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加工されたように

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不思議なピントになった写真です。 書店に向かって構え、 手前のお花にピントを合わせたものでしたが、 花の輪郭がボヤッと浮かび上がるようになりました。 これはレンズの異常なのか、 目でピントを追えていないのか、 他の要因なのか、 そんなことを考えながら、 Photoshopでこんな風に加工するなら、 どういう手順でやるだろう、などと考えていました。

ピントに意思を込める

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シャンデリアを下方から撮影したものです。 私の目が良かったら、 もう少しピントが合うのかもしれない、 と考えるとやはり視力矯正を考えた方が良いのか、と感じたりもします。 幸い裸眼で生活できてはいるのですが、 もっともっと、と求めればきりがないのかもしれません。 今使っているKonica FMは、 ピントを合わせるという行為もまた、 とてもアナログで、完全に人間任せなものです。 つまり、人間の意思を介在させることができる、と考えると、 大変面白く興味深くも聞こえます。

偶然に感じ入る

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なぜその写真が気になるのか、 気にいっているのか、 自分でもよくわからないことがあります。 岡山駅付近を歩いている時にたまたま見つけた、 昔の水道の跡だったと思います。 夕暮れ近くなっており、 暗い中でどのくらい写るだろうかと思いながら、 シャッターを切ったことを覚えています。 どうやればこういう質感で写るのか、 どうやればこういうボケとピントのバランスになるのか、 偶然でやっていてはいけないのですが、 それでもこういうものが撮れる楽しさを感じています。

どこを見詰めているのか

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被写界深度というとすごく難しい言葉だなぁと感じますが、 要は、ピントが合っている範囲はどれほどなのか、ということです。 しかし、これ、考えてみるととても興味深いことです。 人間が対象を見つめているときも、 厳密に言えば、ピントが合っている範囲は極めて狭いはずです。 ただ、眼球が微動することで、 その範囲を広げていることになります。 そういう意味では、単位時間あたりの空間を切り出す写真としては、 その時間でどれだけの範囲を見詰めているのか、 ということにもなるのでしょうか。 (勿論原理は違います) そう考えると、被写界深度とはレンズが微動しているようにも感じます。 (勿論実際は違います)

二重のリング

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Konica FM用の望遠レンズを手に入れてから、 ちょいちょい、意識して遠くの被写体を撮ってみたりしています。 絞りのリングが二重になっており、 一つ目のリングを実際に値に設定し、 シャッターを切る直前に二つ目のリングを回転させ、 一つ目のリングの値まで持っていって写真を撮ります。 要は、実際にシャッターを切るときは暗くなるため、 ピントを合わせるときは明るい状態で作業する、というものです。 こういう機器もあるのだなと、商品の変遷を見るのも 大きな楽しみの一つです。

体からカメラへの伝達

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岡山の植物園にいった時の一枚です。 望遠を手に入れた直後で、 それを使って何か良い題材はないか、と探して歩いていた時でした。 遠くの方で鳥が枝の間を行き来しているのが見え、 お!と思って狙ってみました。 この場合、何が難しいかといえば、 ピントと、 シャッターを切るタイミングです。 絞りやシャッタースピードは事前に設定で、 ピントもなんとかそれ付近には合わせられますが、 シャッターを切るタイミングだけはどうにもなりません。 見て、 押して、 切れて、 これらがうまくはまる日は来るのだろうか、、 と考えてしまいます。

水中の紅葉

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透き通るような水に映った紅葉を写しています。 山の上の方、人があまり住んでいないような場所ということもあり、 木々はもちろん、水や空気も美しい場所でした。 流れも穏やかな場所だったため、 写真のように木の外形もわかるように映っていました。 水の中の木にピントを合わせるのはちょっと苦労しましたが、 そこそこ合っていたようです。 露出もそちらに合わせたこともあり、 上の方は明るく飛んでしまっていますが、 それがかえって水中の木々の色味を美しくしているように見えます。 マニュアルの難しさを感じつつも、 ちょっと嬉しくなりました。

瞬間の構図

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瞬間に撮るというのは難しいなぁと感じます。 当たり前と言えば当たり前なのかも知れませんが、 露出などはもう考える余裕もなく、 ピントもそこまで合わせられず、という状態です。 ただ、フレーミングは、慣れ次第でどうにかなるのだろうと思えばこそ、 構図は無意識でも意識下でも、 常にしっかりとしていきたいと考えています。 瞬間にそれを合わせられるかどうか、 それが勝負です。

待つ

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光と影を意識しながら、 人や生物を入れて撮る。 レンジファインダーのLeica IIIfで撮るときは、 そんなことを意識しながら撮っています。 今使っているカメラは、露出やピント、 全てがマニュアルですので、 気が付いた瞬間に構えて撮る、というのはやはり難しいです。 しかし、できるだけ早く準備し、 そのまま構えて待つ、ということはできます。 人や生物が、ここだ、というところに来た瞬間に、 シャッターを切っておさめるわけですが、 それを待っている時間は嫌いではありません。

露出を考える

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秋に学内で撮った写真です。 晴れた空の青と秋桜のピンク、森の緑が美しく、 通勤した時にかがんでなんとか撮ってみました。 露出計が壊れたKonica FMを使うようになり、 対象の明るさについて考えるようになりました。 自分が魅せたいのはどの部分なのか、 どこにピントを合わせるべきなのか、 その奥行きや、動きに応じて、 絞りやシャッタースピードを考える。 それに慣れてくれば慣れて来るほど、 なぜオートにできるのか、と逆に感じるようになって来ます。 FMの露出計が壊れている、ということがわかったとき、 う〜ん、修理できないかぁ、どうするかなぁ、 と考えた時もあったのですが、 今思えば、直さなかったことは正解だったように感じます。 そのお陰でLeica IIIfを使う時も抵抗なく操作できるようになりました。

玉ボケ

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これは、Konica FMで撮った写真です。 背景にある光が、玉型にボケている状態を、 玉ボケと呼ぶようです。 画像編集ソフトでぼかしてもこのようにできません。 (今なら色々なフィルタでできるのかもしれませんが) 質があまり良くないレンズでボケることによって生じるようです。 でも、それがまた、良いなぁ、と感じて見ています。 人間の目ではこのようには見えません。 見ようと思って意識がいったらピントが合ってしまいますし、 視力が弱くてボケている場合は、全体がぼやっとするだけです。 これもまた、カメラの目で見える世界のようです。

適切な重さ

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ピンホールカメラの重量が約150gであるのに対して、 Konica FMは約1kgあります。 現代でもびっくりの重量ですし、 もしかしたら当時でもびっくりの重さだったかもしれません。 しかし、その重さがあるからなのか、 ブレにくいのは事実です。 脇をしっかりと締めて構え、 ゆっくりの押し込むとブレずにシャッターを切ることができます。 レンズがあることでピントが合う、 ということに感動したわけですが、 その要因の一つとして、この重量があると感じます。 軽ければ持ち運びしやすく便利であることは間違いありませんが、 モノの適切な重量、というのは重要なことです。

三つの比較

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新しく導入されたKonica FM。 以前ピンホールカメラと、iPhoneとで撮影した学内の同じ場所 を 撮ってみました。 左から、 iPhone・Konica・ピンホール、です。 Konicaの色はフィルム取り出しの際にトラブルがあり、 ちょっと開いてしまったので今回は考えないとして、 画角、とクリアさ、が面白いなと感じました。 何よりも今回使ってみての最初の感想は、 ピントが合うってすごい!というものです。 頭のどこかで、フィルムはぼやっとしたもの、と 勝手に変換されていました。 これから楽しみです。

写り込む空気感

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今使っているピンホールカメラは、 ピントが合うのは2〜3mとのことですが、 先日カフェに行った際に、テーブルに飾られているお花を撮ってみました。 距離は大体20cmそこらだと思いますが、 意外とピントが合っていたようです。 屋内だから、と、開けすぎてしまったようで、 色が飛んでしまいました。 たまたまですが、その古ぼけた感じもこのカフェの雰囲気に合っていました。 写真に写り込むのはそんな空気感も含まれるのかもしれません。