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撮り続けて

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溜まったフィルムを現像に出したいな、 と考えながら、また過去の写真を見ていました。 考えてみると、昨年の8月からフィルムで撮り始めていました。 コンパクトデジカメが故障し、 時を同じくして、 昔購入していたピンホールカメラが見つかった、という、 自分にとっては不思議なタイミングのお陰で得た機会です。 撮り始めた頃はその先どうなるか、など考えてもいませんでしたが、 開けて見れば一年続いていました。 また、これがどこまで続くのかはわかりませんが、 まだ自分の中に興味はあるようです。

二者択一

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Polaroid社とTomy社のロゴが入ったカメラです。 使うフィルムは600フィルムで、 私の中では、普通のポラロイドカメラ、といえばそれを指すように感じます。 今はそんなことはないのかもしれません。 これは、名古屋で学生だった頃に、 知り合いから譲り受けたもので、 多分、電池を交換すれば今でも使用可能なはずです。 なぜか物持ちだけは良く、みんなずっと動いてくれています。 ピンホールカメラを見つけた時、 この子も一緒に見つけたのですが、 しばらく考えた結果、ピンホールの方を取りました。 なぜ、そう選んだのか、明確に語れるところはありませんが、 多分、より使っていなかった方を選んだ、という感じです。 それが結果的に、自分にとっては功を奏していますが、 そうは言っても、この子も私にとっては重要なカメラの一時代です。

原点に

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大人の科学のピンホールカメラと、 Konica Iです。 購入したKonica Iが手元に届き、 見たときの第一印象は、このピンホールカメラそのものでした。 使われている素材や、設定できる箇所などは全く異なるのですが、 シャッターとチャージがレンズに付いている、 それが自分の中では大きかったようです。 本体にはフィルムを巻き取るためのダイヤル群とファインダーのみです。 チャージしてからシャッターを切る、という動作も、 以前のピンホールの印象が残っており、 懐かしい気持ちになりました。 モノの歴史から見ると、 自然な流れそのものですが、 一眼レフ(FM)やコンパクト(C35)を触った後に戻ってきてみると、 扱いづらさよりも原点回帰の嬉しさが上回ります。

新しい目

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フィルムで写真を撮るようになって、 初めて撮影に必要な部品を実際に購入しました。 今までのレンズでももちろん問題なく撮れているのですが、 折角なので色々試したいと思っていたところ、 オークションに出ているよ、と教えていただきました。 今まで使っていた左側(Hexanon 52mm F1.4)に対して、 背が伸びたような右側(Hexanon 35mm F2.8)を購入しました。 ピンホールカメラは数円前にたまたま自分で買っていて忘れていたモノ、 銀塩カメラは祖父が使っていたモノ、 ということで、今回初めて自分の意思で購入しました。 正直、そんなに相場はわからないのですが、 そもそも、今時Konicaのレンズを持っている人がどれだけ少ないか、 ということはわかっています。 FMの発売が1964年であり、 その数年間しかつくられなかったわけですから。 ということで、購入できる金額だったことから、 思い切って買ってみました。 どんな絵が撮れるようになったのか、 楽しみでもあり、不安でもあり、 久しぶりにおもちゃを買った時のようなドキドキを味わっています。

偶然性に宿るもの

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レンズの性能によって、写真の周辺が暗くなることを書きました。 一方今日あげている写真は、たまたま写真の巻き取りに失敗し、 裏蓋が開いてしまったことによって生まれたものです。 性能によるもの、ではありませんが、 こちらもエフェクターなどによる効果ではなく、 偶然にもそうなってしまったもの、です。 ピンホールカメラを調べている時、 ちょうど、こういう効果を生み出す方法、などが記事としてありました。 でも、そこでもやはり、 作為的なものはどうにも、と思っていたのです。 そんな中、今回、本当に偶然にもこういう効果が得られ、 なんとも不思議な気持ちになりました。

適切な重さ

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ピンホールカメラの重量が約150gであるのに対して、 Konica FMは約1kgあります。 現代でもびっくりの重量ですし、 もしかしたら当時でもびっくりの重さだったかもしれません。 しかし、その重さがあるからなのか、 ブレにくいのは事実です。 脇をしっかりと締めて構え、 ゆっくりの押し込むとブレずにシャッターを切ることができます。 レンズがあることでピントが合う、 ということに感動したわけですが、 その要因の一つとして、この重量があると感じます。 軽ければ持ち運びしやすく便利であることは間違いありませんが、 モノの適切な重量、というのは重要なことです。

三つの比較

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新しく導入されたKonica FM。 以前ピンホールカメラと、iPhoneとで撮影した学内の同じ場所 を 撮ってみました。 左から、 iPhone・Konica・ピンホール、です。 Konicaの色はフィルム取り出しの際にトラブルがあり、 ちょっと開いてしまったので今回は考えないとして、 画角、とクリアさ、が面白いなと感じました。 何よりも今回使ってみての最初の感想は、 ピントが合うってすごい!というものです。 頭のどこかで、フィルムはぼやっとしたもの、と 勝手に変換されていました。 これから楽しみです。

写し取る

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家に帰ってきた時、駐車場のところで撮った一枚です。 いくつかの雲が広がり、 一方が朱く、もう一方は暗く、色付いていました。 私が見た色を、そのまま写し取ることは難しいことです。 しかし、私が見たと感じた色を、 そのように写し取ることは、慣れてくればできるようになるかもしれません。 ピンホールカメラは少しお休みし、 フィルムの一眼レフを使ってみることにしました。 今度はどのように色を写し取ってくれるのか、 楽しみです。

時の流れる速度

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以前、大阪に住んでいる時、 出張で東京に行く機会がありました。 その時、今回と同様に、夜の六本木を歩いていたのですが、 「あぁ、ここは時間の進み方が違うのだな」と感じることがありました。 具体的に何が、と聞かれると、今は明確に応えることが難しいのですが、 とにかく、何かそういう空気感を感じたことを覚えています。 良し悪しとは違う次元で、そういうものだ、と考えさせられました。 今回もまた、そんなことを思いながら歩いていました。

継がれていくモノ

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ピンホールカメラを通して、 フィルムによる撮影とデジタルによる撮影の違い、 というよりも、そもそも全然違うものだ、という認識を、 持つことができました。 そんな中、今回、たまたま祖父が使っていた、 フィルムカメラを受け取ることができました。 大変綺麗に保存していただいていたおかげで、 カメラ屋さんでチェックしてもらう際に、とても驚かれました。 これにまつわるエピソードも少しずつ書いていきます。 まずは、これを使うことができる喜びを感じています。

陽の当たる場所

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ピンホールカメラは、屋内で使用する場合は、 屋外よりもはるかに露光の時間が必要です。 しかしながら、うまくいくとこんな感じの写真が撮れます。 縁側や、陽のあたる窓際は、 どうやらうまくいくようです。 容器の透明さや、床への映り込み、窓の桟の影など、 色々な要素がしっかり写っています。 ただ、この被写体が、2回伐採後の豆苗、 というのがなんとも切ないところです。

光と陰を撮るモノ

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オオイヌノフグリがあったので、 ダメ元でピンホールカメラで撮ったところ、 思いの外綺麗に撮れたようです。 背景の光の描写と相俟って、不思議な雰囲気に撮れています。 ある意味、すごく素直に撮れるのだな、と感じます。 確かに向こうの方は明るく、 咲いていた場所は、完全な日陰になっていたのですが、 それがこんなかたちに撮れるなんて。 カメラとは、 対象物を撮るモノではなく、 光と陰を撮るモノのようです。

色、とは

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私が持っているピンホールカメラは、 シャッタースピードのみ、自分でコントロールできます。 コントロールできる、と言っても、アナログでやることなので厳密ではありませんが。 それによって、どの程度の量の光を取り込むのか操作できます。 たくさん取り込めば白っちゃけてしまいますし、 あまり取り込まなければ暗くなります。 もちろん、それはそうなのですが、 それは同時に、どんな色を出すのか、ということにつながってきます。 ・明度 高:白 低:黒 ・彩度 高:純色 低:黒 光の量をコントロールするということは、 明度をコントロールすることです。 しかし、鮮やかに見せたい、となると、 明るいだけではダメです。 ただ、暗くなってしまったら、もちろん鮮やかさは確保できません。 つまり、色が鮮やかな状態とは、明るさと暗さの間にある、 ちょうど良い状態にはじめて実現できることです。 そしてそれは、色事に変わってきます。

残るもの

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いつ、どこで撮ったのか、 ピンホールカメラ で車の通りを撮ったと思うのですが、 なぜかすっかり忘れてしまっています。 夜など暗い空間で、シャッターを開けたままにして撮影することで、 こんな感じの写真が撮れることはよく知られています。 それを元にしたアート作品なども数多くあるわけですが、 写真ではなくとも、こう言った残像を利用したおもちゃなどもあります。 ある意味、一般的なアニメーションを楽しむことができるのも、 残像を利用しているためです。 光とは何か、 目とは何か。 習うよりも、自分で学ぶことで、自然に理解できる部分がありそうです。

変化する考え

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今日はピンホールカメラ を持っていくのを忘れていました。 家を出てちょっとしたところで気が付いたのですが、 時間のこともあり、仕方がないかと。 そうしているとかえって 「あ、ここ撮ってみたいな」などと思えてくるから不思議です。 デジカメが普及し、いつの間にかメモとしての写真が当たり前になっていました。 しかし、やっぱりカメラは作品を撮るものなのかもしれません。 作品、と言っても大層なモノという意味ではありません。 自分の考えや想いを写すという意味での作品です。 そういう考えで写真に向き合えるようになったのは、 自分にとって良い変化です。 写真はある日の商店街です。 休日にも関わらず少ない人通りが雰囲気をつくっています。

輪郭線

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プラスチックレンズのピンホールカメラで撮ったから歪んで見えるのか、 実際に廊下が歪んでいるのか、 シャッター時間に動いたから歪んで見えるのか、 現実とはなんだろう、と考えさせられます。 カメラの前では嘘はつけない、 という言葉をたまに聞きますが、 この場合の嘘とは何から何を見たときの嘘なのか。 eye pointとview pointを明確にする必要があります。 大学一年生の時、モノの輪郭「線」は存在するのか、 という話題がありました。 少なくともピンホールカメラで見る限りは、 それはないように感じます。

曖昧な空間

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岡山の家の横の砂利道です。 道、と言ってもすぐ突き当たるので、 私たち以外が入り込むことはありません。 ここから庭に自転車を運び込んだり、 その逆をやることで、結構便利に使えています。 何よりも、横の家とこれだけのスペースが空いている、 という点が、意外と良いのかも知れません。 ピンホールカメラで撮ったため、薄暗くボケていますが、 私の中でのこの空間は、まさにこのような印象です。 曖昧な境界としての空間。 結構好きかも知れません。

写り込む空気感

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今使っているピンホールカメラは、 ピントが合うのは2〜3mとのことですが、 先日カフェに行った際に、テーブルに飾られているお花を撮ってみました。 距離は大体20cmそこらだと思いますが、 意外とピントが合っていたようです。 屋内だから、と、開けすぎてしまったようで、 色が飛んでしまいました。 たまたまですが、その古ぼけた感じもこのカフェの雰囲気に合っていました。 写真に写り込むのはそんな空気感も含まれるのかもしれません。

光が溢れる

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光が「こぼ」れる、と書いたところ、 光が「あふ」れる、でも同じように読める漢字に変換されました。 光の回折は、理科の授業で習います。 光は対象にぶつかると回り込んでいくんだよ、と教わるわけですが、 この写真はまさに、それそのものを表現しています。 研究室のすぐ隣にある階段室です。 ふと見上げた時の様子が綺麗だったので、 ピンホールカメラ で撮ってみました。 実際は汚れていたり、古くなったりとで、 綺麗、というわけではありませんが(掃除はよくされています)、 こうしてみると、そういった情報は失われていきます。 情報とは何なのか、と考えさせられます。

光の表現

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最近遊んでいるピンホールカメラで撮った一枚です。 すごく久々に飲み屋で食べたい、ということになり、 駅前で夕食をとることになりました。 天井から裸電球が吊るされているお店で、 その部分はそこそこの明るさがありました。 時間さえかければ写るかなと思い、 食べている傍らで、30秒ほど露光させたところ、 面白いものが撮れました。 絵で光を描いたり、 照明の様子を表したりする場合はありますが、 この写真のように描くことはあるかなぁ、 と考えさせられました。 何かを表現するための方法には、 実に様々なものがあります。 まだまだ色々知らなければなりません。