『命と向き合うデザイン』 

 窘め方


「形」は「言葉」をつくり、
「言葉」は「形」をつくります。

電車の中で、
子供を窘めているお母さんがいました。
しかし、その言葉、
あまりにも酷い。

表しているモノ(signifiant)と
表されているモノ(signifié)を繋ぐためには、
langueが必要です。
子供、
本当に言葉を覚えて間もない子では、
完全にlangueを習得できていることはないでしょう。

しかし、だからと言って、
signifiant(言葉)とsignifié(意味)が
つながらないと考えることは早計です。
子供は、言語を習得するために、
身近な人からの言葉、
つまりparoleによって、
言語能力を発達させます。

「意志と知能の個人的行為」と書きましたが、
個人的「行為」、つまり、
この単語が指し示す意味は、
言葉そのものだけではありません。
non-verbalな行為も含むことになるのです。

langueが完全に出来上がっていない子供達は、
情報の多くを言葉そのものよりも、
non-verbalな部分から抽出し、
意味を保管します。

つまり、
言葉がまだまだ拙い子供でも、
お母さんの話す言葉の意味は、
お母さんが思っている以上に、
文字通り、肌を通して、
敏感に感じ取っているのです。

そして、
言葉は形をつくります。
酷い言葉で育てられた子供が、
美しい大人になることは、
あるのでしょうか。

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