『命と向き合うデザイン』 

 新・デザインについて−7


こういった造形活動は確かにバウハウスの特徴の一つですが、もう一つ、それまでのデザインの領域では見られなかった特徴として、教育運動が挙げられます。従来、特に造形の技術に関することは、師弟関係によって師から弟子へと受け継がれていきました。しかし、バウハウスではその師弟間における伝授をより一般的な「教育」という方法論に集約する活動を実行化しました。そのため当時の教育者(デザイナー)は、各自がつくり出すそれぞれの作品を、「論」として一般化または体系化することを求められました。特に、美術作品以外の「製品」と呼ばれる作品に関しては、産業革命以前には、主観による美しさだけで一方的に語られていた時代から、その美しさを含め、製品そのものを他者に伝達する必要が生じたことになります。そのためには製品に対する客観的な視点が必要であり、必然的に個々の機構や素材はもちろんのこと、製造方法から生産方法までを一般化する必要が発生しました。産業革命以降に徐々にできあがっていたデザインと産業の密接なつながりは、バウハウスの教育運動をもってより明確になったと言えます。その結果、デザイナーとして優れた評価を受けた者であっても、教育内容に思想を強く持ち込んだために教鞭を執ることを許されなくなった者もいました。そして、バウハウスで教育を受けた者は、社会に出てデザイナーとして活躍し、再び今度は、教育者としてバウハウスに戻ってくるという人の流れが発生しました。これによって、教育運動は廃れることなく、歴史の中ではたった14年間という限られた期間ではありましたが、年を重ねるごとに密度を高めていったと言えます。このバウハウスの閉鎖は、ナチスドイツの活動の一つによるものであり、教育者の多くは他国への亡命を余儀なくされます。しかし、これは結果的に世界各地にバウハウスのデザイン教育・デザイナー教育を伝播させる役割を担ったことになるとも言えます。

・Alvin Toffler; The Third Wave, Bantam, 1984
・Nikolaus Pevsner; Pioneers of Modern Design, From William Morris to Walter Gropius; Revised and Expanded Edition, Introduction by Richard Weston

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