『命と向き合うデザイン』
産業革命とdesign−3
バウハウスは1919年に開校し,1933年にナチスによって閉鎖させるまでの14年間,主に「教育運動・造形活動・工房活動」を3本の軸として進められたデザイン活動である.設立の際にあった構想は「工芸や芸術を統合するものとして総合芸術」である.産業革命から続いているデザインの歴史において,その一つの到達点ではあるが,様々な要素を集約した部分が強い.初代校長のヴァルター・グロピウスは,ドイツ工作連盟を起こしたヘルマン・ムテジウスの弟子にあたる.そして,バウハウスを創設する切っ掛けを与えたのはアール・ヌーヴォーの初期に活躍したヴァン・デ・ヴェルデである.ドイツ工作連盟とアール・ヌーヴォーは,造形的な要素や規格化・標準化という点において対立した思想ではあったが,ヴァン・デ・ヴェルデ自身,ドイツ工作連盟としても活動した時期があり,当時の二つの思想がグロピウスに影響を与え,バウハウス創設に至ったと言える.一般的には機能主義・合理主義が強く,製品設計・生産管理などにつながるデザインの基礎がつくられたと言える.それまでに様々な物品をシステムとして管理する発想は既に始まっていたが,バウハウスでは家具から室内空間・建築・集合住宅・都市というところまで,全てを一貫したシステムと見なし,統合されていった.これらの造形活動はもちろんバウハウスの特徴だが,もう一つ重要な要素として教育が挙げられる.従来,特に技術に関することは,師弟関係によって師から弟子へと受け継がれていった.しかし,バウハウスではその伝授を教育という方法論で実行した.そのためには従来はデザイナー個人の思いや考えなどでつくられたいた作品を,理論を持って説明し,製品や商品とする必要があった.つまり,教える側の人間は,各自の考えや実現してきた作品を,論として一般に伝達できる状態にする必要があったということである.結果的に,デザイナーとして当時から現在において優れた評価を受けたものであっても,教育内容に思想を強く持ち込んだために教鞭を執ることを許されなくなった者もいた.一方で,バウハウスで教育を受けた者がデザイナーとなり,再び今度は,教育者としてバウハウスに戻ってくるということも頻繁に行われていた.歴史の中ではたった14年間という限られた期間ではあったが,そこで培われたデザイン教育・デザイナー教育という発想は確実に世界各地へと点在していった.
・アルビン・トフラー, 第三の波, 中公文庫 M 178-3, 中央公論新社
・ニコラス ペヴスナー, モダン・デザインの展開―モリスからグロピウスまで, みすず書房
・柏木 博, デザインの20世紀, NHKブックス, 日本放送出版協会