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パッケージとプロダクトの関係

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新しいモノが届くと、 多くの場合それはパッケージに包まれています。 商品を取り出す前に出会うパッケージは、 より中のプロダクトを際立たせるモノであって欲しい、 そう感じます。 ということは、 単純にパッケージが大したことなければ、 中身を見たときにより大きな喜びがある、 ということは言えるのでしょうか。 それよりは寧ろ、 美しいパッケージでテンションが上がり、 中身を見て、さらに喜びが増す、 そんな関係の方が望ましいことは言うまでもありません。

水と米と

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以前、何かで水について調べていた時に、 自分が生まれ育った場所の水を飲むことが体には良い、 というようなことを読みました。 お米やお酒など、 水に深く関係しているモノもそうなのでしょうか。 生まれた場所のお米だから美味しいのか、 美味しい場所のお米だから美味しいのか、 どこまでいっても正解はわかりませんが、 今の季節、本当に美味しいものがたくさんあふれています。

好みにつながる要素・要因

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共通な形のモチーフを各所で用いるのは、 シンプルでわかりやすい手法です。 写真は、三角形の建物のピロティ部分の床の様子です。 結果を見ればわかることでも、 最初からそう考えられるか、 どのくらいのサイズで行うのか、 そういった部分にセンスが関係するのかもしれません。 そして、それが好みにつながるように感じます。

久々の福井

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以前数年間住んでいて、 今では第二の故郷になって、 そんな関係からなのか、 半年を超えて訪れていないと、 時間が空いてしまったな、と感じます。 コロナ禍ということもあり、 他県への移動が憚られる状態になっています。 気をつけても気をつけても、 心の何処かに不安がある状態です。 それでもやはり会えるときに会っておかなければ、 後悔することになるのでしょう。

対峙

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近所を散歩していた時に撮った一枚です。 二本の木が近づきつつ、反り返りつつ、 競い合っているのか、寄り添い合っているのか、 ちょっと不思議な印象を受けてシャッターを切りました。 木肌を見る限り、サルスベリの木なのでしょう。 葉が全て落ちてしまい、 枝の一本一本がよく見えることで、 より二本の関係がくっきりと見えるようになっています。

近場を散策

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自転車が趣味になっていることに感謝しています。 例えば、ちょっとそこまで、と言っても、 徒歩とロードバイクではその距離とかかる時間が全く違います。 コロナウイルス関係で、 取り敢えず人混みは徹底的に避けるとして、 家にばかり篭っていても、心身ともに静かに疲れていきます。 そんな中、ほんのちょっとした運動ですが、 ロードバイクに乗って近場をぐるっと回ってくる、 という行動は、自分にとってとても良い時間のようです。 今まで走っていなかった近くの道を、 少しずつ広げていきます。

浮世絵のレイアウト

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今日は岡山県立美術館にて、 「ミュシャと日本、日本とオルリク」という展示を見てきました。 ミュシャは本当に日本でも人気が高く、 授業のアンケートでも多くの学生が書いてきていました。 以前も展示は見たことがあり、 その作品の素晴らしさはいうまでもありませんが、 今回はそれに加えてちょっと違った部分に意識がいきました。 日本との関係性をうたっている展示なだけあり、 当時の日本の芸術の一つ、浮世絵なども飾られていたのですが、 それらの作品の画面構成に非常に目が惹かれました。 葛飾北斎や歌川広重など、こちらも著名な方々の作品が並んでいましたが、 それらのレイアウトの秀逸さに、今更ながらに驚かされました。 頭では理解していたことが、実感として体が反応した、 そんな感覚でした。

昔の番組

ちょっとしたことから、 昔々、80年代くらいの話題が出てきました。 当時の服装、と言っても、小学生だった私はそんなに覚えているものでもないのですが、 普段は夜9時には就寝していたと思うのですが、 ある時期、その頃友人になった子たちとの関係から、 夜やっていた番組を見たり、ということをしていました。 たまたま席替えで隣同士になって、 たまたまそういう話題が出てきて、 そんなことだったと思うのですが、 今でもその時のタレントさんは元気にテレビに出ています。 ひょんなことでつながった関係が、 自分のある部分をかたちづくり、 それはなんらかかのかたちで、今の自分に影響しているんだろうな、 と、思ってみたりします。 一つ一つの経験が、今の自分に繋がっています。

Key word: 部首について

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前回のブログから、いきなりIntroductionを書くのは難しいことがわかりました。 これからはkey wordを提示することで書き進めていくことにします。 今回は、「漢字の部首」について考えてみます。 「亻(にんべん)」「刂(りっとう)」「灬(れんが)」などのことですが、 辞書(広辞苑第五版(岩波書店))によると次のように載っています。 ----- ぶ - しゅ【部首】 (漢字を分類した各部の冒頭の文字の意) 漢字の字書において、漢字を字画構成の上から分類配列する場合、 その基準となる各部の共通する構成部分。 「流」「浄」などの字は、部首「水」に属する類。 ----- 私の故郷には、鯉(コイ)を食べる文化があります。 正月の時などは、調理された鯉を鯉屋さんに買いに行きます。 私が小学生の頃、そのお店の壁には「魚偏」の漢字が、 びっしりと書かれた額が飾ってありました。 出来上がってくるまでの時間、 それぞれの漢字が何て読むのかを、当てっこしていた記憶があります。 先日、ウェブのニュースを読んでいた際に、 たくさんの「金偏」が付いた漢字が書かれている記事がありました。 鏨や鋸など、読むことはできるが、書くことはできないような漢字が 多数出てきていました。 言葉・漢字が数がたくさんある、ということは、 それだけ分類しなければならないということです。 つまり、そこには人の生活の有り様との関係があるのではないかと感じました。 部首に着目し、漢字を整理することで、 見えてくるものを明らかにしてみます。

『Consilience Design』   

 Gemeinschaft

私の出身地は山形県です。 その中の上山市、という小さな市に、 実家があります。 血縁に基づく家族、 地域に基づく村落、 友愛に基づく都市、などが、 Ferdinand Tönniesによって考えられた共同社会です。 Gemeinschaftとは、ゲマインシャフト、 共同社会とも訳される概念です。 デザインとゲマインシャフトの関係は、 モノづくり、という考えに戻ってみれば、 その雰囲気を感じ取ることができるように思います。 多くのモノは、必要があって生み出されます。 例えば、 その場所で使われる。 その人が使う。 その関係の中で意味を持つ、など、 ある共同社会の中において、必要性を持って生み出されます。 刃物を使う必要がないのに、 刃物はつくられません。 この「使う」には、販売することも含まれます。 場所なり人なり関係性なり、 元々はそういったモノとの関わりの中で生まれてきたモノ。 それを忘れてはいけないのだと感じます。