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† 体に覚えこませる †

新しい言語を習得したり、 身体を使って新しいことができるようになる、 という場合、 体が覚える、 体に覚え込ませる、 という表現を用います。 人間は、頭でわかっている、ということと、 それをうまく使うことができる、ということとは、 別物です。 今、AIに関する本を読んでいます。 「如何に学習させるか」という部分を読み進めていますが、 ロボットの場合、学習することができた内容は、 そのまま活用することができます。 非常に効率が良い、と言えます。 その点、人間は、、、 しかしながら、そこには何か重要なことが隠されているとも感じます。

‡ 現代におけるAIを考えてみる⑦ ‡

ビッグデータとは何か、 何がビッグデータか、ということを考える場合、 その一つの解は、 「機器に柔軟性を持たせるもの」という言い方ができるようです。 三段論法では説明がつかない人間の考え、 Aを見たときに、それがAである、と認識する能力などがそれですが、 それを機器に導入する際に活用できると考えられたのが、 ビッグデータのようです。 見極めさせたい対象の画像を大量に見せる、 それによって学習してもらう、 言葉で表現するのは簡単ですが、 これをきちんと定義するのは大変です。 「見極めさせたい対象」であることをどのように定義するのか。 ラベリングするのか、ということが難しいことは、 容易に想像がつきます。 この、「どの画像に何が写っているか」というラベルをつけたものを、 教師データと呼ぶそうです。 Digitalの「1」「0」の世界において、 それを示す、ということの難しさと「手間」は すごいコストになります。 その部分を機器に頼ることができれば、 どれだけに楽になるだろうか、と考えずにはおれません。

‡ 現代におけるAIを考えてみる④ ‡

数学の定理を自動的に証明するプログラムから始まり、 1980年代には、コンピュータに専門的知識を学習させ、 それを使って問題を解決させる、という試みが行われたそうです。 エキスパートシステムと呼ばれそうですが、 数値化できない事柄については対応できない、 という一般的に想像しうる機器の限界のようなものが壁だったようです。 例として医療が出ていました。 「お腹がチクチクと痛い」という表現を数値化しろ、と言われたら、 誰でも困ります。 むしろ、この問題は、人工知能云々とは関係なく、 一般の医師でも起こっていることです。 痛みを10段階で考えた場合、どのくらいか? お腹の上の方か下の方か? 刺すような痛みか、叩かれたような痛みか? など、いろいろな表現を用いて、 なんとか病状を理解し、治療方法を導く、 これは、非常に難しい方法です。 現代では、患者の言葉から、症状を推察し、 その推察を明確にするために検査を行います。 検査の結果が、推察した症状と同様の結果を示せば、 そこから即治療に進むことになりますが、 もしも、推察と検査結果が示すものが違った場合は、 推察を変更し、状況によっては検査をし直すことになります。 つまり、機器でも理解できるように痛みを数値化することができれば、 医療にとって非常に大きな一歩になる、とも言えます。

‡ 現代におけるAIを考えてみる③ ‡

何かを対象として考えを巡らす場合、 その起こりや経緯、つまり、歴史について整理してみることは重要です。 では、AIについてはどうなのか、 一般的には1956年から、という考えのようです。  「ロジック ・セオリスト 」という世界初の人工知能プログラムのデモンストレ ーションが行われ、 数学の定理を自動的に証明するプログラムだったそうです。 1956年、私はまだ生まれていませんが、 戦後の高度成長を進めている途中、 メルボルンオリンピックが開催され、 日本は国際連合に参加した年のようです。 その頃、アメリカのダートマス大学では、 世界に先駆けて人工知能の兆しが見えていたことになります。 コンピューターの歴史、と言うと表現が難しいところですが、 何れにしても現代のように一般的ではなかったことは当然のことで、 その頃からすでに開発が始まっていた、と言うことに驚かされます。 ただ、どうもその時々で、目新しいトピックスが発生すると、 盛り上がっていたようではあります。 その考えでいくと、現代は、第3期と表現できるようです。

‡ 現代におけるAIを考えてみる② ‡

AIまたはAI技術について、 書籍を読んでいく前に、 まずは、自分自身の「考え」をまとめておきます。 AI・人工知能という言葉を聞いた時の素直な印象としては、 「機器が自分で考える」というものです。 では、自分で考える、とはどういうことでしょうか。 思う、でも、感じる、でもなく、 考える、ということは、少なくとも、 生まれてすぐの子供ができるようなことではなく、 人間であるならば、それまでの生活の中で得てきた、 経験や知識を用いて、 対象の時間軸・空間軸について可能性を吟味する、 というような言い方ができるかと思います。 では、そのようなことを機器が実際にできるのか、ということになりますが、 それを証明することは難しいです。 ということで、「そのようなことを機器が実際にできない」ことを考えてみます。 本を読み終えた時に、その答えを自分が導き出せているかどうか、 が自分自身にとってのこの本の価値、ということもできます。

‡ 現代におけるAIを考えてみる① ‡

AI(artificial intelligence)という言葉をよく目にするようになり、 人工知能という一般的な訳語によって、 「なんとなく」理解しているような気になっています。 一度、現状の「AI」と呼ばれているものを自分の中で整理してみます。 「AI VS. 教科書が読めない子どもたち」という本から、 気になった用語を抜粋しつつ、自分の中で理解を試みます。 この本は「AIはまだどこにも存在していない」という立ち位置から始まります。 多分、多くの人はここでようやく、 「そもそも、AIってなんなんだ?」ということに気づかされると思います。 つまり、なんとなく言葉は知っているが、 その定義は誰にも聞いたことがない、 それこそが、現在のAIが抱えている大きな問題ではないかと感じます。 書籍の中では、 「人工知能の目標とは 、  人間の知的活動を四則演算で表現するか 、  表現できていると私たち人間が感じる程度に近づけること」 とまとめられています。 ラングではないため、 表現は他にもあると感じますが、 ここではこの定義に従って進めて行きます。