『命と向き合うデザイン』 

 背景−3


再生医療は,憶測も含めて世論としても期待が高まっている分野ではあるますが,例えば,細胞をシート化して治療に用いる「細胞シート工学」の領域で言えば,現時点で臨床応用されているのは角膜組織・食道粘膜組織・心筋組織と限られています.これは日本の医療制度における問題でもあります.一般的に薬事法に基づく治験は,海外の類似の試験に比べ長期に渡ると言われています.特に細胞など生物学的な薬剤に関しては時間がかかることが知られています.また,人間のクローン製造というようなことが,話の中だけではなくなり現実に起こりうる可能性を持ってきたことも,臨床応用への懸念材料になっています.さらに,これまで人類が触れて来なかった領域という意味では倫理的な問題の検証も済んでいません.これはES細胞やiPS細胞の発見によって,再生医学の中でも,幹細胞に関する研究だけが一気呵成に進んでいることも一役を担っていると想像されます.つまり,ある特定領域だけが急速に研究が進むことによって,周辺の研究が置き去りになり,再生医学全体として成長することが困難になっているため,発生が予想される問題および問題に対する解決方法のいずれもが,いまだ見えていない.しかし,医学の世界では,ある事柄が明らかになることによって,その領域の研究が急激に進むことは珍しいことではありません.例えば,1978年に能勢らによって完全置換型連続流人工心臓が3ヶ月間ウシを生存させたことによって,多くの研究機関が拍動型ポンプから連続流型ポンプへと研究対象を変えたと言われています.そして,現在,日本国内で最も実用化の可能性が高い人工心臓はいずれも連続流型ポンプを有した製品です.ただ,一方では現時点で日本国内で唯一使用を認められている人工心臓は,拍動型であるという現実もあります.もし,能勢らによって連続流型ポンプの実用性が確認されなければ,それから20年の歳月を掛けた現在,より優れた拍動型ポンプがつくられていたかも知れません.その可能性は検証することができません.同様に,現在の再生医学がES細胞やiPS細胞によって牽引されている状態が,その周辺で置き去りにされている研究対象にどのような影響を与えているかは,確認することが困難です.逆に考えれば,今日の再生医学の進歩は世論の表れでもあります.これまで治らなかった疾患への回復可能性は多くの人に希望を与えると同時に,産業・流通・経済といった領域まで影響を与えます.細胞に関する領域は特許合戦のようになっている部分があり,すでに,工学的な側面を背景に,産業化を見据えた開発が行われている点も研究合戦に拍車を掛けています.競争の対象が研究者対研究者だけではなく,企業対企業,国家対国家という争いに発展していることも無視できないことです.

・浅島誠, 阿形清和, 山中伸弥, 岡野栄之, 大和雅之, 中内 啓光: 再生医療生物学, 現代生物化学入門7, 岩波書店, 2009
・中辻憲夫, 中内啓光: 再生医療の最前線2010, 羊土社, 2010

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