『自分と向き合うデザイン』

 常に自分自身


自分の経験から、現在の電子カルテの問題点を考えてみます。

何事もそうですが、
一番大切なのは自分自身がどのように感じるか、ということです。
「何時か」
「何処か」で
「誰か」が
「そんな風なこと」を言っていた、
では、
相手を説得できません。
以前もこのブログで書きましたが、
一番重要な点は、
そのモノを本当に自分が欲しいと思えるかどうか。
それがスタートラインです。

では、自分が直接用いないモノ、
使わないモノ、
もしかしたら一生関わらないモノに関しては、
どのように考えていけば良いのでしょう。
このことは次回以降に回して、
まずは自分が直接関係するモノから考えてみます。

しかし、世の中には、
どれだけ
「どっかの誰かが好き」
「みんなに人気がある」
という考えの元につくられているモノが多いことでしょう。
特に2000年に入ってから、ISO13407がらみで
こういった考えが普及したのではないでしょうか。

ただ、こういった考えが悪い、
というわけではありません。
様々な試行錯誤の中で、
物事を説明するために生み出されて来た方法論だからです。

使用者・ユーザーという視点で製品を整理してみると、
色々な見え方をします。
例えば、携帯電話などのプライベートな製品は、
多くの場合、機器を使用する人と、
その機能の恩恵を受ける人が一致しています。
では、ちょっと大きく離れますが、
医療機器などはどうでしょうか。
機器を使用するのは、
お医者さんをはじめとした医療従事者の方です。
一方、その機能の恩恵を受けるのは、
患者という、機器を用いた医療従事者とは全く異なる人です。

これは使用者に限った表現ですが、
厳密に言えばもっともっと関係者は増えていきます。
もう少し具体的に、手術室で使用する機器を考えてみましょう。
まず、その製品をつくるメーカーサイドの人がいます。
次に、その製品を購入する人がいます。
いよいよ使用者に入りますが、
医療機器という特性上、
例えば、医者に機器を渡す看護師がまず関与する可能性があります。
そして、実際に使用する医者、
その機器を使用されるのは患者、
使用された医療機器はディスポーザルのモノであれば、
看護師の手に渡り廃棄されます。
その廃棄物は処理班の人によって搬送され、
最終的に処分されます。
もちろん、製品によってはもっともっと多くの人が関係します。
医者が構えた状態で、
臨床工学技士が電源を操作する機器もあります。

人間の関わり方だけを考えても、
大変複雑に絡み合っています。
しかし、今回考えている電子カルテも含め、
今後デザインが対象としなければいけない領域は、
こういった極めて複雑に絡み合った分野になることが予想されます。

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