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今は晴れの国に住んで

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一昨年、岡山に引っ越してきたとき、 なんとなく、今まで何回引っ越したのかを考えてみたところ、 14、5回でした。 多いか少ないか、で言えば多いのだと思いますが、 「飽きたから引っ越した」というものは一つもありません。 必要だから場所を移っていたわけですが、 そのお陰で色々な風土を知ることができています。 また、小さい頃の引っ越しは、 色々な意味で人格形成には影響すると感じます。

良い加減

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こういうところがデジタルカメラは面白いと感じます。 それと同時に、 人間の目の良い加減さも。 この良い加減は、本当に「良い」加減なのでしょう。 便利です。 ロボットが共存する社会になったら、 こういうところにも、 違う考え必要そうです。

描く力

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以前、高畑勲展を見に行き、 監督と一言で言っても、 色々なスタイルがあるのだということを目の当たりにしました。 そもそも、「絵を描かない」ということで知られていたように、 監督業には必ずしも絵を描く能力は必要ないのかもしれません。 しかし、 デザインという仕事においては、 それは適応できないと実感しています。 描く力は生み出す力です。

パッケージ

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こんなパッケージのお菓子をいただきました。 以前、お菓子のパッケージをやったことがありますが、 これがなんとも難しい。 もちろん、どんな仕事でも難しいわけですが、 対象としているお客様層に届くのか、 意味はどこまで必要か、 目を惹きつける要素はどこまで入れて良いのか、 などなど、考えさせられたことを覚えています。

決定する力

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どういう構成を自分が好むのか、 そんなことを考えながらよくシャッターを切っています。 写真という枠の中に収めて、 風景を切り取るという言い方をしますが、 自分の「好き」「嫌い」にしても、 現像してから改めて見てみると、 あれ?なんでもっとこっちを入れなかったのか? もっとこうした方が良かったんじゃないか? と考えることが必至です。 ある意味、その瞬間瞬間の決定力を養う訓練になっているように感じます。 私にはとても必要なことです。

陽の当たる場所

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ピンホールカメラは、屋内で使用する場合は、 屋外よりもはるかに露光の時間が必要です。 しかしながら、うまくいくとこんな感じの写真が撮れます。 縁側や、陽のあたる窓際は、 どうやらうまくいくようです。 容器の透明さや、床への映り込み、窓の桟の影など、 色々な要素がしっかり写っています。 ただ、この被写体が、2回伐採後の豆苗、 というのがなんとも切ないところです。

染色

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繊維を染めているところを初めて拝見しました。 高等学校の生徒さんに対する公開講座の一つでしたが、 私自身も楽しく拝見させてもらいました。 一つ一つの工程を経て着色されていきます。 繊維によって、その工程も変化するそうです。 これまで多くの試行錯誤を繰り返し、 ベストなところに辿り着いてるということです。 そして、さらにそれを壊して次に進めることが必要、 ということです。

貯水

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宿泊したホテルのトイレ横に、 写真のようなタンクがありました。 非常時に流すようの水、とのことで、 常備されているようです。 これは飲むことはできない、とあります。 元々の水がどのようなものかはわかりませんが、 そう記載することで、中を交換せずとも置いておける、 ということかと思います。 このホテルがいつからこのような備えを行なっているのかはわかりませんが、 今は、各所でこのような対応がされているようです。 新しいサービスが生まれるということは、 そこに新しいデザインが必要になると考えます。

ここまでやる

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ここまでやるのか? と思わせなければならない、そう教わってきました。 しかし、それが存外難しい。 必要かどうか、ではなく、それを超えたところのものでなければならない。 写真は、Apple Watch購入時に、本体をカバーしているモノです。 しっかりとしたケースに入っているので、 本体をここまで覆う「必要」は、、、 そう、必要だからあるのではないのです。 「私が購入したものは、ここまで大事にされて手元に届いた」 そう感じられます。 そう感じさせる気遣いがされています。 そういうコトが重要です。

† 強い印象が記憶に残る †

体が覚える、 ということと、 非常に印象的で記憶に残っている、 ということは、 ともに「人間」ならではなのでしょうか。 AI技術が様々なことを学習し、 それを活用して問題を解決する過程において、 上記のようなことは発現しないように感じます。 では、人間にとって、上記のようなことは「必要」なことなのでしょうか。 人間は非常に曖昧な存在です。 (曖昧、という言葉も明らかにしたい) 体が覚えるくらいにやり込めば、 正確にできるようになります。 別な言い方をすれば、それは、 目的に応じた動きを体ができるようになる、 つまり、そのための筋肉が養われている、ということです。 印象的なことが記憶に残る、というのはつまり、 これまでとあまりに違うために、 「記憶しておいた方が良いのではないか」と脳が作用するのでしょうか。 それはある意味、生きていくために必要な能力、と言えるのでしょうか。

† 微に入り細を穿つ †

微に入り細を穿つ、 微に入り細にわたる、 微に入り細に入り、 いずれも非常にこまかい点にまで気を配る、ということです。 上の二つは広辞苑にありましたが、 最後の一つは予測変換で出て来ました。 またこの言葉も、何らかの経緯があるのかもしれません。 いずれにしても、 美しいものを得るためには、微と細が必要です。 それが難しい。

† 勧められた本 †

昨日、ある本を教えていただきました。 これまで読んだことがないのはもちろんのこと、 改めて読んでみよう、とも考えていなかった系統の本でした。 今の自分にとって、 そして、これからの自分にとって、とても必要な書籍だと感じました。 表面だけしか知らないことは、知っているとは言えません。 それを得るために書籍を読み込み自分のものにしなければなりません。 1つの講義をするには、200冊の本を頭に入れなければならない、 と教えられました。 ただ読んだだけでも駄目なのだと感じています。 頭に入れ、自分の言葉にできていなければ、 借り物言葉でしかありません。 それを積み重ねていかなければならない、と強く感じています。