『自己を見つめるデザイン』

 タイミング


昨年の3月11日、私にとって、
最も早い情報伝達ツールがTwitterだったことは、
以前、記しました。

そんなTwitterや、
ニュースサイトなどの情報から、
震源地が東北付近と聞いても、
家族はどうなっているのか、
実家はどうなっているのか、
親戚はどうなっているのか、
友人はどうなっているのか、
知人はどうなっているのか、
などの詳細情報は勿論入ってこず、
剰え、悪い予感、や、虫の知らせ、といった、
天然センサーの力が脆弱な私にとっては、
みんなの様子をイメージとして描くこともできず、
ただただ、情報を待つしかない、
という状況でした。

これは現代における最も一般的な慣れの一つなのでしょう。
いつでも情報を手に入れられることができる、
という状況に慣れてしまうと、
手に入れずらい、という状況に対して、
非常にストレスを感じます。

こういったことは、災害時、などの非常事態以外にも、
普段の生活でもよく遭遇します。
よく例に挙げられるのは、
ウェブサイトの閲覧に関するモノです。
ボタンをクリックしてから画面が表示されるまで、
どの程度の時間なら待っていることができるか。
携帯電話の高機能化が一気に進んだときも、
同様の問題が発生しました。
ボタンを押してから画面が遷移するまでに、
これまでの端末に比べて明らかに時間がかかる。
言ってみればほんの些細な時間です。
時間というよりも、一呼吸にも満たないものですが、
それでも明らかに多くの人がストレスを感じます。

この感覚について考えてみます。

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