『自分と向き合うデザイン』

 不思議なIdentify


先月末、友人の結婚式がありました。
大変素敵なお式で、お招きいただいた私の方が、
温かい気持ちになりました。
式の当日・前日は、大学の時の友人達10人ほどと、
一緒に過ごすことができたのですが、
その時に撮られた写真を最近見てみました。
皆、本当に良い顔で写っており、
ありがたいなぁ、と友人への感謝の気持ちを抱きつつ、
ぽちっ、ぽちっ、とページを捲っていく中で、
何か、今までとは違う感情が心の中で広がっていきました。

これ、自分か?
私って、こんな顔をしていたのか?
という、不思議なidentifyが、
自分の中でなされました。

正直、写真は苦手です。
笑えと言われて笑えるか?!といつも思ってしまいます。
しかし、それと同時に、
いつでも自然な笑顔をつくれることも、また、
社会的にとても意味のあることだということは、
わかっているつもりです。
写真を撮られる時に、うまく笑えない、
と、感じているため、ますます、写真が苦手になって。。。
ある種悪循環だとわかっていても、
なかなか克服できるものでもありませんでした。

ただ、今回の写真を見た時に、
何か、心の中の方で素直に、
「あぁ、私はこんな顔をしているんだな、今」、
ということが、スッと落ちた気がしました。
なんでしょう。
気のおけない友人達と一緒の時の顔を、
客観的に見ることができたからでしょうか。
何か、今まで蟠っていたモノが、
少しだけ流れていった気がしました。

以前、identityの話を少し書きましたが、
自分が、自分を、どのように見ているのか、
ということも、とても大切な事です。
それは、社会から自分がどう見えているか、
ということにつながります。
そして、社会に対して、自分をどう見せていくか、
ということにつながります。
いくか、「こう見せたい」と思っても、
そのように他人の目に映るかどうかは別問題です。

気のおけない人たちの中にいる自分。
それはある意味、肩の力の抜けた、
自分の本当の姿なのかな、と感じました。

このブログの人気の投稿

何が違う?

『命と向き合うデザイン』 

 新・デザインについて−4

風で飛ばない秋桜