 空気清浄機 ⁂

昨日は、気管支の炎症による、 血中内の酸素濃度の低下について記載しました。 今回の黄砂を受けて、 また、春先から舞う花粉も踏まえて、 空気清浄機を導入するのが、最も効率よく環境を整備できるのではないか、 と考えています。 そこで、各社の機器を横並びで確認してみました。 国内メーカー・海外メーカーそれぞれありますが、 国内メーカーについては、しつこいくらいに只管花粉除去を歌っています。 しかし、以前自分で行った実験から、 花粉の粒子サイズはそれほど小さくないことを知っています。 むしろ、埃などに比べるとはるかに大きいくらいです。 ただ、問題は、花粉が持っている油の成分です。 フィルターの目詰まりの原因になります。 国内が花粉を推すのに対して、 海外は純粋の粒子系を言っている印象があります。 特にPM2.5の問題が顕著だから、ということも言えると思いますが、 「性能」をどのように見せるか、という部分は、 商品を紹介していく上で非常に重要なことです。 粒子径を明確に示すことは、性能を示すことですが、 花粉が取れる、などの説明は、ある意味、効能を謳っているとも言えます。 そう言った表記の部分に、誠実さと正確さが必要であると考えます。

† システム †

新しい環境に移ると、最初はとにかく設定の連続です。 特に、ネットワークに関することや、そこ独自のシステムに関することなどは、 その場所独自のルールを理解するまではなかなかうまく進みません。 逆に言えば、その設定やルールを1つ1つ見ていくと、 その組織の考え方や、発想の置き所が同時に見えてきます。 現在では多くの組織が、様々な管理にイントラネットを利用しています。 全ての仕組みを同時期に立ち上げれば良いのですが、 予算の関係や技術的な問題から、そうはいかないのが現実です。 そのため、システムを理解する時には、 どの順番で、何を優先し、何のために組まれたものか、 というコトを考えながら進めて行くことで、 その組織の在り様の一部が見えるように感じます。

† 操作性 †

昨日、たまたま食事の時にテレビを見ていたら、 数人でテレビゲームをやっているところを放映する番組をやっていました。 小さい頃からそういった類のゲームにはあまり親しみがなく、 少しやってはみても、今一つハマる、ということはありませんでした。 その理由はちょっと置いておいて、 彼らの手元に意識がいきました。 ゲームのコントローラー、その外観について、 多分、製造メーカーは非常に研究を重ねているのだろうな、 ということを考えていました。 一方、昨今ではスマートフォンでできるゲームが増えています。 私はiPhoneしか扱っていないため、 Androidの方は全くといって良いほどわからないのですが、 少なくともiPhoneについては、教育上問題があるようなものは アップできないようになっているはずです。 様々なゲームがあるわけですが、 いずれも画面へのタッチだけで操作できる、 ということと、 昨日見た、コントローラーの形状、 人間の適応能力は本当にすごいものだと感じます。

† 強い印象が記憶に残る †

体が覚える、 ということと、 非常に印象的で記憶に残っている、 ということは、 ともに「人間」ならではなのでしょうか。 AI技術が様々なことを学習し、 それを活用して問題を解決する過程において、 上記のようなことは発現しないように感じます。 では、人間にとって、上記のようなことは「必要」なことなのでしょうか。 人間は非常に曖昧な存在です。 (曖昧、という言葉も明らかにしたい) 体が覚えるくらいにやり込めば、 正確にできるようになります。 別な言い方をすれば、それは、 目的に応じた動きを体ができるようになる、 つまり、そのための筋肉が養われている、ということです。 印象的なことが記憶に残る、というのはつまり、 これまでとあまりに違うために、 「記憶しておいた方が良いのではないか」と脳が作用するのでしょうか。 それはある意味、生きていくために必要な能力、と言えるのでしょうか。

† 情報を処理する †

読み、ながら、 聞き、ながら、 観、ながら、 内容を理解する、ということ、 情報を処理する、ということは、 非常に複雑な行為だと感じます。 英語のドラマでそれをやってみていますが、非常に難しい。 一つは、 英語の不出来が大きな要因になっていることは間違いありません。 ただ、日本語でも同様のことが起こり得ると考えると、 情報処理に関する問題であるとも言えます。 Aという対象は、様々な形で情報を持っています。 A ∋ 文字情報, 音声情報, 映像、、、 動きを見ながら、科白を聞くことはできます。 しかし、 セリフを聞きながら、それを文字として読むためには、 感覚をつかむまでに時間が必要です。 何かがハマると瞬間的にわかるようになる、 そのハマる何か、とは何なのか。 英語の勉強をするとともに、 情報理解という観点からその部分についても考えていきます。

‡ 現代におけるAIを考えてみる④ ‡

数学の定理を自動的に証明するプログラムから始まり、 1980年代には、コンピュータに専門的知識を学習させ、 それを使って問題を解決させる、という試みが行われたそうです。 エキスパートシステムと呼ばれそうですが、 数値化できない事柄については対応できない、 という一般的に想像しうる機器の限界のようなものが壁だったようです。 例として医療が出ていました。 「お腹がチクチクと痛い」という表現を数値化しろ、と言われたら、 誰でも困ります。 むしろ、この問題は、人工知能云々とは関係なく、 一般の医師でも起こっていることです。 痛みを10段階で考えた場合、どのくらいか? お腹の上の方か下の方か? 刺すような痛みか、叩かれたような痛みか? など、いろいろな表現を用いて、 なんとか病状を理解し、治療方法を導く、 これは、非常に難しい方法です。 現代では、患者の言葉から、症状を推察し、 その推察を明確にするために検査を行います。 検査の結果が、推察した症状と同様の結果を示せば、 そこから即治療に進むことになりますが、 もしも、推察と検査結果が示すものが違った場合は、 推察を変更し、状況によっては検査をし直すことになります。 つまり、機器でも理解できるように痛みを数値化することができれば、 医療にとって非常に大きな一歩になる、とも言えます。