『自分と向き合うデザイン』

 学生達の居場所 前編


私が学部の3年生だった頃、
大学の中の居場所と言えば"製図室"でした。
私は諸処の事情から
先生の研究室にさせてもらうこともありましたし、
やがて、専門が明確になってからは、
"プロダクトデザイン室"へと移っていきましたが、
3年生の頃、学生同士が話をしたり、課題を進める部屋は、
基本的に製図室と呼ばれてた場所でした。
ドラフターと呼ばれる図面を描くための机、
イス、キャビネットが各自に与えられ、
図面収納用の移動式の大きな共有棚が並んでいました。

一学年が60人という少人数だったから
実現できたことなのかも知れません。
一人一人に与えられた机で、
朝から晩まで作業をしていました。
3年生くらいになると誰がどの時間にいるか、
ということが大体決まってきます。
一息つくタイミングで、
自分のアイディアを誰かと議論したり、
相手の進み具合を見せてもらったり、
というように、
たとえ、個人課題ではあっても、
一人だけでやっている、という意識はありませんでした。

与えられた課題を自分はこう解釈してこう考えている。
私はこう捉えて、こう進めている。
こんなプレゼンテーションはどうだろうか。
これは自分の思い込みかも知れない。
こんなアイディアを思いついたんだけど。

そんな風に、
時に議論を、
多くの場合は雑談とも言われるような話をしながら、
お互いのアイディアに興味を示しつつ、
でも、自分が一番良いはずだ、と心の中で思いながら、
課題に取り組んでいました。
一方で、当然のことながら、
皆とは作業を共に行わず、
下宿先や家、バイト先などで作業をする者もいました。

これらは"製図室"という"場所"があって、
初めて成立したことです。
たいそうな言い方をしましたが、
勿論、"製図室"という物理的な場所情報に
特殊性があるわけではなく、
皆が集まり作業を進め、議論をすることができれば、
どこでも良かったわけです。

その場所<topos>において私たちは、
自己の表現である課題作品をつくっていました。
相互のデザインを眺め、
対話を繰り返すことで、
そこでは共通感覚としての言語的トポスが構築されます。
その"場所<topos>"では、
先ほど言った、同じ場所で作業をしていない面子も、
演劇の登場人物のように、
一人の個人として存在します。
その場所に物理的に存在しないことによって、
より大きな存在感を示すこともありました。

何れにしても、
私たちはトポフィリアとして、
その場所を好み、集っていました。
それは結果的に相乗的な創作意欲を育み、
あいつには負けたくない。
絶対私のが一番良い。
という強い思いを、
自らの中に構築していったように感じます。

・中村雄二郎: 場所(トポス), 弘文堂, 1989

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